「日本史重要年代500」 高速右脳暗記 Part V





 1900 義和団事件  行くぞ 雄々しく 義和団事件 1900年    義和団が北京に侵入し,日独の外交官を殺害した。清朝が同調した為,8ヵ国が    出兵し撃退した。  1900 立憲政友会結成  行くぞ 雄々しい 立憲政友会 1900年    伊藤博文を総裁に結成。昭和初期に立憲民政党と二大政党時代を現出した。  1901 社会民主党結成  行くぞ おいらは 社会民主党 1901年    日本最初の社会主義政党。結党翌日に禁止。  1901 八幡製鉄所操業開始  行くぞ おいらの 八幡製鉄所 1901年    1897年着工, 1901年操業開始。日清戦争後の軍備拡張・製鋼業振興策による    官営製鉄所として,福岡県八幡村に設立。  1902 日英同盟(第1次)  行くぞ 鬼のロシアに 日英同盟 1902年    ロシアの南下策に対抗して日英間で結んだ同盟。 1902年に日英同盟協約。  1904 日露戦争  行くぞ 押し殺しても 日露戦争 1904年    日露両国の朝鮮・満州政策の衝突から開戦。甚大な損害の上にやっと勝利した。  1904 第1次日韓協約  行くぞ 押し付け 日韓協約1次 1904年    日露戦争の軍事制圧下に強要。日本政府推薦の財政・外交顧問を置く,いわゆ    る顧問政治で,軍事・経済的支配の基礎を作った。  1905 ポーツマス条約  行くぞ 怒られようとも ポーツマス 1905年    アメリカの斡旋を受け,アメリカのポーツマスで,日本全権小村寿太郎,ロシア    全権ウィッテとの間で講和条約締結するも,賠償金は取れず。  1905 第2次日韓協約  行くぞ 驕(おご)りの 日韓協約2次 1905年    日本は外交権を接収し,保護国化し,漢城に統監府を設置。  1906 日本社会党結成  行くぞ 愚かに 日本社会党 1906年    堺利彦らが結成し,政府が公認した最初の社会主義政党。第一次西園寺内閣の    融和政策に乗じて結成した。 -410  1907 日本社会党結社禁止  行くぞ 同じく禁止の 日本社会党 1907年    1907年,穏健派・過激派の対立で分裂,政府は治安警察法で結社禁止を命じた。  1907 義務教育6年  行くぞ 同じ教育 義務6年 1907年    小学校令改正によって,6年に延長。 1910年に就学率 98%に達した。  1909 伊藤博文暗殺  行くぞ お国の為と 伊藤暗殺 1909年    初代統監伊藤博文,ハルピン駅頭で韓国独立運動家安重根(あんじゅんぐん)に    暗殺される。  1910 大逆事件  行くぞ 異例だ 大逆事件 1910年    明治天皇暗殺計画という理由で,幸徳秋水ら 26名を起訴。翌年全員有罪となり    幸徳ら 12名が死刑となった。以後,社会主義運動は不振となった。  1910 韓国併合条約  行くぞ 異例の 韓国併合 1910年    伊藤博文暗殺などを契機に,韓国の全統治権を日本に譲渡することを約した。    以後, 1945年まで朝鮮総督府による植民地支配を行う。  1911 関税自主権回復  行くぞ いいぞ 関税自主権回復 1911年    外相小村寿太郎は,日露戦争の勝利を背景に,関税自主権を確保した条約改正に    成功した。  1911 工場法公布  行くぞ いいと 工場法 1911年    工場労働者保護の為,事業主に義務を課す法律が公布された。最低年齢12歳,    労働時間12時間,年少者の深夜業禁止などであるが,15人未満の工場には,    適用されず不備な点が多かった。  1912 第一次護憲運動  行くぞ 意地の 第一次護憲 1912年    桂内閣が議会無視の態度を取った為に,尾崎行雄(ゆきお),犬養毅(つよし)らは    憲政擁護会を作り,倒閣運動を展開した。