最終更新日:2004/ 9/21 Topics 【北総】 ダイヤ乱れの19〜23時 (2004年5月17日) Top


5月17日の18時10分頃、泉岳寺駅構内の信号機が故障して運転不能になった。 この帰宅ラッシュ時間帯に重なるダイヤ乱れは各方面に影響を出したが、これはその中から千葉ニュータウン中央駅の様子をピックアップしたもの。

別に撮りやすい場所でもないのだけど、島式ホーム一面で前後の移動がしやすいこと、全列車が走ること、出発信号が確認しやすいこと(列車接近時以外赤なので接近放送より先に接近していることがわかる)、一応撮れることなどを考慮すると、下手に移動するよりは定点観測・・・ってことになっちゃうのね。 ちなみに、北行は1725H、南行は1924Hまでが定刻で運転となっている。 その列車以降のダイヤが乱れ始めてから、23時過ぎまでの全列車をコンパクトデジカメで撮影してみたのがこれ。 まあ見ればわかるように、銀塩で撮っておこうと思わせるような列車はほとんど無く、矢切・品川行き以外は銀塩の出番がなかったのも事実。 7258・7808編成が来ないのもわかっていたため、夜間撮影で本領発揮のEF70-200F2.8LISなんか準備すらせず。

【事故前のN運行】
21N:7308,23N:7002,29N:9018,33N:7006,35N:9008,37N:9128,39N:7318



 2番線 北行 牧の原・日医大方面  1番線 南行 新鎌ヶ谷・高砂方面
ダイヤが乱れ始めて一番最初に来たのは車庫から引っ張り →
出された1928N:9108編成。 19:36に日医大を出て、  
先行列車から26分後の19:43発となっている。  
← 19時半頃に列車種別が普通へ変更されたものの、2行目は
  急行案内のまま。 北行は19:03発1725Hの後、ここまで
  何も来なかった。
← 先行列車から47分後の19:50発となった1729N:9018
  編成。






  20:09発の2020Nで戻ってきた9018編成。 ちなみに、
  この編成は最終列車の2321Nで入庫後、翌朝27Nにて
  車庫へ戻っている。 先行列車からは26分後。

  この間、1942T・1906Tが抜けているが、まだそれらの
  車両は北行で運転している。
  ↓
↑    
1729Nの後続列車である1743T:5312編成は20:10発。  
先行列車の約10分後を同じ各駅停車できたはずなのに、   
先行列車からは20分後。  





日医大から戻ってきた1942Tは20:27発。 →
先行列車からは18分後。   

この5312編成はその後19Tに化けたらしく西馬1T   
引上線入庫となり、翌朝01Tで出庫している。   
← 24分経過してやってきたのは19Tなれど、この車両は本来
  の19Tにあらず。 どこから湧いてきたのか不明な謎の
  列車が20:34発。 5314編成。

  青砥での折り返しに失敗し、高砂にも入庫出来なかった
  1823Tが逃れ逃れて来た可能性も。
← 続いて1743Tの後続列車である1807Tが12分後の
  20:46にやって来る。 5315編成で定刻より73分の遅延。
謎の19Tはそのまま引き返してきた。 先行列車からは →
26分後の20:46発で、2018Tと考えれば定刻の運転。  
← 復旧後初めての印西牧の原行きは5313編成の1741T。
  先行列車からは12分後の20:58発。 車庫入庫だが
  折り返し2240Tまでの待機。



  この間、1821N・1793H・1835Nの3本が抜けたが、21N
  はすぐ後に来るし、1835Nらしき車両も後から来る。
← 1821N:7308編成。 1741Tに遅れること7分の21:05
  発で、定刻より79分の遅延。
先行列車から22分後、21:08発の1906Tは定刻より →
75分も遅れている。  
← 91H表示の1025編成はもしかしたら1793Hの可能性も
  あるが、21:12発で1891Hより38分延、1793Hよりは
  83分延。

  1919Tの後続列車なのだが、1919Tは後から来る。
← 19Tの2本目は本来の1919T:5310編成。 定刻より
  ちょうど1時間遅れの21:20発。


  この前後の北行は概ね10分以内に列車が来ている。
← 55Hの1本目は1643編成で、1855Hより38分延の
  21:27発。


  この間、1939Nが抜けているが、後からやってくる。
91Hで日医大に行った1025編成は2130Hとして折り →
返して来た。 定刻の運転。   


この間、2092H・2034N・2018T・2090H・2138N・   
2154Hが抜けており、代わりに謎の18Tが1本走った。   
21:39発でやってきたのは本来の19Tだったのだが、 →
行先がなぜか矢切になってしまった5310編成。 定刻   
より53分延。 5300形としては初めての可能性も。   

この編成は矢切でしばらく停車していたようだが、   
その後西馬込まで回送で戻って行った模様。   




37Nを出した9128編成が来たのは21:52だが、1836N   
を押上2Tで打ち切って45分ほど停車ののち、折り返して   
来たもの。 西馬込〜押上間をそっくり運休している。  

この間、1933N・1931Hが抜けてるが、1931Hは来ない。  
↓    
  ↑
  2122Nの定刻で来た7308編成は1821N返し。
  2020Nだとしたら101分の遅延。







