「 愚民化政策によって作り出された弓道用語について 」 |
■ 「愚民化政策の基礎知識」編 |
日本という国では明治政府が発足して以来、「政治家」や「官僚」は自分たちの特権を永続化させるためにこのような政策を一貫しておこない続けています
国民の知力・学力を徐々に低下させていき、国民全体を「愚かな民衆」にする
国民全体が愚かになれば、政治家や官僚の不正は暴かれる事が無くなり、政治家や官僚などの特権階級に都合の良い政治や汚職が思い通りに出来る
そして「特権階級のエリート層」と、その他大勢の「愚かな民衆」との二極に分離する・・・
昭和初期にはそれが成功しました
「神道教育」という名の「愚民化政策」です(※)
※ いま現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)における「主体思想」教育施策となんら変わるところが無い洗脳教育が、日本でおこなわれていたのです
これによって「軍」や「政治家」「官僚」が権力を握り、神道の名のもとに国民全体がムシケラのように死んでいきました(※)
※ 2001.09.11のアメリカ同時多発テロでも判るように、宗教による洗脳というものは「自らの命を宗教に捧げる事」「異なる宗教の文化を駆逐する事」が名誉であるとされてしまう点が非常に卑劣であるといえます
一部の権力者の私利私欲のために・・・(※)
※ 2001.09.11のアメリカ同時多発テロに関連した「国際社会への人的貢献」について「多少の犠牲はやむを得ない」と、また、2003年のイラク戦争の戦後占領統治への自衛隊のイラク派兵について「イラクへ行って人を殺すことも殺されることもあり得る」などと、日本の首相は国会質問にて答弁しました
自衛隊員の人命を「将棋の駒」としか考えていないとは・・・
「大本営発表」というのは、洋の東西を問わずデタラメを並べ立てて戦争を正当化しようとするのは、昔も今も何ら変わらず、国家権力者というのは、『国』のために国民がムシケラのように死んでいってもなんとも思わないというのもまた、昔も今も何ら変わる事が無いという事です
そしていま、具体的な「愚民化政策」として有名であるのは、2002年(平成14年)4月から開始された「新学習指導要領」です
「ゆとり教育」という名のもとに
小学校『国語』では、漢字の学習(小学校では1006文字)は「その学年で学ぶべき漢字は読む事が出来ればそれで良しとする」(書く事については次学年への繰り越しOK!)
小学校『算数』では、「円周率=およそ3」「電卓での計算の義務付け」「小数点のある計算の排除」
中学校・高校の『科学』や『生物』では、「イオン」や「進化」(※)についての記述を一切触れてはいけない
※ 大昔の欧米でのミッション系スクールのように、「人間は、父なる創造主(=神様)がお創りになられた」とでも教育するのでしょうか???
・・・など、行く末が恐ろしくなる学校教育が始ってしまいました
また『社会』では、東京都や岡山県は特殊学校に対し、扶桑社の「新しい歴史教科書」や「新しい公民教科書」を強要する事によって、社会的弱者から洗脳し、愚民化の一里塚とするという大変卑劣な行為に及んでいます
さらには、2003年度(平成15年度)からの国家予算(国庫負担金)の義務教育費は日本国始まって以来初めて削減され、2004年度(平成16年度)はさらなる義務教育費の大幅減額&私学助成金の大幅増額が決定しました
低所得者層の子供の愚民化を加速させていく一方で、非低所得者層では私学や学習塾へと子供への投資を促進させる事に繋がる為、「特権階級のエリート層」と「愚かな民衆」との二極をより明確に分離させる事が可能となります
ようは、戦前~戦時中の「愚民化政策」の成功が、「政治家」や「官僚」にとっては忘れられない、という事です
そして過去には、日本の社会から漢字を全廃させる事によって、国民全体が漢字の読み書きを出来無いようにさせて余計な知恵が付かないようにし、「政治家」や「官僚」にとって都合の悪い情報を調べたり理解する能力を削り落とそうとしていました
その第1段階として、まず使用しても良い漢字の文字数を約2000弱にまで減らし、第2段階ではさらに削減、そして第3ではさらに・・・、と徐々に国民全体を愚民化していこうととしていたのです