桂内閣は,わずか53日で崩壊した。  1913 大正政変  行くぞ 勇んで 大正政変 1913年    第一次護憲運動の展開に,桂太郎は立憲同志会を作って対抗したが,少数派で    終わり,第三次桂内閣は,53日で崩壊した。  1914 シーメンス事件  行くぞ 石の飛ぶ シーメンス 1914年    軍需品購入をめぐりドイツのシーメンス社と海軍首脳部の贈収賄が発覚し,海    軍閥の山本首相を中心とする内閣は,総辞職となった。 -420  1914 第1次世界大戦参戦  行くぞ 意志固く 第一次 1914年    三国協商と三国同盟の対立が激化し,バルカン半島をめぐる紛争が,世界大戦に    発展。日本は大陸進出の好機と参戦した。青島(チンタオ)占領後,山東省に    進撃した。  1915 対華二十一ヵ条要求  行くぞ 以後寄こせと 二十一ヵ条 1915年    第二次大隈内閣が,中国における利権拡大の為に,袁世凱(えんせいがい)政府に    権益を要求した。  1916 工場法施行  行くぞ 色々有ったが 工場法 1916年    不備な点の多かった工場法だが,資本家の反対で, 1916年になってようやく    実施された。  1917 金輸出禁止  行くぞ いいなと 金輸出禁止 1917年    第1次世界大戦に参戦し,貿易が赤字となったので金輸出を禁止した。  1917 石井・ランシング協定  行くぞ いいなの ランシング 1917年    アメリカの参戦に際して,日米は中国問題で妥協する。米国は中国における    日本の[特殊権益]を,日本は米国に中国の[門戸開放]を承認。  1918 シベリア出兵  行くぞ 嫌でも シベリア出兵 1918年    新生ソヴィエトへの各国の干渉戦争に便乗し,寺内内閣は 7万3000人を派兵し    た。日本だけが1922年まで駐兵を続け,列国から領土的野心を疑われた。    1918 米騒動  行くぞ 嫌だが 米騒動 1918年    第一次大戦中の好景気で,物価騰貴の中,シベリア出兵の噂から米の買い占め    売り惜しみが起こり,富山県魚津市の米屋襲撃は全国に広がった。寺内内閣が    総辞職した。  1918 原敬(はらたかし)内閣  行くぞ 嫌がうえに 原敬内閣 1918年    原敬が衆議院に議席を持ち,軍部・外務大臣以外は立憲政友会員で組閣した最    初の本格的政党内閣。  1919 三・一独立運動  行くぞ 行くぞの 三・一独立 1919年    1919年3月1日,日本の植民地支配に反対し,「独立万歳」を叫んだ朝鮮全土に    わたる朝鮮民族独立運動。  1919 五・四運動  行くぞ 行くしかの 五・四運動 1919年    1919年5月4日,パリ講和会議で二十一ヵ条解消要求が拒否されたことから,    北京の大学生が始めた運動。条約調印拒否を叫んで中国全土に,反帝国主義の    愛国運動が広がる。 -430  1920 国際連盟発足  行くぞ 仁王顔で 連盟加盟 1920年    米大統領ウィルソンの提唱で,ジュネーブ本部の国際連盟が発足し,日本は常任    理事国に。  1920 戦後恐慌  行くぞ 仁王顔の 戦後恐慌 1920年    1920年3月の株式市場の大暴落を契機に起こった恐慌。繊維・米はじめ商品価    格も大暴落を続けた。第1次世界大戦による好況の反動。  1921 四ヵ国条約  行くぞ 不意に結ぶ 四ヵ国条約 1921年    ワシントン会議で,日・英・米・仏間で締結された。太平洋諸島の問題の平和    的解決を目指す。これにより,日英同盟は破棄された。  1922 九ヵ国条約  行くぞ じじも加わり 九ヵ国条約 1922年    四ヵ国に,伊・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国を加え九ヵ国間で締結    された。