大鏡肝だめし・解説

作品について

 大鏡

  太政大臣道長について述べた部分。栄華の絶頂にある道長に至るまでの歴史を物語ったものが「大鏡」であるが、その道長の人となりを述べたもの。いずれも権力を失っていった兄たちに比べて、道長がいかに剛胆であったかを物語る。

登場人物

 花山院:(かざんいん) 花山天皇(65代。在位984〜986) この時、在位中。退位して、花山天皇という称号が決まる。「院」は退位後の尊称で、その人の最終の称号で呼ぶのは、敬意を表している。以下の人物も、最高の位にあった時の尊称で呼ばれている。

  即位した時は17歳で、感情的に不安定な性格だったらしく、藤原兼家が息子道兼らを使って退位に追い込んだ話が、「大鏡」の別のところにくわしくのせられている。(作品選択・物語のページから「花山院の出家」を選択すると読める。)

 入道殿:藤原道長(ふじわらの みちなが)(966〜1027)父は兼家、母は時姫。同腹の兄道隆・道兼の死後、内覧・氏長者・右大臣となる。さらに、摂政、太政大臣となり、藤原氏の全盛時代を出現させた。1019年出家、関白になった事実はないが、御堂関白と称され、日記を「御堂関白記」といい、自筆原本が現存する。

  この話の頃は、19〜20歳で、まだ、五位の蔵人だった。「大鏡」が語られる時点では、出家していて、「入道殿」と尊称されている。死因は糖尿病だったらしく、この病気で死んだことが明らかな最初の日本人。

  道隆:藤原道隆(ふじわらの みちたか)(953〜995) 兼家の第一子。道長の兄。一条天皇皇后定子の父。父の死後摂政関白となり、中の関白と呼ばれる。このころ、32〜33歳で、三位の中将だった。

  道兼:藤原道兼(ふじわらの みちかね)(961〜995)兼家の第四子。花山天皇を欺いて出家させ、外戚の一条天皇を即位させた。兄道隆の死後関白に就任したが、七日後に死んだため、七日関白とも呼ばれる。粟田殿(関白)。このころ24〜25歳で、頭中将だった。

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1御時に:花山天皇の在位の時(984〜986年)に。道隆は32〜33歳、道兼は24〜25歳、道長は19〜20歳で、それぞれ、三位の中将、頭中将、五位の蔵人であった。道長以外はたいへんな高官である。

 五月下つ闇:旧暦五月下旬の闇の夜に。「闇」というのは、下旬になると、月の出が遅くなる(10時ころ)から。

 五月雨も過ぎて:梅雨の時期も過ぎてはいたが

2かきたる:くしでけずって垂らす。;ぽたりぽたりとたれる。ここでは、雨が強く降る、ということ。

 さうざうしとや思しめしけむ:挿入文。

3殿上:殿上の間。清涼殿にあって、天皇の側近が控えている。そこに、さびしくて、天皇が出てきてしまった。

 出でさせおはしまして:動詞「いづ」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「おはします」連用形+接続助詞「て」。尊敬は、語り手の、天皇に対する敬意。「さす」と「おはします」と二重に使ってあり、地の文だから最高敬語

4遊びおはしましけるに:動詞「あそぶ」連用形+尊敬の補助動詞「おはします」連用形+過去「けり」連体形+接続助詞「に」。尊敬は、語り手の、天皇に対する敬意。

  殿上人たちと暇つぶしをなさっていると。双六のようなゲームをしたのかもしれない。

 人々:殿上に伺候していた貴族たち。特別な資格があり、殿上人(てんじょうびと)と呼ばれていた。

 物語申す:「まうす」は謙譲語で、語り手の、天皇に対する敬意。

  世間話をもうしあげる

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1し給うて:動詞「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形「たまひ」のウ音便+接続助詞「て」。尊敬は、話し手の殿上人に対する敬意。

