狭衣物語解説

作品について

 「狭衣物語」:本文が高校の教科書に載ることはないが、名前は文学史に、源氏物語以後の作品として必ず出てくる。成立・作者についてもまだ確実な説はないようで、内容も超現実的で、退廃的な作品とされる。

 この場面は、狭衣大将の家で、正月十五日の行事である粥杖の遊びをしている。粥を炊く薪で作った杖で女性の腰を打つと、打たれた女性に子供ができると信じられていたもので、ここでは、男性である狭衣大将を打って、その子供ができることを話題にしている。

登場人物

 狭衣大将:容姿、才能のすぐれた主人公。従姉妹の源氏宮を愛していたが、源氏宮は結婚を許されない斎宮になってしまう。失意の彼は、よく似た女性と結婚するが(退廃的)、のちにいろいろあって、なんと天皇になる(超現実的)。

 女君源氏宮よく似た女性として狭衣大将と結婚する。ここでは、親の喪に服していて、狭衣大将の家に同居している(親が健在なら、狭衣大将が女君の家に婿入りするのが普通だったが)。

 若宮狭衣大将の父が養育している8歳の宮。天皇家の子ども達は、母やその縁者の家で育てられた。光源氏が、母の死後、父帝の手元で宮中で育てられたのは、父の愛が異例に強かったから。

 狭衣大将付きの女房たち。

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十五日:睦月(一月)15日。粥杖の遊びの日。

おほんすがた:普通に、おんすがたと読んでもよいだろう。

 あらたまるしるし:新年にあたって、新しい衣服を身につけるのだが。

はなやかならね:上の係り「こそ」を受けて打消「ず」が已然形になっているが、これは結びでなく、逆接の形で、下につながっている。女君やその召使いたちは、喪服をつけていたが、大将付きの召使い達はご主人から頂いた新しい衣装を身につけていたということ。

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祝ひ過ぐしつつ:接続助詞「つつ」は繰り返しを表し、さまざまの新年の行事をいくつもしたこと。

粥杖:本来、粥を煮るときのスプーンのようなものだろうが、この日のための趣向をこらした棒であろう。これで若い女性の腰を打って、その人に赤ちゃんができるようにという祝いの習俗である。もちろん、不意をついて打つのが遊びで、打たれないように用心したり、大騒ぎになるのである。

思はく:動詞「思ふ」の名詞化で、「思っていること」。「自分は打たれないようにしよう、油断している人を打ってやろうと考えていること」。自分付きの女房たちの陽気な様子を狭衣大将が見ている。

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集まりて打て:侍女たちに言っている。

 さらばぞ誰も子はまうけむ:本来粥杖の遊びは、それで打たれた女の人が子どもに恵まれるという行事だが、逆に男を打った女は、その男の子を産むだろうという冗談。自分を打った女は、自分に気があると見なすぞということ。

みな狭衣大将付きの上房たち皆。

出で来まじげ:動詞「出で来」に打消推量「まじ」がついたもの(出て来ないだろう)に、接尾辞「げ」がついて形容動詞化(出て来なそうだ)している。狭衣大将付きの上房たちから見ても、自分たちの主人と女君との夫婦仲がよさそうだと言っている。

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うちささめくも:動詞「うちささめく」の連体形・準体法。名詞になっているから、「うちささめく女房」と解釈する。その場を見ていた女房が同輩に耳打ちするのだが、けっこう主人に聞かせるつもりで話すものではなかったか。女主人の侍女など、主人が言えないことを代わって相手の男性に聞こえるよう言う場面がよくある。

小さき粥杖:子供用に作ったもの。

打ちたてまつり給へば:謙譲の補助動詞「たてまつる」は打たれた狭衣大将への、尊敬の補助動詞「給ふ」は若宮への敬語。若宮は狭衣大将の父にそそのかされて、打ちにきたのである。父の、早く子どもを作れという意志表示。

 うれし:形容詞「うれし」の語幹。たまたま終止形「うれし」と同じ形だが、語幹だけのときは、感動表現になる。

かたじけなく:尊い血筋の方だから。

 おぼえ給ふ「たまふ」は尊敬の補助動詞・連体形(接続助詞「に」がついているので)。したがって若宮が主語で、「思もわれなさるが」と解釈される。これを「おもいますが」と訳してはいけない。もしそう言いたければ、「思ひ 給ふるに」となる。この時の「たまふ」は、謙譲の補助動詞「給ふ」(下二段活用)の連体形。

