「今鏡」は、文学史で「大・今・水・増」と覚える、「鏡物」の二番目です。つまり、「大鏡」にならってつくられた、歴史物語です。高校の教科書で学ぶことはありません。内容も、「大鏡」その他の教科書に載っている古文を学んでおけば、解釈できます。この話も、光源氏を気取った高級貴族の振るまいが賞賛されています。
場面:宮内卿有賢の屋敷
登場人物:成通:この話の主人公。
女房:有賢の屋敷に仕える侍女。成通が愛人として、彼女の部屋に通っている。
宮内卿有賢:この屋敷の主人。成通の愛人である女房の雇い主。成通より地位が低い。
さぶらひども:宮内卿有賢の男の召使いたち。「さぶらひ」は、「貴人に仕える人」で、武士(地方に領地を持つ武装者)ではない。
2よるよる様をやつして通ひ給ひける:平安時代は、男が女性のところに通う形で結婚が始まった(通い婚)。その場合、男は、夜、人に知られないようにするのがマナーだったようで、成通はさらに、自分の高い身分を知られないように通ったのである。源氏物語にも、光源氏が、自分の身分や名前を知られないようにして、夕顔のもとに通う話がある。
さぶらひども:「ども」は複数を表す接尾辞。「さぶらひども」で一つの派生名詞である。
3もののふ:武士。貴族から見るとはるかに低い身分であったし、都の召使いたちも、田舎者と軽蔑したのであろう。今昔物語集などにも、地方の武士が都の女を妻にして喜んで帰る話がある。
入るにか・・:「あらむ」などが省略されている。
1いみじく思ひ嘆きて:女房に仕える下女などから聞いたのであろう。身分の高い貴族がそのような暴行をうけることは、対面にもかかわり、地位をも失いかねないことであった。
2おはしたりけるに:「ける」は連体形で、準体法と考えられる。つまり文節全体が名詞として機能しているので、文脈にふさわしい名詞として訳さなければならない。この場合、「とき」を補って訳した。名詞についているのだから、「に」は格助詞ということになる。もし、名詞では訳せなくて、「・・ので」「・・のに」などと訳すしかないとしたら、この「に」はもはや格助詞ではなく、接続助詞に変化したということになる。
2厳めしげなり:形容詞「いかめし」に接尾辞「げ」がついて、形容動詞を派生したものである。その連用形。
築地:貴族の屋敷は築地によって囲まれていたが、しばしば(意図的に)崩れたところがあったらしい。夜、邸内の女性のもとに通ってくる男性の便宜のためで、平安時代の物語でも、しばしば男性は築地の崩れ目を出入りしている。
4または:「また」(再び、もう一度)「は」ということ。現代語の「又は」ではない。
よも:副詞の呼応については、文法編を参照。
1てづから:貴族は自分で荷物を持ったりしないから、これは異例のこと。もっとも、女の所には一人で来るのだからしかたがないが。
3いづらいづら。:召使い達はご苦労なことに一晩中見張っていたのである。どの部屋に入ったか分かっているのだから、「どこだ、どこだ」と言うのは、「分かっているぞ、出てこい」という脅かしである。
4日さし出づるまで出で給はざりければ:通い始めの男は、まだ、暗いうちに女の部屋を出るのが習慣であったので、これも異例のこと。明るくなってから姿を見られたら、もっと恥ずかしいことになるのに、女房も気が気でなかったろう。
1打ち伏せむずる:「うちふす」という複合動詞に、助動詞「むず」がついている。「むず」は「む」+「と」+「す」(しようとする)からきたもので、したがって、「む」と同じ用法を持つ。
3折烏帽子、水干:いずれも身分の低い者、武士の身につけたもの。まず、召使いたちの予想通り、武士身分の男がやっと出てきたと思わせたのである。
1沓:木でできたスリッパのような物で、およそ実用的ではない、つまり高貴な身分の人が身につける物。身分の低い物は、はだしか、せいぜい、草履や藁靴であった。
2いかに・・:あることぞ。などが省略。武士が出てくるかと思ったら、身分の高い人の持ち物が現れたので、当惑しているのである。
3直衣、指貫:いずれも高貴な身分の人の衣装で、そんな人に失礼なことをしたら、召使いたちはひどい罰を受けることになる。
4逃げまどひ、土をほりてひざまづきけり:そんなことを企んだだけで、罪になるから、こりゃしまったと、逃げだしたり、地面にもぐりそうになるくらい平伏したのである。
1宮内卿も:宮内卿有賢。何気なく邸内をくつろいでぶらついていたようだが、召使いたちが忍び込んだ武士をぶちのめそうとしていたのを当然、知っていたはずである。
装束して:自分より若かったと思われるが、身分は上であるから、正装したのである。
2ことにか・・:「あらむ」などが省略。「ことなり」を疑問形にするため、疑問の係助詞「か」を挿入した。そのため、断定「なり」が連用形「に」になり、「ことにか ある」となった。さらに、推量「む」をつけたしたわけである。現代語にも、似た言い方があって、「する」に「は」や「も」を挿入すると、「しは する」「しも する」と補助動詞があらわれてくる。
1そのおこたり申さむ・・この科:ここら辺はいかにも貴族の会話で、成通が、「勝手にお屋敷に出入りしたお詫びを申し上げようと・・」と下手に出れば、有賢も、「この失礼の償いをどういたしましょうか」と召使いの非を自分の責任として謝罪している。
4かの女房を賜はりて:償いとして、愛人の女房を連れて行くと言ったところに、有賢のしゃれた行動が現れている。しかも、こんな出来事で、この屋敷に居づらくなった愛人も引き取って、女に対して誠意のあるところを見せている。
1左右なきことにて:宮内卿有賢としては、償いをすると言った以上、反対できないし、この女房に去られても損なことでもないのである。
2まうけたりければ:成通は、袋を持って戻ったときに、女を連れ帰る手はずも整えておいたのである。当時の貴族としては、平気で一晩中、自分を待っていろと待機させていたのであろうが。
3具して:恥をかかされる危機をうまく回避したことで、成通は賞賛されているのだが、同時に愛人を見捨てないところも評価されていると思われる。光源氏も、愛人たちを最後まで見捨てなかったところに理想的な姿をとどめている。ということは、ほとんどの古代の男たちは、愛人や愛人の生んだ子供にはあまり関心がなかったのである。(妻や子供を守る、同時に支配するというのは、家というものを意識するようになった中世の男たちである)