 昔恐ろしかりけることどもなど:昔あった、死霊や生き霊の恐ろしい話など

  平安時代の人は、建物の内外の暗がりに、死んだ人の霊魂や、生きて恨みに思っている人の霊魂など、得たいの知れないもの(もののけ)が潜んでいて、油断している人間にとりつくと信じていた。物語にもそうした話は多く、現実的な恐怖であった。

 申しなり給へるに:謙譲動詞「まうしなる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」連体形+接続助詞「に」。謙譲は天皇に対する、尊敬は殿上人に対する敬意。

2「今宵こそ・・:帝の言葉。

 夜なめれ:名詞「よ」+断定「なり」連体形「なる」の撥音便「なん」の「ん」の無表記+推量「めり」已然形。

  已然形は係助詞「こそ」を受けた結び。夜であるようだ

  気持ちの悪い話をいくつも聞いたが、今夜はまさにそうした夜だ、ということ。

3かく人がちなるだに:この殿上の間のように、多くの人がいるのでさえ

 気色:建物内外の暗闇に何かが潜んでいるような気配。

4さあらむ:副詞「さ」+動詞「あり」未然形+婉曲「む」連体形。そうであるような

  真っ暗で、人気がないような。灯火の未発達な当時は、月明かり、星明かりのない夜は、まったくの闇であったろう。

 往なむや:動詞「いぬ」未然形+可能「む」終止形+疑問の終助詞「や」。行けるだろうか

  行けないに決まっていることを尋ねているから、反語いや、行けないだろう

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1仰せられけるに:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連用形+過去「けり」連体形+格助詞「に」。

  尊敬は、話し手の天皇に対する敬意。地の文で二重に使われているから、最高敬語。

 「えまからじ。」:殿上人たちの言葉。「え」・・打消(じ)で、不可能

  まからじ:謙譲動詞「まかる」未然形+打消推量「じ」終止形。謙譲は、殿上人たちの、天皇に対する敬意。

  「えまからじ。」とのみ:副助詞「のみ」は、異口同音に、行けないでしょうとばかり、ということ。

 申し給ひけるを:謙譲動詞「まうす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「けり」連体形+接続助詞「を」。謙譲は、天皇に対する、尊敬は、殿上人たちに対する敬意。

2入道殿:藤原道長(ふじわらの みちなが)。この話の頃は、19〜20歳で、まだ、五位の蔵人だった。「大鏡」が語られる時点では、出家していて、「入道殿」と尊称されている。死因は糖尿病だったらしく、この病気で死んだことが明らかな最初の日本人。

 まかりなむ:謙譲動詞「まかる」連用形+強意「む」未然形+推量「む」:行けるでしょうよ、といった感じか。主語は一人称だが、「む」は、意志にとらないほうがいいようだ。

3申し給ひけるを:謙譲動詞「まうす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「けり」連体形+接続助詞「を」。謙譲は、話し手の天皇に対する敬意、尊敬は道長に対する敬意。

 さるところ:賭けとか、勝負事にのりやすいところ、ということ。

 帝にて:名詞「みかど」+断定「なり」連用形+接続助詞「て」。帝であって

4「いと興ある・・:帝の言葉。

 道隆は・・道兼は・・:弟が行くからといって、兄たちまで行く必要はないように思われる。しかも、この時点での兄たちの地位は、そんな軽々しいことをするような低い身分ではない。この話は、道長の剛胆さを印象づけるための説話であろうとされるゆえんである。

  道隆:藤原道隆(ふじわらの みちたか)(953〜995) 兼家の第一子。道長の兄。一条天皇皇后定子の父。父の死後摂政関白となり、中の関白と呼ばれる。このころ、32〜33歳で、三位の中将だった。

  道兼:藤原道兼(ふじわらの みちかね)(961〜995)兼家の第四子。花山天皇を欺いて出家させ、外戚の一条天皇を即位させた。兄道隆の死後関白に就任したが、七日後に死んだため、七日関白とも呼ばれる。粟田関白。このころ24〜25歳で、頭中将だった。