中国の主権尊重・門戸開放・機会均等を規定。日本は山東省の旧ドイ    ツ権益を返還した。  1922 ワシントン海軍軍縮条約  行くぞ 時々刻々減らせ 海軍軍縮 1922年    海軍主力艦の保有総トン数を,英米50万トン,日本30万トン,仏伊16万7000トン    に制限した。  1923 関東大震災  行くぞ 兄さん 震災復興へ 1923年    9月1日正午前,関東全域をマグニチュード7.9の大地震が襲う。死者行方不明    14万人。  1924 第1次国共合作  行くぞ 西向けと 第1次国共合作 1924年    反帝国主義闘争を明確にし,中国国民党は「連ソ・容共・扶助工農」を綱領と    して,中国共産党と連携。 1927年,蒋介石(しょうかいせき)の南京政府樹立後,    国共は分裂した。  1924 第2次護憲運動  行くぞ 西向きの 第2次護憲 1924年    護憲三派を中心に,清浦内閣打倒,普選断行などを掲げ起こした運動。総選挙の    勝利で,護憲三派による,加藤高明内閣が成立した。  1925 治安維持法  行くぞ にこりの 治安維持法 1925年    加藤内閣が,普通選挙法成立直前に立法。社会主義運動の取り締まりが目的。  1925 普通選挙法  行くぞ にこりと 普選法 1925年    納税資格制限を撤廃し,25歳以上の男子に選挙権,30歳以上の男子に被選挙権を    認めた。 -440  1927 金融恐慌  行くぞ 不慣れな蔵相 金融恐慌 1927年    片岡蔵相が,渡辺銀行を破綻と失言し,金融恐慌始まる。若槻内閣は総辞職し,    田中義一内閣成立。銀行法が制定され,五大銀行集中に進む。  1927 山東出兵  行くぞ 不慣れながら 山東出兵 1927年    国民革命軍の北伐に対し,田中義一内閣は在留日本人の生命・財産の保護を口    実に,3度山東省に出兵した。  1928 第1回普通選挙実施  行くぞ にやけず 第1回普選 1928年    露骨な選挙干渉をするも,無産政党8名が当選した。共産党員等を3月15日    に大量検挙(三・一五事件)し,緊急勅令で,治安維持法を改正し,最高刑を死刑と    した。  1928 三・一五事件  行くぞ にやつく 三・一五 1928年    3月15日の共産党員の全国的な大検挙。同時に共産党指導下の労働農民党ら    3団体を結社禁止とした。  1928 改正治安維持法  行くぞ にやりの 改正治安維持 1928年    田中内閣が,緊急勅令で改正・強化し,国体を変革する活動の指導者は死刑に    出来るようにした。  1928 張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件  行くぞ にやけて 張作霖爆殺 1928年    北伐軍の侵攻で,奉天に引き上げてきた張作霖が,奉天郊外で爆殺された。関東    軍参謀河本大作大佐らの陰謀であった。  1929 四・一六事件  行くぞ 憎しの 四・一六 1929年    三・一五事件に続く共産党弾圧事件。 339名が起訴され,党の幹部全員を逮捕。  1929 ニューヨーク株大暴落  行くぞ 肉をそぐ 大暴落 1929年    1929年10月ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し,世界経済恐慌となる。  1930 金解禁  行くぞ 見れゴールドの 金解禁 1930年    金本位制への復帰により貿易の拡大を図ったが,世界恐慌もあり輸出は不振で,    金は流出して失敗した。  1930 ロンドン海軍軍縮条約  行くぞ 身を削れ ロンドン軍縮 1930年    浜口雄幸(おさち)内閣は,緊縮財政策から,米英と補助艦の制限を調印した。    