松浦宮物語解説

作品について

 松浦宮物語:作者未詳。12世紀後半の成立と思われる。源氏物語より後の作品だということを押さえておく。

  弁の少将(弁の君)は、神奈備の皇女に思いを寄せていた。二人は歌の贈答などをすることもあったが、神奈備の皇女は帝のもとへ入内することになってしまった。(以下の文章はそれに続く部分である) 弁の少将は遣唐使として渡唐し、唐帝の妹、華陽公主から琴の秘曲を伝授され、契る。公主の死後、帰国し、日本に生まれ変わった公主と結ばれる。

登場人物

 弁の少将(弁の君):橘氏忠。大将と明日香の皇女との子。

 大将:弁の少将の父。

 明日香の皇女:弁の少将の母。

 神奈備の皇女:弁の少将と文通していたが、帝のもとへ入内した。

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たえぬ思ひに:主語は弁の少将(弁の君)。結ばれることのできない神奈備の皇女への思慕に苦しんでいる様子。

明けむ年:来年。推量「む」が連体形で使われるときの仮定・婉曲の用法の一種として、単に未来のことを表す用法が認められる。ここでも、来年のことだから、単なる未来と考えられる。

 出だしたてらるべき:ここでも推量「べし」は、遣唐使を派遣するかどうかは、日本の朝廷が勝手に決めていたから、当然・義務の用法というより、上の「む」と同じく、未来または予定でよいのではないか。

 なしたまふべき:この「べし」も、朝廷の独自の判断で人選したのだから、未来・予定でよいだろう。

3いみじきこと:外国へ行くこと自体、当時としてはたいへんなことだが、まして、航海術の未熟な時代で、生還を期しがたい使命であったから。

4すぐれたるを選ばるる:遣唐使や留学生に選ばれた者は、当時最優秀の人物で、日本の歴史に名を残す人々であった。(生きて帰れれば)

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いづれも:神奈備の皇女の入内をとどめることも、道唐使を辞退することも、弁の君にとっては、どちらも。

あぢきなさ:恋人を失ったやりきれなさ。

かくなむ・・:「詠みける」などが省略。

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入らましものを:「まし」は反実仮想。普通はそうだのに、実際は自分は・・ということ。「ものを」は、ここでは詠嘆の用法。他の遣唐使はただ異国に行くという悲しさだけだが、自分はそれに加えて恋人を失うという二重の苦しみを受けていることを述べている。

漕ぎ離れむ:遣唐使として日本を離れること。

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さまをだに:「だに」は類推の用法(・・さえ)。失った恋人だが、神奈備の皇女が帝に寵愛されているということはせめて見聞きできるのに、それさえ・・という気持ち。

 いみじう:「いみじう(く)」は、その場にあった言葉を補って訳すが、たいていは「悲しく、つらく」などが多い。

つかはさるべければ:推量「べし」は、ここでは予定の意味であろう。

4才をこころみ:中国の朝廷に行っても恥ずかしくない、漢詩文の学問があるかを試験する。

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正下の加階:当時の貴族は官位が与えられたいた。官は、大臣・・少将・・などの官職で、位は正一位以下の身分等級だった。どの官はどの位のものがなれるか決まっていて、少将は正五位下に相当した。したがって、弁の少将が加階されるとしたら、正五位下であることが自動的に分かる。

馬のはなむけ:陸路の旅立ちにあたって、乗馬の鼻を行く先に向けて、旅の無事を祈ったことから、旅立つ人を見送ることを言うようになった。さらには、「はなむけ」だけで、餞別の意味になった。

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夜すがら:貴族の宴会は、徹夜で行われるのが普通だった。しかも、カラオケの代わりに、漢詩を作って発表したのだから、かなりハイレベルのものだった。

たまへる:次の歌の説明で、「下さった歌」ということ。いわば、和歌集の詞書きで、その下に詠み手(神奈備の皇女)の名を添える。

心も:体は都から離れるわけにいかないが、私の心(魂)をあなたに同行させるから、ともに無事に帰国してほしい、という意味。神奈備の皇女の許される限りの愛情表現であったろう。