  豊楽院:(ぶらくいん)平安京大内裏の南部、朝堂院の西にあった一画。朝廷の宴会場で、大嘗会、節会、賜宴、饗宴、射礼などが行われた。もちろん、行事のない時は、誰もいない。

  仁寿殿:(じじゅうでん)紫宸殿の北にあって、内宴(豊楽院で行われるより、私的な宴会)が行われた。これも、夜は人気がなかったろう。

  塗籠:(ぬりごめ)周囲を壁で囲った部屋。クローゼットにしたり、寝室にしたりした。

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大極殿:(だいごくでん)(「だいこくでん」とも)大内裏の中心となる朝堂院の正殿。本来、天皇が政(まつりごと)を親裁する場であったが、のち国儀大礼に際して臨御するだけとなった。つまり、日常的には使われず、夜など、人気がなかった。

 仰せられければ:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連用形+過去「けり」已然形+接続助詞「ば」。地の文で、二重に尊敬が使われているので、天皇に対する最高敬語。

2よその君達:命じられなかった他の君達

 「君達」は、本来、「親王、諸王など皇族の人々」。ついで、「上流貴族の子弟、子息」。ここでは、「公卿(くぎょう)の家の者」ということで、殿上の間にいた、比較的若い貴族たちを言うのだろう。

 「便なきことをも・・:ちょっと軽い天皇をあおりたてるようなことを言ったと、道長を批判している。

3承らせ給へる殿ばら:帝の命令をお受けになった方々。道隆、道兼のこと。

  承らせ給へる:謙譲動詞「うけたまはる」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」連体形。謙譲は、話し手の、天皇に対する敬意。尊敬は、道隆、道兼に対する敬意で、二重に使われているが、最高敬語は天皇とそれに準じる人へのものだから、誤用ということになる。

 御気色変はりて:(みけしき)お顔の色も変わって。暗闇に潜む物の怪の存在を信じていたから、顔が青くなって。

  じっさいの二人は、政治的陰謀において、果断であり、剛胆あったことが知られている。ここは、道長の伝記なので、引き立て役として、臆病な兄たち、ということにされている。この兄たちの一門が没落したのは、彼らが全盛期に、次々に疫病によって早世したからである。

 益なし:(やくなし)利益がない。まずい

  兄たちにしてみれば、自分が言い出したことでもないのに、つまらないことになった、という気持ち。課題を果たしても、たいして名誉になるわけでもないし、失敗すれば、馬鹿にされるだけである。

4入道殿は:道長様は

 さる御気色:そのような、臆したご様子

  さる:副詞「さ」+動詞「あり」連体形の短縮形。

 「私の従者をば・・:ここから道長の言葉。

  私の従者:宮中に連れて来ている個人の家来。子分にしている武士を家の警備や外出のガード役として従えていた例もある。

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1具し候はじ:動詞「ぐす」連用形+丁寧の補助動詞「さぶらふ」未然形+打消意志「じ」終止形。丁寧は、話し手である道長の、聞き手である天皇に対する敬意。

  個人の従者といっしょに行ったのでは、ひとりで行ったことにならないから、という意気込み。

 この陣:近衛の陣。皇居の警備にあたっている役人の詰め所。(その役人も指す)

 吉上:陣にいる警備の役人。

 まれ:格助詞「に」+係助詞「も」+動詞「あり」已然形の短縮形。

 滝口:宮中の警備や雑役にあたった武士の詰め所、「滝口所」の略。また、そこの役人をもさす。ここでは、滝口の武士。

  この陣の吉上まれ、滝口まれ:こうしたちょっとした仕事や使いにこれらの役人が使われていた。その、どちらでもかまわないから、ということ。

2昭慶門まで送れ:天皇の命令の言葉。そのように命令していただきたい、ということ。

  昭慶門:上の図を参照。ここまで道長は、天皇の派遣した護衛とともに行くつもりだと言っている。

 賜べ:尊敬動詞「たぶ」命令形。尊敬は、話し手である道長の、天皇に対する敬意。

 それより内:昭慶門の内側。そこに大極殿がある。

3入り侍らむ:動詞「いる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+意志「む」終止形。丁寧は、話し手である道長の、聞き手である天皇に対する敬意。