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*まうけつべかめり:動詞「まうく」連用形に完了「つ」終止形がついている。しかし、子を儲けるという動作は完了していないから、用法としては強意になる。これに、推量「べし」と婉曲「めり」がついている。このとき、「めり」は連体形に接続するから、「べかるめり」となるが、「る」が撥音便になって「べかんめり」、その「ん」が表記されずに「べかめり」となっている。

2女君のおはする:おそらく自分の寝殿から妻の対の屋に行ったのであろう。

3几帳:足の付いた移動式のカーテンで、貴人の女性は常にこうしたものに取り巻かれていた。妻の部屋にこっそり入って(当然侍女達は気づくが、黙っていろと合図したのだろう)、女君を取り巻く几帳の上からのぞいた場面。

も:女君付きの女房たち。狭衣大将の意図を察して、おかしがっている。

 あなかま:静かにしろという決まり文句。

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弁の乳母:貴族の家では、子どもが産まれると、何ランクか下の家柄の、最近子どもを生んで育てている女性をうばとして、乳を与えさせた。これを「めのと」と言うが、主人の家に移り住んで、自分の子どもといっしょに主人の子どもを育てた。その後、子どもが成人しても、結婚までとりしきり、結婚後もこのように世話を続けた。主人が没落すると、最後に頼ったのは乳母の家であった。また、一緒に育てられた乳母の子(乳母子(めのとご))も、その子に仕え、もっとも信頼のおける家来として、生死を共にし、最後まで主人を見捨てないものとされた。光源氏の場合、色事にいつも付き添っていた惟光が乳母子である。

 うれしきながら狭衣大将が主人を愛し、子どもを産ませたいと思ってくれるのはうれしいものの。

あやふげにおぼえて:風にもあてないよう保護している主人だから、不意に打たれたらショックを受けるだろうと心配して。といって、狭衣大将に文句を言えないジレンマが顔を赤くさせたのだろう。

をかしかりける:おそらく、女君を粥杖で打ったりしてはいけないと、口やかましく乳母に言われていた女房たちにとってみると、乳母が困っている様子が愉快だったのだろう。

新しき年の忌々しさにや・・:女君の様子。新年早々喪服姿では不吉だということ。「にや」の後には、「あらむ」などが省略。

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浅葱:藍色のうすいもの。ここでは、喪服の灰色に代えて用いた。

浅葱(あさぎ)
 

 上にも:上着として。 

 同じ:連体形は「おなじき」であるが、「おなじ」で用いられることがおおい。

手習ひして:暇にまかせて古歌などを書きすさんでいるのだが、男が見ることを予想して、自分の気持ちや言いたいことをにおわせていることがある。

 吹き寄らむ風:推量「む」連体形は、仮定の用法で使われることが多く、ここでも「もし風が吹いてきたら」ということ。

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この杖も:粥杖で不意に腰を打つことなどできなくて。

これ見給へ:不意に打つことをやめて、粥杖を女君に見せた。

嘆き給ひて:父親としては孫を見て、安心したかった。

わびしう痛き目:若宮に打たれたことを大げさに言っているのだろう。

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恐ろしかなる:今でもそうだが、特に医学の発達以前のお産は、女性にとって命がけで、赤子または産婦が死ぬ可能性が高かった。

 むつかしきわざかな:父親の希望も叶えたいし、妻を危険にさらしたくないし、困ってしまう。

2いみじう赤くなして:夫婦の営みのことをほのめかされて、恥ずかしいのである。

4思ふ人:本当に愛している源氏宮

 ここでは、いかに美しく可憐な女君も、源氏宮に似ているという点で評価されている。意中の女性が手に入らなくて、別の女性と結婚しながら、表面的にしか妻として待遇しないというケースは、源氏物語で、柏木が源氏の正妻である女三の宮を愛しながら、妻とした落葉の宮を心から愛せないという話がある。狭衣大将もその設定を受けているが、父親が心配することからも、彼は妻のもとで夜をともにすごすことをなるべく避けているのではないか。しかも、そのことを妻の出産の危険を恐れるからだと言いつくろっているのだろう。