しかし、実際には第1段階の施行までは成功したものの、世論から猛烈な反感を買いその後の削減には至らず、2000年(平成12年)には事実上過ちを認める結果となる事で、漢字制限政策は実質的に終結しました
その第1段階が「当用漢字表」政策です
「当用漢字表」の「当用」とは、「当」座の間、「当」面の間のみ「用」いる事とする、という意味であって、しばらく期間を置いた後に「拡張」させる(=文字数をさらに削減させる)予定であった事から名称が付けられたモノです
敗戦の翌年、『日本で用いても良い漢字を、古来の画数の多い漢字に代わり略字体漢字を正字体とし、さらに用いても良い数を1850文字に減らし、それ以外の漢字の使用を制限する事によって、教育上また社会生活上の不便をなくす』という大義明文(※1)をもとに、1946年(昭和21)年11月、内閣訓令として「当用漢字表」は公布されました(※2)
※1 使用してはいけない漢字とされた代表的な文字として、現代日本語での「汚職」に相当していた『涜職』の、『涜』の字があります
「汚職」の「汚」を、漢字かな混じり文として「お職」とかな書きしたら、政治家や官僚などの特権階級に都合の良い汚い悪事であるという事が伝わらなくなってしまうでしょう
さらに、テレビやラジオなどでニュースキャスターが「汚職事件」という言葉を発しても、表意文字としての漢字をイメージ出来無い小さいお子さまなどでは、『お食事券』の事だと思い込んでもおかしく無い状況に陥ってしまいます
それと同様に、『涜職』を漢字かな混じり文として「とく職」とかな書きだけにさせ、その言葉が「政治家や官僚などの特権階級に都合の良い汚い悪事である」という事を伝わらなくさせてしまう事が意図されていたのです
しかし、「当用漢字表」公布から一年ほど後、「とく職」に代わる言葉として朝日新聞社が「汚職」をいう造語を発明し、それが現代日本語として普及してしまったため、現代日本語での「汚職」に相当していた『涜職』という文字と道連れに、その言葉の持つ概念そのものまで一緒に粛清してしまおうという『愚民化政策』は、朝日新聞社によって(※3)妨害されてしまいました
現在でも、政治家や官僚などが朝日新聞やテレビ朝日に対して攻撃的な姿勢を見せているのは、愚民化政策が妨害されてしまった(というか、いま現在に至るまでなにかと妨害され続けている)事へのあからさまな嫌悪であるのです
※2 1948年(昭和23)年2月「当用漢字別表(教育漢字)」として、小学校で教えても良い漢字は881文字であり、さらには学年によって教えても良い漢字が厳格に制限されていました
※3『涜職』という言葉についてだけですが・・・
そして、「当用漢字表」本表の「まえがき」として下記の文章が付け加えられていました
使用上の注意事項
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こうして、「弽」「彀」「垜」などの弓道用語も愚民化政策の巻添えとして犠牲となり、「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」などの表記が誕生したのです
この「当用漢字表」は、ヒトの名前に付ける漢字についても厳格に適用した結果、この事が国民の怒りを招いたため「人名用漢字」という概念が後になって導入される事となりました
この「人名用漢字」は徐々に文字数を増やさざるを得ない状況に追い込まれ、1981年(昭和56年)年には166文字にまでなりました
それでも当時の日本で公式に用いても良い漢字は「1850(+166)文字」しか無かったのです
しかし、強まる世論の反発から「当用漢字表」は見直される事となり、代わって1982(昭和57年)年10月に公布された「常用漢字表」によって1945文字が制定され、「当用漢字表」政策に取って代わる事となりました
この「常用漢字表」は、あくまでも『推奨』であって国による締め付けでは無い事を『国』は強調していましたが、実際には1980年代は新聞社や出版社への『国からの強い働き掛け』がおこなわれ、当時の新しい国語辞典を見ても、「弓懸け」「弓掛け」「安土」などが『正書法』とされ、「弽」「彀」「垜」については『旧表記法』と定義されています