 申し給へば:謙譲動詞「まうす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+接続助詞「ば」。謙譲は、語り手の、天皇に対する敬意、尊敬は道長に対する敬意。

 証なきこと・・:帝の言葉。「なり」などが省略。証拠のないことだよ

  天皇の派遣した護衛は、道長が昭慶門を入ったということしか証言できない。大極殿の内部まで入ったという証人にはなれない、ということを指摘している。

4仰せらるるに:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連体形+接続助詞「に」。尊敬は、天皇に対する敬意で、地の文で二重に使われているから最高敬語

 げに:道長の心の中の言葉。

 御手箱:「手箱」は身辺の小物を入れておく箱。「御」は天皇に対する敬意。

 置かせ給へる:動詞「おく」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+存続「り」連体形。尊敬は、天皇に対する敬意で、地の文で二重に使われているから最高敬語

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1小刀申して:小刀を貸してくださいと申しあげて

 立ち給ひぬ:動詞「たつ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+完了「ぬ」終止形。尊敬は道長に対する敬意。

 いま二所:もうお二人。道隆と道兼。

 苦む苦む:動詞「にがむ」終止形を重ねた連語。苦い顔をしいしい

2おはさうじぬ:動詞「おはさうず」連用形+完了「ぬ」終止形。

  「おはさうず」は動詞、補助動詞、接尾辞として用いられ、「いらっしゃる(行く、ていらっしゃる)」。

3子四つ:午前1時半頃。

 奏して:謙譲動詞「そうす」連用形+接続助詞「て」。謙譲は、天皇に対する敬意。近衛府の役人が大声で時刻を知らせる。その時刻に、天皇が肝試しのことを言い出された。

 議するほどに:殿上人たちが、できません、いや、できると議論するうちに。

4丑:午前2時頃。

 道隆は、右衛門の陣より・・:天皇のことば。

 右衛門の陣:宜秋門の別名。そばに右衛門府の詰め所があったので、このように言った。上図参照

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1承明門:上図参照

 それ:出口。

 分かたせ給へば:動詞「わかつ」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+接続助詞「ば」。二重尊敬は、天皇に対する最高敬語

2しか:そのように。

 おはしましあへるに:尊敬動詞「おはしましあふ」已然形+完了「り」連体形+接続助詞「に」。尊敬は3人に対する敬意。「−あふ」は動作(おはします)の主体が複数であることを表す。

 中の関白殿:道隆。「中の関白」は後の呼び方。この時点では、三位の中将。

 宴の松原:宣秋門の外の広場(上図)。鬼が出た話などが伝えられていた。

 声ども:「ども」は複数を表す。

4帰り給ふ:道隆は、宣秋門のところまで行って、こわくて引き返した。

 粟田殿:道兼。

 露台:紫宸殿と仁寿殿の間にあった、屋根のない(露)板敷きの台(上図)。

 外まで:台に出て、そこから仁寿殿に入るのだが、入れなかったということ。

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1わななくわななく:動詞「わななく」を重ねた連語。わななきながら。ふるえながら

 おはしたるに:尊敬動詞「おはす(行く)」連用形+完了「たり」連体形+接続助詞「に」。尊敬は、話し手の粟田殿(道兼)に対する敬意。

 東面:宮中の建物は北を背に立てられているから、では右側。

 砌:(みぎり)雨だれを受けるため、軒下に敷かれた石畳。

2軒と等しき人:背丈が建物の軒と同じくらいの大きな人。軒は、屋根の一番低い所だが、宮殿は巨大な建物であるから、そこに頭が届くというのは、3〜4メートルはあるだろうか。もちろん、恐怖のあまりの錯覚である。