← 謎の列車はまだ来る。 25T表示なのだが25Tは1624Tを
  最後に北総線内には来ないはずだが、どうも2049Tの代走
  らしい。 2049Tだとしたら4分早い21:57発だが、この間
  1963Hが抜けているが、後からやってくる。
← 1939N:9008編成は76分延で22:01に戻ってきた。
  このまま車庫入庫となっているが、実はこれ、1835Nで
  116分の遅延。 先行列車からは4分後、普段より間隔が
  短くなっている。

  入庫後の9008編成は翌朝39Nを1往復だけで車両交換
  入庫し、夕方の1822Nで前日からの35N→23Nの流れに
  戻された。
2236N:9128編成は日医大からの運転で6分延の →
22:13発。 この間の抜けは無く先行列車から23分    
も後ではあるが、この時間帯はこんなもん。   
← 55Hの2本目は1009編成。 1855Hの定刻よりは86分
  の遅延で22:15発。 定刻ならばすでに北行の京急車は
  終わっている時間帯。
← 京急車はまだ来る。 1963H:1259編成は33分延で
  22:22に到着。 すでに折り返しに間に合わない時間に
  なってしまっている。
謎の25Tが折り返し2248Tとなって来たのは22:24。 →
定刻より5分の遅延だが、先行列車も遅れていたため    
間隔は普段通り。   





37N表示の2本目は7318編成。 でもこれ、実は39N   
なのね。 22:27発だが、1939N定刻より102分延。  
信号故障発生時は南行1838Nだったため、西馬込から   
すでに2037N牧の原行きで設定されていた模様。  
↓   
  ↑
  2分延の2262Hで22:28に日医大からやって来たのは
  1643編成。 千葉ニュータウン中央〜印旛日本医大間の
  1往復に1時間を要したが、要は折り返しのタイミングを
  逸していた模様。 だが、すぐに折り返さなかったことが
  後々京急車をどん詰まりにさせてしまう原因にもなった。





← 2009T:5305編成は25分延の22:39発。 当然、
  折り返しには間に合わない。
2分延の22:41発となった2208Tに充当された1009編成。→
もはや京急車を戻すべき列車はなく、品川行きの2208Tに   
車両が無いのをいいことに充当した。 _9T表示は仕様。  



2029Nで来たのは7006編成。 どうやら、1933Nっぽい。  
1933Nだとすると106分延の22:45発でそのまま入庫。  
  ↓    
↑    
この22:45発の後、25分間列車が途絶える。   










本来の2262H充当車は回送で戻されることに。 →
通過したのは22:51だが、これはその後本来の    
三浦海岸行きとして営業列車に変化したとか。   

南行の表示器が復帰したと思いきや、2240Tの後に →
突如現れた矢切行き。 しかもわずか1分後の設定。   
22:59発の2240Tは車庫に待避していた5313編成。→
1分後の続行運転が出来る信号システムは無く・・・ →
2298N:7318編成の矢切行きが来たのは23:03。   
本来39Nだった7318編成が、その39Nになるべく    
高砂へ送り込まれることになったもの。   

本来の2239N高砂発時刻にはすでに間に合わない時間    
なのだが、遅延だらけのこの状態では関係ないみたい。   





写真はここまで。 この直後、23:10発の北行で7002編成が来るが、これは1822Nの折り返し。 1822Nは牧の原18:13発、それが牧の原に着くのは23:13。 羽田空港までの1往復に通常3時間のところ5時間を要したということになる。 なお、次の南行は23:13発の2342T金沢文庫行き最終列車だが、これは2009T:5305編成が折り返しているものの、途中で行先変更して西馬込に入庫する。

まあ散々たる状況だったわけだが、この原因となった信号故障、完全に復旧したのは21時過ぎだったとか。 運転再開までは1時間程度で済んでいたようだが、手信号で仮復旧という手段に出ていたらしく、それが遅れを拡大する原因にもなっていた。 手信号で2分30秒間隔の列車処理など出来るわけがないのだから仕方がないが、止まっていなかっただけ良かったと言えよう。


約4時間のレポ中、出て来た北総車は7002・7006・7308・7318・9008・9018・9108・9128編成の8本。 21N・23N・29N・33N・35N・37N・39Nの7運用に車庫から引っ張り出された1本を加えた8本で、数は合っているものの、これらが北行で来て南行でもう一度姿を見せることはあるものの、南行が北行で戻ってくることは無かった。 これは5300形でも同様のこと。

京成車が来ることは無く、都営車は運用された数こそ同じであるものの、早い時間帯に1本余計に来ており、その分だけ遅い時間帯が1本抜けている。 京急車は1運用分そっくり抜け、さらに南行は1本が回送で戻された結果、1.5往復が抜け落ちている。 北総車は37Nが区間運休した以外は所定通りの区間を運転していた模様。 その後、2138N→2239Nが高砂以南運休し、2138Nを2298Nに立て替えて運転している。 翌日以降は、35N→23N→21N→27Nの4日連続する運用が元通りの9008編成へ戻された他は、乱れたまま押し通されたようで、18日の21Nは本来の7002編成ではなく9128編成になっていた。

余談ながら、5200形は月検査のためか運用されておらず、ダイヤ乱れに乗じてどこかへ・・・ということはなかったようだ。 仮に出ていたとしても2328Tであればずっと高砂検車区待機であり、1804Tであれば事故発生当時泉岳寺南行を通り越した段階のため、どこへも行かずに以降の列車を運休して、車庫に取り込まれているだけである。


※時刻は1分程度のズレが生じている可能性もあり。







↑2018Tと↓2298Nの普通矢切行き、これら2カットのみネガ撮り




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