そして、1990年(平成2年)に制定された「補助漢字(JIS X 0212:1990)」文字集合は、当初このうちの漢字5801文字の文字集合部分が「第3水準漢字」として制定される段取りになっていたのですが、『国からの強い働き掛け』によって、第1・第2水準漢字の補助としての位置付けへと格下げにさせられてしまいました
しかし、2000年(平成12年)1月20日には「第3水準漢字」「第4水準漢字」が制定されました
10年前には「第3水準漢字」の成立を断固として阻止した『国』が、「使用に値する新しい漢字のガイドライン」を制定したのです
これは、漢字制限による「愚民化政策」は過ちであった事を認めた事に他なりません(※)
※ 現在(2001年の段階)の文部科学省では『よりたくさんの漢字が扱えるようになった現在では、一般社会で用いるべきガイドラインとしての「常用漢字表」の重要性が、制定当時よりもさらに高まっている』とコメントしています
たしかに『国からの強い働き掛け』をしなくなった現在だからこそそう言っていられるのですが、制定当時は中国の「文化大革命」と何ら変わりの無い状況で各種報道機関に対して圧力を働きかけていたのです・・・
また、2002年(平成14年)4月から開始された「新学習指導要領」や、2003年度(平成15年度)からの国家予算の義務教育費削減という、より効果的な「愚民化政策」の施行に漕ぎ着けた事によって、世論から反感を買っていた「将来の見込みの無い愚民化政策」を意地でも維持する必要が無くなった・・・、とも言えます
さらに 文部省-文化庁 国語審議会 (現在では、文部科学省-文化庁 文化審議会の中の分科会の、さらにその中のワーキンググループの一つ)での、
2000年(平成12年)12月8月での 答申等 で制定された「表外漢字字体表」(=「常用漢字表」表記外の第1水準漢字における標準化施策)での前文には、以下のような文章が記述されています (※)※ 世間一般に公開する事が目的の官報告示であるので転記には問題など発生しないハズ・・・
2 表外漢字字体表の性格 (1)表外漢字字体表の作成目的及び適用範囲
表外漢字字体表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送等,一般の社会生活において表外漢字を使用する場合の字体選択のよりどころを,印刷文字(情報機器の画面上で使用される文字や字幕で使用される文字などのうち,印刷文字に準じて考えることのできる文字を含む。)を対象として示すものである。
この字体表では,常用漢字とともに使われることが比較的多いと考えられる表外漢字(1022字)を特定し,その範囲に限って,印刷標準字体を示した。また,そのうちの22字については,簡易慣用字体を併せて示した。ただし,この表は,常用漢字表を拡張しようとするものではなく,この表にない表外漢字の使用を制限するものでもない。
表外漢字の使用に際しては,印刷標準字体を優先的に用いることを原則とするが,必要に応じて,印刷標準字体に替えて簡易慣用字体を用いることは差し支えない。
簡易慣用字体を用いるかどうかについては,個々の事情や状況を勘案した上で,個別に判断すべき事柄と考える。
なお,この字体表の適用は,芸術その他の各種専門分野や個々人の漢字使用にまで及ぶものではなく,従来の文献などに用いられている字体を否定するものでもない。
また,現に地名・人名などの固有名詞に用いられている字体にまで及ぶものでもない。
たかが第1水準漢字の範囲内での方針を示したものに過ぎないとはいうものの、いままでの「漢字制限政策」における強制力がこれによって無くなったと捉える事が可能な決定であったと言えます
そして2002年(平成14年)3月、「民間放送連盟」「日本放送協会(NHK)」「日本新聞協会」は、「当用漢字表・常用漢字表」政策における「簡易慣用字体(いわゆる「嘘字」)」や「(表外漢字の)かな書き」は今後、用いないようにしていく方針を決定しました
≫ 2001年(平成13年)秋のアメリカでの『炭疽菌テロ』を報道する際、
「炭疽」を「炭そ」とかな書きしてしまったのでは、まったく違う意味(炭素)に間違えて受け取られかねない
・・・という議論が活発におこなわれました