対米7割弱での締結は,政友会や軍部の統帥権干犯問題として批判を浴び,    浜口は東京駅で銃撃される。 -450  1930 統帥権干犯問題  行くぞ 身を震わす 統帥権干犯 1930年    海軍部内には,政府軍縮方針を認める条約派と反対の艦隊派があった。艦隊派    の軍令部長加藤寛治(ひろはる)は,内閣が軍令部長の反対を押し切って兵力量    を決定したのは,軍の統帥権を犯すものだとして,政府を攻撃した。  1930 昭和恐慌  行くぞ 身を削る 昭和恐慌 1930年    金解禁政策の失敗と,世界恐慌の大波で,繭価・米価が大暴落し,悲劇的な農業    恐慌となる。  1931 柳条湖事件[南満州鉄道爆破事件]  行くぞ 魅入られた 柳条湖 1931年    1931年9月18日夜,関東軍が満鉄線路を奉天郊外柳条湖で爆破。関東軍は    中国軍の行為と主張して報復の軍事行動を開始,満州事変に発展した。  1931年 満州事変  行くぞ 身1つで 満州事変 1931年    1931年9月18日,関東軍参謀石原莞爾等は,奉天郊外の柳条湖で,南満州鉄道    を爆破し,それを中国軍の仕業として攻撃を開始し,やがて満州全域を占領した。    この謀略に拠る占領が国際的非難を浴びる。  1932 上海事変  行くぞ ミニ戦争 上海事変 1932年    満州事変で排日運動の激化した上海で1月,日本人僧侶の殺害を機に勃発。激    戦の末,5月に停戦協定を締結。  1932 血盟団事件  行くぞ 身に血しぶき 血盟団 1932年    血盟団員による,前蔵相井上準之助(2月),実業家団琢磨(3月)の暗殺事件。  1932 満州国建国宣言  行くぞ ミニ国家 満州国 1932年    溥儀(ふぎ)を執政として, 1932年3月に建国を宣言。 1934年3月帝政。首都    は新京(長春)。  1932 五・一五事件  行くぞ 身に銃弾も 五・一五事件 1932年    海軍青年将校等が,首相官邸を襲撃し,満州不拡大政策を採る犬養毅(つよし)    首相を射殺した。  1933 連盟脱退通告  行くぞ 散々ごねて 連盟脱退 1933年    総会は 1933年2月,リットン報告書に基づく対日勧告案を, 42:1 で採択。    日本は3月連盟脱退を通告した。  1933 滝川事件  行くぞ 散々揉めた 滝川事件 1933年    滝川幸辰(ゆきとき)の「刑法読本」などが国家破壊の著作として休職処分と    なった事件。京大法学部教授会は全員辞表を出して闘ったが敗北した。 -460  1935 天皇機関説問題  行くぞ 見事な 天皇機関説 1935年    法人としての国家が主権の主体で,君主は国家の最高機関とする美濃部達吉の    憲法学説。貴族院で菊池武夫が反国体的学説として避難し問題化。美濃部の    著書発禁,貴族院議員の辞任で決着した。  1936 二・二六事件  行くぞ 見ろ大臣どもと 二・二六事件 1936年    皇道派青年将校等 1500名は,クーデタを起こし,内大臣・蔵相・陸軍教育総監    を殺害した。天皇の意志に拠って反乱は鎮圧され,皇道派は厳罰を受ける。    結果,統制派が主導権を確立し政治に介入を始める。  1936 日独防共協定  行くぞ 見ろソ連の 日独防共 1936年    コミンテルンの活動に対して,共産主義の拡大を阻止するための,共同防衛措置    を規定した。  1937 廬溝橋事件  行くぞ 見な中国軍と 廬溝橋 1937年    1937年7月7日,北京郊外の廬溝橋(ろこうきょう)付近で起こった駐屯日本軍    部隊と中国軍の衝突事件。近衛内閣が兵力増派を決定し 第2次上海事変 日                中戦争へと拡大して行った。  