落窪物語・解説

作品について

 落窪物語:「源氏物語」より以前の、男性によるものと思われる伝奇ものがたり。

  中納言の姫君(落窪の君)は、 実母が亡くなり、父中納言に引き取られたが、継母から嫌われ、床の落ちくぽんだ部屋に住まわせられていた。その姫君のもとに中将が通いはじめ、やがて姫君は中将邸に妻として引き取られて、幸福な生活を送っていた。ところが、中将と右大臣家の姫君との縁談が持ちあがり、中将はその縁談を断ったにもかかわらず、中将の乳母が勝手に話を進めてしまった。

登場人物

 中将:落窪の君の夫。

 乳母:中将の乳母として、中将に世間的に立派な結婚をさせようとしている。

 帯刀:惟成。乳母の子で中将の従者。落窪の君の忠実な女房「阿漕」の夫。

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右の大殿のこと:乳母としては物質的にも出世のうえからも、中将や自分に有利な右大殿家との縁組みをすすめたい。

 ものし侍りしに:一度、この結婚話を持ち出して、中将に断られたので、その通りにしましたが、ということ。しかし、内密に話を進めていたのである。

3*ものし給はざなり:動詞「ものす」連用形 尊敬の補助動詞「給ふ」未然形 打消助動詞「ず」連体形「ざる」の撥音便「ざん」の「ん」無表記(テキストでは無表記の「ん」を’で表した) 推定の助動詞「なり」終止形

時々通ひてものし給へかし:それまでの妻の離婚を求めず、ときどき通うくらいなら認める、ということ。逆に、新たに有利な結婚をした場合、前の妻は捨てられる(そのまま黙って通って来なくなる)ことが多かった。右大殿家としてはたいへんな譲歩である。

 殿:中将の父。

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いそがせ給ふなり:この「なり」は推定の助動詞でなく、断定と考えられるから、「給ふ」は連体形ということになる。

恥づかしげに笑みて:結婚を強いる乳母に対して、弱い態度のように見えるが、母親以上に自分に乳を与えて育ててくれた乳母には弱いのであろう。しようのない人だな、という気持ちか。

やうかはある:当たり前のことを尋ねているから、反語。係助詞「は」は、さらに反語の意味を強めている。

 よき身にも:立身は望まないと言っているが、姉妹が帝に寵愛されていて、黙っていても取り立てられる立場だった。

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2*妻にもあらざなり:単純に「妻なり」という表現から出発して、名詞「妻」 断定「なり」連用形 補助動詞「あり」未然形 打消助動詞「ず」連体形「ざる」の撥音便「ざん」の「ん」無表記(テキストでは無表記の「ん」を’で表した) 推定の助動詞「なり」終止形  1ページ3*の相手のいいぐさの繰り返し。

いとさ言ふばかりなき人にもあらぬを:落窪の君は、母は宮宅の人で、出身は卑しくなかった。母の遺産である屋敷も、放置されてはいたが所有していた。自分の正妻とするのに恥ずかしくない人であると考えていた。

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1*あなわりな:形容詞「わりなし」の語幹。語幹だけ使うのは、感動表現。ここでは、自分が勝手にすすめている結婚話を承諾しない中将に腹を立てている。

 大殿も:中将の父親にも、その気にさせているのである。

やむごとなき人:権力者である右大臣。

3*いかがはせさせ給はむ:乳母としては当たり前のことを尋ねているから、反語。係助詞「は」は反語の意味を強めている。尊敬の助動詞「さす」と尊敬の補助動詞「給ふ」が重ねて使われていて、二重尊敬だが、会話文のなかなので、最高敬語にはならない。

 君達は:貴族の子弟。ここでは中将をさす。君達は、若い内は、有力者の婿として世話を受け、引き立てられて行くのが理想とされていた。

もてかしづき給ふ:妻方が。訳は君達を主語として、受身的に訳している。

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さる:副詞「さ」+補助動詞「あり」連体形からできた連語。そのよう(愛人)である人と、世間的な正妻である人を両立させていけ、というのが乳母の意見。

2御文など:求婚の手紙。

上達部の女:落窪の君の父は中納言。

 *女にはあ’なれど:「女なり」を分解して「女に あり」と言った。これに係助詞と推定の助動詞を付け加えて、「女には あるなり」となる。このとき、連体形「ある」が撥音便「あん」になって、「ん」が無表記で「あなり」となる(テキストの’は「ん」の無表記を意味する)。さらに接続助詞がついて、「あ’なれど」となったもの。

劣りにて:直訳は、「生母の身分が劣っているものであって」。落窪の君は、母親が死んで、継母や実父からしかるべき待遇を与えられていないということ。もっとも、父中納言の一家が、父所有の家に住んでいたのか、継母所有の家にいたのかよくわからない。その両方の可能性があるが(落窪の君の実母の屋敷は誰も住まず、荒れ果てていた)、継母の家であったとしたら、母系制の強い時代だから、落窪の君が居候扱いされるのは当然だったかもしれない。