それiをきっかけとして、
昨今のブームである『癒し』は、かな書きで表記したら『卑し』と区別が付かず、言葉の持つイメージを正しく伝える事が出来無い
BSE(狂牛病)関連での農水省の失政や食品関連会社の偽装問題等々での謝罪の弁として常套句、『真摯に受け止めたいと思っております・・・』についても、かな書きであると「紳士な態度で対応したいと思っております・・・」というような意味であるかのように間違えて受け取られかねない
・・・等々が取り上げられ、漢字が持つ表意文字としての役割全般についての検討が進む事となり、上記のような方針が決定されるに至りました
2002年(平成14年)3月末からは実際に、NHKや民放テレビ局における一部のニュース番組で使用される「テロップ」や「フリップ」にて、「当用漢字表・常用漢字表」表外漢字が用いられています
(ルビが振られています)≫ NHK の場合の運用例 (2002年4月1日の段階)
新聞についても、ルビを振るシステムが整い次第、順次「当用漢字表・常用漢字表」表外漢字を用いていく事になっていました・・・
ところが、2003年(平成15年)1月からの新聞紙面には「当用漢字表・常用漢字表には含まれない第1水準漢字」や「第2水準漢字」だけでは無く、「第1・第2水準実装外漢字」までもが大量に用いる漢字運用が開始されました
(「当用漢字表・常用漢字表」表外漢字にはルビが振られています)みなさんは新聞紙面の変化に気付かれたでしょうか?(※1)(※2)
※1 全ての新聞社がそうであるのかは判りませんが、「 弓道辞書 」作者が目を通している新聞についてはそのような漢字運用に刷新されています
※2 2002年(平成14年)12月までは、「第1・第2水準実装外漢字」が新聞紙面に用いられるだなんて事は考えられませんでしたし、漢字にルビを振る事も不可能でした
ただし、世界陸上2003パリ大会での報道では、日本での放映権を獲得しているTBSも、他の民間放送も、そしてNHK の場合でも、男子200メートル銅メダル選手の表記を「末續慎吾」(「續」は第2水準漢字)と統一されているのに対し、大部分の新聞では「末続慎吾」と人名を書き換えるという侮辱的行為をしています・・・
(一部のスポーツ紙では「末續慎吾」と表記されています)NHKを含む報道機関が「当用漢字表・常用漢字表」政策に従わなくなったという事は、1946年(昭和21年)11月から始まった「漢字制限政策」は完全に形骸化し、『国からの強い働き掛け』という実質的な強制力も、完全に無と化したと言うに事足りるでしょう
ここで「 弓道辞書 」作者からの提案なのですが、「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」などといった、不幸な歴史が生んだ表記を用いるのはもうやめましょう!
幸いな事に、「弽」「彀」「垜」については「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」という表記に取って代わってしまってはいません
『国』が過ちである事を認め、またPCによる漢字表示手法が発達し、一昔前であれば数十万~数百万円はしたであろう「一万文字以上を包括する文字集合を実装したフォント」がPCに標準で入っていたり、さらには「約3万~4万文字を包括する文字集合を実装したフォント」がネット上で無償配布される現在においては、「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」といった表記をあえて用いなければならない理由など、何処にも存在しないのです
さらに、機関紙『弓道』2003年(平成15年)1月号37ページのコラムの文中には、このような記述がなされています
「第1・第2水準実装外漢字」をPCやネット上で用いるには、文字通り「新しいものに飛びつ」く事が必要です
「新しいものに飛びついたって」、見る側の環境が古い場合には「第1・第2水準実装外漢字」に対応出来無い場合がありますし、そのための配慮として多少の手間を掛ける必要が不可欠です
しかし「僅かなマイナスを過大視して大きなプラス面を見なかったら」、それこそ「伝統文化を大切にする風土」には馴染まないのでは無いでしょうか?