1937 日独伊三国防共協定  行くぞ 見な英仏の 日独伊防共 1937年    日独防共協定を拡大発展させ,英仏に対する枢軸体制強化の為に,イタリアをも    参加させた防共協定を調印した。  1937 南京事件  行くぞ 皆死地へ 南京事件 1937年    1937年12月,日本軍が南京占領後,引き起こした略奪暴行事件。死者は数万人    とも20万人とも言われる。  1938 国家総動員法公布  行くぞ 宮の公布 国家総動員 1938年    第一次近衛内閣が公布。戦時に際し,労働力・物資の割り当てを,議会の承認を    経ずに勅令で行うことが出来る様にした。戦時経済体制を形成。  1939 ノモンハン事件  行くぞ 惨苦の ノモンハン 1939年    満蒙国境を巡って,ハルハ河の草原で起こった紛争事件。日本軍はソ連戦車部    隊により,死傷2万人の壊滅的打撃を受け停戦した。  1939 第2次世界大戦勃発  行くぞ 惨苦覆う 第2次大戦 1939年    1939年9月1日,ドイツの対ポーランド侵攻による。9月3日に英・仏が対独    宣戦した。  1940 日独伊三国同盟  行くぞ よれ集(つど)う 3国同盟 1940年    三国防共協定を発展させ,三国軍事同盟を結ぶ。米英が仮想敵国だったので    米英関係が悪化。 -470  1940 大政翼賛会(よくさんかい)  行くぞ よれずに 翼賛会 1940年    新体制運動の指導的組織として設立。近衛首相が総裁。上意下達の国民総動員    体制が出来る。  1941 日ソ中立条約  行くぞ 宵闇の 日ソ中立 1941年    1941年4月,松岡外相が調印。中立友好と領土保全・不可侵を約す。  1941 太平洋戦争  行くぞ 宵の出撃 太平洋 1941年    12月8日,日本海軍は真珠湾を奇襲し,アメリカ太平洋艦隊に大損害を与えた。  1943 カイロ宣言  行くぞ 黄泉(よみ)の国へ カイロ宣言 1943年    ローズヴェルト・チャーチル・蒋介石がカイロに集まり,対日戦遂行・処理案    を決定発表した。  1945 ヤルタ会談  行くぞ 死後の国へ ヤルタ会談 1945年    ローズヴェルト・チャーチル・スターリンがヤルタで会談。対日秘密協定で,    ソ連の対日参戦と千島・南樺太領有を了承。  1945 広島・長崎に原爆が投下される  行くぞ 死後も 原爆投下 1945年    広島市死者20万人以上,長崎市死者14万人以上。  1945 ポツダム宣言受諾  行くぞ 死後の国も ポツダム宣言 1945年    8月14日,天皇の裁断によりポツダム宣言を受諾し,15日ラジオで終戦を    告げた。  1946 日本国憲法公布  行くぞ 喜びの 憲法公布 1946年    GHQ案をもとに,政府は草案を発表し11月3日公布され,翌年5月3日施行    された。  1946 財閥解体  行くぞ 喜べ 財閥解体 1946年    GHQの指令で,財閥の資産を凍結, 46年持株会社整理委員会が財閥の持株を    譲り受けて公売,株式の民主化を行った。  1946 農地改革  行くぞ よろしく分配 農地改革 1946年    GHQの指令で政府が策定した第1次農地改革は不徹底で,翌年,GHQの勧告    で第2次農地改革を行った。その結果,小規模自作農が増大した。 -480  1947 独占禁止法  行くぞ しないぞ 独占禁止法 1947年    財閥解体の一環として将来にわたって独占を予防する措置が成立した。  1947 教育基本法  行くぞ しなくては 教育基本法 1947年    教育の機会均等,義務教育9年制,男女共学を規定。  1948 昭和電工事件  行くぞ 世は末の 昭和電工 1948年    昭和電工の社長が,政界・官界に行った贈収賄事件。芦田内閣が総辞職した。  