 身の候はばこそ・・:天皇の命令に背いて引き返す口実。ここで私が死んだら、天皇にお仕えすることができない、ということ。

  身:ここでは「自分」をさす。

  候はばこそ:謙譲動詞「さぶらふ(あり)」未然形+接続助詞「ば」+係助詞「こそ」。謙譲は、話し手である道兼たちの、天皇に対する敬意。

  仰せ言:天皇がおっしゃった言葉。ご命令

  承らめ:謙譲動詞「うけたまはる」未然形+推量「む」已然形。謙譲は、話し手である道兼たちの、天皇に対する敬意。已然形「め」は、係助詞「こそ」を受けた強調の結び。

4おのおの:道隆と道兼のそれぞれ。両人とも、おなじ口実で戻ってきたのである。

 立ち帰り参り給へれば:謙譲動詞「たちかえりまゐる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」已然形+接続助詞「ば」。謙譲は、話し手の天皇に対する敬意。尊敬は、道隆と道兼への敬意。

 御扇をたたきて:帝は御扇をたたいて。手を打って、というのと同じ動作。「やっぱりだめだったか」、とおもしろがる様子。

 笑はせ給ふに:動詞「わらふ」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+接続助詞「に」。二重尊敬は、天皇にたいする最高敬語

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1入道殿は:一方道長様は。ここで3人がそろって戻ってくれば、やはり・・ということになるのだが、道長はいつまでたっても戻って来ない。

 見えさせ給はぬを:動詞「みゆ」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」未然形+打消「ず」連体形+接続助詞「を」。二重尊敬は、道長に向けられているので、最高敬語ではなく、誤用。

2思しめす:尊敬動詞「おぼしめす」連体形。尊敬は、話し手の天皇に対する敬意。

 さりげなく:形容詞「さりげなし」連用形。大冒険をした、という様子でもなく

 ことにもあらずげにて:形容動詞「ことにもあらずげなり」連用形+接続助詞「て」。「ことにも あらず」に形容動詞を派生する接尾辞「げ」がついたもの。なんでもない、という様子で

3参らせ給へる:謙譲動詞「まゐる」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」連体形。謙譲は、語り手の天皇に対する敬意。二重尊敬は、道長に向けられているので、最高敬語ではなく、誤用。

  帝の御前に参上なさった。殿上の間に戻ってきた。

 問はせ給へば:動詞「とふ」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+接続助詞「ば」。二重尊敬は、天皇に対する最高敬語

  そこで帝は、どうだったか、行けたのかと尋ねた。

 いとのどやかに・・:それに対する道長の様子。もちろん、じゅうぶん計算された行動である。

 御刀に:出て行くとき、天皇から借りた小刀に添えて

 削られたる物:その小刀で削られた木片

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1奉らせ給ふに:謙譲動詞「たてまつる」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+接続助詞「に」。謙譲は、話し手の天皇に対する敬意。尊敬は道長に対する敬意で、二重に使われているが最高敬語ではない(誤用)。

 「こは何ぞ。」:道長に対する天皇のことば。

 仰せらるれば:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」已然形+接続助詞「ば」。二重尊敬は天皇に対する最高敬語。

 「ただにて・・:道長の答え。てぶらで

2帰り参りて侍らむは:謙譲動詞「かへりまゐる」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+婉曲「む」連体形+係助詞「は」。謙譲は、道長の天皇に対する敬意。丁寧は、道長の聞き手(天皇)に対する敬意。「かへりまゐりはべらむは」と言ってもよいところ。帰ってまいりますようなことは

 証候ふまじきにより:証拠がございませんでしょうから。前に、天皇は証拠にこだわっていた。(5ページ3)

  候ふまじきに:丁寧動詞「さぶらふ」未然形+打消推量「まじ」連体形+格助詞「に」。丁寧は、道長の聞き手(天皇)に対する敬意。

 高御座:(たかみくら)大極殿の中央にあった天皇の玉座。

3削りて候ふなり:動詞「けづる」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「さぶらふ」連体形+断定「なり」終止形。丁寧は、道長の聞き手(天皇)に対する敬意。削ったのです

