2番線 北行 牧の原・日医大方面 |
1番線 南行 新鎌ヶ谷・高砂方面 |
ダイヤが乱れ始めて一番最初に来たのは車庫から引っ張り →
出された1928N:9108編成。 19:36に日医大を出て、
先行列車から26分後の19:43発となっている。 |
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← 19時半頃に列車種別が普通へ変更されたものの、2行目は
急行案内のまま。 北行は19:03発1725Hの後、ここまで
何も来なかった。 |
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← 先行列車から47分後の19:50発となった1729N:9018
編成。
20:09発の2020Nで戻ってきた9018編成。 ちなみに、
この編成は最終列車の2321Nで入庫後、翌朝27Nにて
車庫へ戻っている。 先行列車からは26分後。
この間、1942T・1906Tが抜けているが、まだそれらの
車両は北行で運転している。
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1729Nの後続列車である1743T:5312編成は20:10発。
先行列車の約10分後を同じ各駅停車できたはずなのに、
先行列車からは20分後。
日医大から戻ってきた1942Tは20:27発。 →
先行列車からは18分後。
この5312編成はその後19Tに化けたらしく西馬1T
引上線入庫となり、翌朝01Tで出庫している。 |
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← 24分経過してやってきたのは19Tなれど、この車両は本来
の19Tにあらず。 どこから湧いてきたのか不明な謎の
列車が20:34発。 5314編成。
青砥での折り返しに失敗し、高砂にも入庫出来なかった
1823Tが逃れ逃れて来た可能性も。 |
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← 続いて1743Tの後続列車である1807Tが12分後の
20:46にやって来る。 5315編成で定刻より73分の遅延。 |
謎の19Tはそのまま引き返してきた。 先行列車からは →
26分後の20:46発で、2018Tと考えれば定刻の運転。 |
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← 復旧後初めての印西牧の原行きは5313編成の1741T。
先行列車からは12分後の20:58発。 車庫入庫だが
折り返し2240Tまでの待機。
この間、1821N・1793H・1835Nの3本が抜けたが、21N
はすぐ後に来るし、1835Nらしき車両も後から来る。
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← 1821N:7308編成。 1741Tに遅れること7分の21:05
発で、定刻より79分の遅延。 |
先行列車から22分後、21:08発の1906Tは定刻より →
75分も遅れている。 |
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← 91H表示の1025編成はもしかしたら1793Hの可能性も
あるが、21:12発で1891Hより38分延、1793Hよりは
83分延。
1919Tの後続列車なのだが、1919Tは後から来る。 |
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← 19Tの2本目は本来の1919T:5310編成。 定刻より
ちょうど1時間遅れの21:20発。
この前後の北行は概ね10分以内に列車が来ている。 |
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← 55Hの1本目は1643編成で、1855Hより38分延の
21:27発。
この間、1939Nが抜けているが、後からやってくる。 |
91Hで日医大に行った1025編成は2130Hとして折り →
返して来た。 定刻の運転。
この間、2092H・2034N・2018T・2090H・2138N・
2154Hが抜けており、代わりに謎の18Tが1本走った。 |
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21:39発でやってきたのは本来の19Tだったのだが、 →
行先がなぜか矢切になってしまった5310編成。 定刻
より53分延。 5300形としては初めての可能性も。
この編成は矢切でしばらく停車していたようだが、
その後西馬込まで回送で戻って行った模様。
37Nを出した9128編成が来たのは21:52だが、1836N
を押上2Tで打ち切って45分ほど停車ののち、折り返して
来たもの。 西馬込〜押上間をそっくり運休している。
この間、1933N・1931Hが抜けてるが、1931Hは来ない。
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2122Nの定刻で来た7308編成は1821N返し。
2020Nだとしたら101分の遅延。
← 謎の列車はまだ来る。 25T表示なのだが25Tは1624Tを
最後に北総線内には来ないはずだが、どうも2049Tの代走
らしい。 2049Tだとしたら4分早い21:57発だが、この間
1963Hが抜けているが、後からやってくる。 |
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← 1939N:9008編成は76分延で22:01に戻ってきた。
このまま車庫入庫となっているが、実はこれ、1835Nで
116分の遅延。 先行列車からは4分後、普段より間隔が
短くなっている。
入庫後の9008編成は翌朝39Nを1往復だけで車両交換
入庫し、夕方の1822Nで前日からの35N→23Nの流れに
戻された。 |
2236N:9128編成は日医大からの運転で6分延の →
22:13発。 この間の抜けは無く先行列車から23分
も後ではあるが、この時間帯はこんなもん。 |
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← 55Hの2本目は1009編成。 1855Hの定刻よりは86分
の遅延で22:15発。 定刻ならばすでに北行の京急車は
終わっている時間帯。 |
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← 京急車はまだ来る。 1963H:1259編成は33分延で
22:22に到着。 すでに折り返しに間に合わない時間に
なってしまっている。 |
謎の25Tが折り返し2248Tとなって来たのは22:24。 →
定刻より5分の遅延だが、先行列車も遅れていたため
間隔は普段通り。
37N表示の2本目は7318編成。 でもこれ、実は39N
なのね。 22:27発だが、1939N定刻より102分延。
信号故障発生時は南行1838Nだったため、西馬込から
すでに2037N牧の原行きで設定されていた模様。
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2分延の2262Hで22:28に日医大からやって来たのは
1643編成。 千葉ニュータウン中央〜印旛日本医大間の
1往復に1時間を要したが、要は折り返しのタイミングを
逸していた模様。 だが、すぐに折り返さなかったことが
後々京急車をどん詰まりにさせてしまう原因にもなった。
← 2009T:5305編成は25分延の22:39発。 当然、
折り返しには間に合わない。 |
2分延の22:41発となった2208Tに充当された1009編成。→
もはや京急車を戻すべき列車はなく、品川行きの2208Tに
車両が無いのをいいことに充当した。 _9T表示は仕様。
2029Nで来たのは7006編成。 どうやら、1933Nっぽい。
1933Nだとすると106分延の22:45発でそのまま入庫。
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この22:45発の後、25分間列車が途絶える。
本来の2262H充当車は回送で戻されることに。 →
通過したのは22:51だが、これはその後本来の
三浦海岸行きとして営業列車に変化したとか。 |
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南行の表示器が復帰したと思いきや、2240Tの後に →
突如現れた矢切行き。 しかもわずか1分後の設定。 |
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22:59発の2240Tは車庫に待避していた5313編成。→ |
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1分後の続行運転が出来る信号システムは無く・・・ →
2298N:7318編成の矢切行きが来たのは23:03。
本来39Nだった7318編成が、その39Nになるべく
高砂へ送り込まれることになったもの。
本来の2239N高砂発時刻にはすでに間に合わない時間
なのだが、遅延だらけのこの状態では関係ないみたい。 |
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