1949 下山事件  行くぞ 良く分からぬ 下山事件 1949年    1949年7月6日,国鉄総裁下山定則(さだのり)が,常磐線綾瀬駅付近で死体で    発見された。米軍の陰謀説が有る。  1949 三鷹事件  行くぞ 良く分からぬ 三鷹事件 1949年    1949年7月15日,三鷹駅構内で無人電車が暴走した。米軍の陰謀説が有る。  1949 松川事件  行くぞ 良く分からぬ 松川事件 1949年    1949年8月17日,福島県の東北線松川駅付近で起こった列車転覆事件。国鉄    労組員・共産党員20名が検挙された。 1963年,被告は全員無罪と決定。米軍    の陰謀説が有る。  1949 シャウプ勧告  行くぞ 良く効く シャウプ勧告 1949年    アメリカのシャウプを団長とする税制使節団が行った,税制改革の勧告。所得    税中心主義,地方税の独立,資本蓄積の為の減税などが主な内容。  1950 朝鮮戦争  行くぞ 号音 朝鮮戦争 1950年    北緯38度で,南北朝鮮軍の戦いに国連軍と中華人民共和国義勇軍が介入。激戦    の後, 1953年7月板門店(はんもんてん)で,休戦協定を締結。日本は特需景気を    得た。  1951 サンフランシスコ平和条約  行くぞ 来いと サンフランシスコ 1951年    日本は自由陣営として国際復帰した。 52か国の内,ソ連・チェコ・ポーランド    は調印せず。  1951 日米安全保障条約  行くぞ 濃い中身の 日米安保 1951年    平和条約と共に日米間で締結された日本の防衛の為の条約。アメリカの日本    防衛義務は明示されず,日米対等の条約ではなかった。 -490  1960年 日米安保条約改定  行くぞ 群れて反対 安保改定 1960年    東西の冷戦は緩和に向かっていたが,中ソを仮想敵国とする改定を,岸内閣が    断行した。  1964 東京オリンピック  行くぞ 無欲で 東京五輪 1964年    アジア最初の大会で,高速道路・新幹線を建設し,日本の経済復興を世界に発信    した。  1965 日韓基本条約  行くぞ 酷い過去捨て 日韓基本 1965年    漁業協定・請求権・在日韓国人の法的地位等の対立を解決し調印した。  1971 沖縄返還協定(翌年沖縄祖国復帰)  行くぞ 無い基地目指し 返還協定 1971年    1969年,佐藤栄作総理が訪米し,ニクソン大統領から 72年返還を勝ち取る。  1972 日中共同声明  行くぞ 何があっても 日中共同声明 1972年    ニクソン大統領の突然の訪中に,田中首相も訪中し,日中国交回復を実現した。  1976 ロッキード事件  行くぞ なろう金持ち ロッキード 1976年    アメリカ上院の公聴会で明るみにでた航空業界汚職事件。田中角栄前首相を    初め,全日空・丸紅関係者多数が逮捕起訴された。  1978 日中平和友好条約  行くぞ 悩み解消 日中平和友好 1978年    日中共同声明後,覇権条項を本文に入れる問題で交渉が難航したが, 1978年    福田内閣の時に北京で調印した。  1987 国鉄分割民営化  行くぞ 放す手綱の 民営化 1987年    中曽根康弘(やすひろ)内閣は,財政改革の為に,国営企業の分割民営化を行う。    日本電電公社(NTT),日本専売公社(JT),日本国有鉄道(JR)がいずれも    民営化された  1988 リクルート事件  行くぞ やや派手な リクルート 1988年    リクルートコスモス社の未公開株が政界や,NTT社幹部に譲渡された疑獄事    件。竹下内閣は疑惑の中で退陣した。  1991 湾岸戦争  行くぞ 悔いの残る 湾岸戦争 1991年    海部俊樹(としき)内閣は, 1991年の湾岸戦争の貢献問題で苦慮した。 -500