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参りたまひしのち:天皇の妻になってからは、一切の手紙をくれなかったということ。

折過ぐさず:生還も期しがたい旅立ちという機会をのがさず。

使ひはまぎれうせにければ:普通、使いは返事を待つものだが、ここでは、うわさになることを恐れて、すぐ戻ってこいと命令されていたのであろう。

つけて:遣唐使でないこの宴席の出席者に頼んで。

 女王の君:神奈備の皇女の女房で、二人の愛に理解をもってくれた人。神奈備の皇女に直接手紙を出せないから、侍女あてに手紙を送って、こっそりお目にかけてもらうのである。

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たぐひなば:完了「ぬ」の未然形に「ば」が接続しているので、順接仮定条件。「もしよりそうならば」。

身をも投ぐがに:「身を」は「水脈(みを)」と、「投ぐ」は「凪ぐ」と掛詞。めずらいい接続助詞「がに」はここでは実現を期待する意味。もしそうならば、わたしの行く航路(水脈)が凪いで、私の身は海に投じて(海を押し渡って)帰ってこれるでしょう、という気持ち。

3大将は:一方、少将の父母は。

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1限りあらむ神の誓ひにてこそ:息子が渡唐しないですむようにしてくださいと、神に祈り、その願いがかなったらこれこれのお礼をしますと誓ったが、ということ。

 誓ひにてこそ添はざらめ:そのように神に祈り、誓ったがやはり息子といっしょにはいられないだろう、ということ。係り「こそ」と推量「む」の已然形は、ここでは逆説の構文になっている(「いられないだろうが、」)。

2この国の境をだにいかでかは離れむ:息子が日本国内にいるあいだは、絶対離れなれない、という気持ち。疑問詞「いかで」+疑問の係助詞「か」+推量「む」(ここでは意志の用法)の連体形は、疑問文をつくっているが、当然のことを尋ねているから、反語になる。また、係助詞「は」が付け加えられていることも、反語であることをより明らかにしている。「息子が日本国内にいるあいだは、どうして離れましょうか、いや絶対離れなれない」。

3松浦の山:肥前の国(佐賀県)松浦山。古くから大陸へ渡る根拠地であったらしく、中世は松浦党という海賊が活躍する。伝説では、松浦佐用姫(まつらさよひめ)が、朝鮮半島に使わされた恋人をこの岬から見送って、安全を祈って領巾(ひれ、スカーフ)を振ったということが知られている。

4そなたの:唐の方角の。

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若き老いたるとなき浮かべる身:航海の危険は老人であろうと、息子のように若い人であろうと同じだ、といっているのか。

 舟路にさへ:「さへ」はここでは最小限の希望。「・・だけでも」。

たれもむなしくあひみぬ身とならば:このまま、私たち親子が願いも空しく二度と会えないことになったら。

その浦に身をとどめて:私は都に帰らず、このまま松浦の海岸に居残って。

 あまつ領巾振りけむためし:私も松浦佐用姫の前例にしたがって、息子の生還を領巾を振りながら待ちましょう、という気持ち。「あまつ」は、領巾の霊力を誉めて言ったもの。

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限りある宮仕へ:近衛の大将として、宮中でいろいろな公務があるのだが。

 :打消「ず」已然形とともに、不可能を表す。

すみたまはむさまを:妻がこれから住むという松浦の宮を。

変はれるしるし:夫が同行したのだから、九州への行程については特に語るべき旅の困難はなかった、ということ。

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迫ひ風さへ:ここの「さへ」は添加、「・・までも」。大将が同行したのだから、旅の困難はなかったが、さらに九州の方へ風が吹いて一行の舟を進めた、ということ。遣唐使は、大阪湾の港で乗船して、瀬戸内海を海路で北九州まで旅した。