  現在の高御座は黒塗りの立派なものだが、当時のものは白木で、少し削ってもかまわなかったのだろうか。

 申し給ふに:謙譲動詞「まうす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+接続助詞「に」。謙譲は天皇に対する、尊敬は道長に対する敬意。

4思しめさる:尊敬動詞「おぼしめす」未然形+尊敬「る」終止形。二重尊敬は天皇に対する最高敬語。

 異殿たち:別の貴族(複数)。道隆・道兼をさす。

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1この殿:道長。

2感じののしられ給へど:動詞「かんじののしる」未然形+自発「る」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+接続助詞「ど」。ほめ騒がずにはいらっしゃれないのに。尊敬は、天皇や貴族たちへの敬意。

3うらやましきにや・・:二人の様子。

 うらやましきにや・・:「あらむ」などが省略。

 いかなるにか・・:「あらむ」などが省略。

4候ひ給ひける:謙譲動詞「さぶらふ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「けり」連体形。過去の連体形は係助詞「ぞ」の結び。謙譲は、天皇に対する、尊敬は二人の兄たちに対する敬意。

 思しめされければ:帝の動作。尊敬動詞「おぼしめす」未然形+尊敬「る」連用形+過去「けり」已然形+接続助詞「ば」。二重尊敬は、天皇に対する最高敬語。天皇はまだ、道長が大極殿に行ったことを完全に信じたわけではなかった。

 つとめて:肝試しがあった夜の翌朝。

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1「蔵人して・・:天皇の命令。

  蔵人:(くろうど)天皇の身辺にあって雑用をする役人。

 削り屑をつがはしてみよ:道長の持ってきた木片を柱の傷に当てて合うかたしかめよ、ということ。

2見たうびけるに:動詞「みる」連用形+尊敬の補助動詞「たうぶ」連用形+過去「けり」連体形+接続助詞「に」。「たうぶ」は「たぶ(与える・食べる)」という尊敬動詞からできた補助動詞。尊敬は、天皇に対する敬意。実際の動作は蔵人がしたわけだが、天皇の命令によって行ったものなので、敬語を使ったのであろう。

 違はざりけり:木片と傷跡がぴったりはまった、ということ。道長が夜、ここまで来たことが実証された。

3けざやかにて侍めり:今もはっきり残っているようです。推量を使ったのは、大極殿は誰でも見に行ける場所ではないため。

  侍めり:丁寧動詞「はべり」連体形「はべる」の撥音便「はべん」の「ん」の無表記+推量「めり」終止形。丁寧は、聞き手・読み手に対する敬意。

 末の世:当時20歳位だった道長がいま、入道殿と呼ばれ、その権勢の絶頂にある今でも、ということ。道長が死ぬのは60歳を越えたころだから、40年近くたっているだろう。

4見る人:削り跡を見て、道長の剛胆さをしのぶ人。

 あさましきこと:夜中に、物の怪の危険を冒して肝試しに応じたことは、驚くべきことだ、ということ。

 申ししかし:謙譲動詞「まうす」連用形+過去「き」連体形+終助詞「かし」。謙譲は、道長に対する敬意。連体形は、係助詞「ぞ」の結び。みんなで申し上げたのだよ

  有名な競射の話とともに、若い頃からの道長の剛胆さを伝え、だからこそ今日の権勢も当然なのだ、という説話である。

 (二重敬語について:道長などに対して敬語が二重に使われている。地の文で二重尊敬は天皇やそれに準じる身分の人に対する最高敬語になるが、その他の人に対しては誤用となる。ところが、「大鏡」は老人が聴衆に歴史を物語るという形式をとっているから、全体が会話であるとすれば、会話のなかで二重尊敬を天皇以外の人に使っても誤用とはならない。