 うちはめられて:「うちはむ」は投げ入れる、身を投げるということで、床の落ち窪んだ所に住まわされていたということか。継母はこのまま彼女を召し使い扱いして、一生を終わらせようとしていた。

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思しかしづくこそあやしけれ:その落窪の君を中将が救い出して、別邸に置いて、大切にしていることが、乳母や世間の常識には理解できなかった。中将は、そのような境遇にいて、美しい姿と心を保っていた女性を心から愛したのである。

 人は:結婚相手としての女性は、ということ。

面うち赤めて:最初は柔和にほほえんでいた中将も、ここまで言われて怒りに顔が赤くなった。

心なればにやあらむ:「心なり」に接続助詞がついて、「心なれば」となり、さらに推量の気持ちをつけたして、疑問の係助詞「や」、補助動詞「あり」、推量の助動詞「む」が付け加えられたもの。ここまでが、挿入句になって、主文でのべることの理由を追加している。

具したらむを・・とも:「・・」に「妻にせむ」などが省略。乳母が出世のための縁談を勧めるので、そうしたものはいらないと言っている。

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落窪にもあれ、上り窪にもあれ:「落窪なり」、「上り窪なり」が出発点で、断定「なり」連用形に補助動詞「あり」がついたと見た。「に」を格助詞と見る人もいるかもしれない。補助動詞をもちいた理由は、間に係助詞「も」を入れたかったからである。現代語でも、「読む」に「は・も」をつけようとすると、「読みは する」「読みも する」と補助動詞「する」を用いる。

 上り窪:乳母に反発して、中将がつくった言葉。

 *いかがはせむ:副詞「いかが」に動詞「す」未然形 推量「む」連体形(疑問詞「いかが」をうけて連体形で結んでいる)であるが、「む」の用法はむずかしい。「む」には一般に可能の用法は認められていないが、「どうしようか」、「どうすることができようか」と可能のニュアンスを認めた。しかも、当たり前のことをたずねているから、反語である。

言はむも多く:推量「む」があるので、「言うであろうことも多くて」が直訳になるだろう。

思すとも:接続助詞「とも」は順接仮定条件をあらわすから、「もしお思いになるとしても」。乳母としては、貧乏な落窪の君からは、何らの物質的利益を期待できない。

かれも:落窪の君も。

 つかうまつる:「つかふ」の謙譲語で、おつかえする。あなたに奉仕する、ということ。

 ありなむ:動詞「あり」の動作は未来のことだから完了ではありえない。完了の助動詞「ぬ」未然形は強意として使われていることになる。きっとあるだろう

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立ち給ふめるを:中将はそう言い捨てて、立ち去るのだが、その場にいなかった帯刀としては、声や物音から推測するしかない。それが推定の助動詞「めり」連体形の使用に表されている。「頼もしげなる」は、落窪の君の味方である帯刀の立場から。

2爪弾:人差し指の爪を親指の腹で弾くこと。ここは、母である乳母への非難の気持ちを表している。

なでふ:「何てふ」から来た語。なんという。ここから、帯刀の乳母への言葉。

 :一般に主君ということだが、ここでは、乳母から見て、自分が乳を与えて育てた子。主君であるとともに、我が子同様に思えるわけである。

恥づかしげに:もう赤子でない、りっぱな貴族だと。

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:乳母の念願。

 やり:動詞「やる」は人や物を派遣すること。中将を婿として行かせて、ということ。

御徳:右大臣家からのお礼。

 *少し:形容詞「少し」がここでは副詞的に使われている。本来は、連用形「少しく」であるはずだが。

持たるやはある:動詞「持たる」連体形(準体法) 係助詞「や」 動詞「あり」連体形(結び)で、「持っている人はいるか」という疑問文。当たり前のことを尋ねているから、反語になる。

 御名だて:「名だて」は名を立つようにすること。そのような名で評判にすること。

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これ:中将の新たな結婚が画策されていること。

 かのあたり:もちろん帯刀は、失礼な「落窪の君」という呼び方をしない。

かかる :副詞「かく」 動詞「あり」から来た語。

いとほし:帯刀は乳母子であるので、おなじ乳で育てられ、若干年上であるので、年の近い兄のような感情も持っているはずである。一般に乳母子は、身分は低いが、主君の腹心の部下となり、生死をともにすることを求められた。光源氏の惟光がそう。

 こののち、中将は継母に横取りされていた落窪の君の屋敷を取り戻し、その一家をひどい目にあわせるが、心優しい落窪の君は、継母たちをその屋敷に住むことを許し、父や腹違いの兄弟をやさしく取り扱う。日本版シンデレラのお話。