また、「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」以外にも、「愚民化政策によって作り出された弓道用語」が現在浸透している弓道用語の中に大量に紛れて込んでいます(※)
※ 弓のグリップを表す「弝」については、これに代わる言葉として置き換えようとして作り出された「弓柄」「弓束」といった「表意造語」「表音造語」は全く浸透しませんでしたが、「弓弝」「弝」については「弓把」「把」と、置き換えられた表記へと侵食されつつあります
それから、本来は「篦」(篦 : 第2水準漢字)であった表記も、従来は俗字であった「箆」が浸透させられてしてしまっています
(機関紙『弓道』の中でも「篦」の表記を使用しているのは、愛知県の「いろは弓具店」の巻末広告記事くらい・・・)また、「靠れ(遅気)」(靠 : 第2水準漢字)については漢字で表記する事がほとんど無くなってしまっていますし、弓を単体で入れる「弢」や、弓矢をセットで入れる「櫜」という言葉に至っては、漢字そのものだけで無く、それらをそれぞれ区別して使用するという文化そのものまでが抹殺されてしまっています
さらに着装面においては、道着(道衣)や和服での「裑」(※)は、「表音造語」の「身頃」へとほぼ置き換えられきってしまっているのが実情です
※ 衣服の中で、襟・袖・衽などの部分を除いた、胴体を覆う部分、もしくは、 衣服の中で、和服やボタンの付いたシャツなどの、胴体前面で左右から重なる部分の事
「当用漢字表」政策が施行される前の、戦前・戦時中の当時を知っている先生方ならこれらの他にも「正しい弓道用語」と「作り出された弓道用語」とを区別出来るハズです
戦前・戦時中の当時を知っている先生方がご存命なうちに、弓道用語の表記を見直す事が必要であると思うのです
いまの段階であれば、「弓懸け」「弓掛け」「矢頃」「安土」などといった不幸な表記をこの世から抹殺する事が出来るハズ・・・
たしかに「言葉」とは時代とともに変化していくシロモノではありますが、伝統ある武道としてそれに付帯する言葉が、『国』による一時の愚民化政策によって捻じ曲げられたままにしておいても良いのでしょうか???
ぜひ、全日本弓道連盟にはこの点を考慮していただきたいものです(※)
※ 現在、1953年(昭和28年)発行の「弓道教本」についての見直し作業が行われているようですが、「弓道教本」そのものが「当用漢字表」政策の影響を受けているのです・・・
■ 「当用漢字表」と「常用漢字表」の、定義の違いについて |
そもそも、1946年(昭和21)年11月の「当用漢字表」公布以前の時代には、「座」と「坐」は同字として扱われていましたが、「当用漢字表」では、「座」は名詞に、「坐」は動詞に用いて区別するものとして定義され、ここから「愚民化政策によって作り出された弓道用語」が誕生しました
しかしその後、1982(昭和57年)年10月に公布された「常用漢字表」では、品詞を問わず「座」が『正書法』として定義され、「坐」については日常生活では用いるべきではない『旧表記法』となりました
「弓礼・弓法問答集」は、全弓連の中枢の大先生方によってまとめられた叡智の結晶である事には間違い無いでしょうが、先生方のお歳の関係から、残念ながら戦前・戦時中の当時をご存知という訳でも無く、また近年の時代の変化に敏感である(※)というのも難しいのでしょう・・・
※ ようは、『全弓連の中枢の大先生方はみなさん年配のため、全弓連の中枢の大先生方が受けた教育である「当用漢字表」が1982(昭和57年)年9月末日で廃止された事を御存知で無く、「当用漢字表」から切り替わった「常用漢字表」に関する知識はまったく無い』という事です
そのため、「弓礼・弓法問答集」における「座」と「坐」の違いについての記述は、弓道の本質の部分からは根拠や正当性が認められない、『国』による一時の愚民化政策によって捻じ曲げられた解釈がまかり通ったままとなってしまっているのです
ぜひ、全日本弓道連盟にはこれらの点と時代の情勢を勉強してもらって、統一的な見解とその根拠を示してもらい正しい運用をしていただきたいものです
なお「 弓道辞書 」では、version1.10までは「座」と「坐」の両方が漢字変換候補に出てくるようにしていましたが、version1.20からは当面、「弓礼・弓法問答集」での記述に合わせる事にしてみました
「弓礼・弓法問答集」での記述に合わせた表記を広める手助けとなりかねないため、これが良いものかどうかは判断に苦しみましたが、現状ではユーザーのニーズに合わせるのがベターなのでは無いかと判断しました