うつほ物語:「宇津保物語」とも。「竹取物語」に次ぐ「伝奇物語」。20巻。作者は、源順(したごう)説があるが、未詳。10世紀後半の成立か。内容は不統一であるが、俊蔭(としかげ)一門にまつわる音楽のすばらしさを物語る。
(あらすじ)清原俊蔭は俊秀の誉れが高く、16歳で遣唐使の一員となるが、遭難してひとり波斯(はし)国(ペルシャか)に漂流する。そこで仙人に琴の秘曲と秘琴を授けられ、帰国する。俊蔭は世間と交際を絶って、一娘に秘曲と秘琴を伝えて世を去るが、娘は孤独困窮のうちに兼雅(かねまさ)とあって仲忠(なかただ)を産む。兼雅と再会できぬまま、母子はうつほで生活し、母は息子に秘曲を伝える。父子再会後、貴宮(あてみや)の入内の話があり、母子が宮中で秘曲と秘琴を演奏し、奇跡を生む。
仲忠:(なかただ)。俊蔭(としかげ)の孫。藤原兼雅(かねまさ)と俊蔭の娘との間の子。祖父の血を受けて、琴の天分がある。琴の秘伝を伝える俊蔭の一族として天の守りを受け、幼くして(したがって、成人後の仲忠という呼び名ではなかったろうが)母を養い、以下に物語られるような奇蹟を起こした。この部分の終わりでは7歳になっている。
仲忠の母:俊蔭の娘。若き日の藤原兼雅に見いだされ、のち、ふたたび巡り会う。俊蔭から琴の秘伝を受け、息子に伝えた。
1かく:このように。以下に述べるような生活をするあいだに。
俊蔭(としかげ)の死後、その娘は孤独困窮のうちに兼雅(かねまさ)とあって仲忠(なかただ)を産んだ。兼雅はまだ部屋住みで母子をじゅうぶん保護できず、母はいっそうの困窮のなかで息子仲忠を育てながら、夫との再会を待っていた。ところがこの幼い仲忠は、5歳かそこらで魚を捕ってきたり、まずしい母を養いはじめた。琴の秘伝を伝える俊蔭の一族を天が守っていたのである。
はるかなるほどを、しありくも:家からはるか離れた距離を、食べ物を求め歩くことも。
苦しう:形容詞「くるし」連用形「くるしく」のウ音便。つらく。その間母を一人にして置くのがつらい、ということ。
2「いかで・・:仲忠のことば。
この山:仲忠が母を養う食物を手に入れるため通った、京都近郊の山。貴族の一員であった母子の家は京都の中にあったので、仲忠はこの荒れ果てた家から近郊の山まで通わなければならなかった。
さるべき:連体詞「さる」+適当「べし」連体形。母と一緒に住むのに適当な。
所もがな:名詞「ところ」+願望の終助詞「もがな」。所がほしい。
近くて養はむ:自分が食べ物を探しに行く場所(この山)の近くで母親を養おう。
4いみじういかめしき杉の木の、四つ、ものを合はせたるやうにて立てるが:「たいそう巨大な杉の木」と「四つ、材料を組み合わせたような具合に立っている(木)」は同じものだから、格助詞「の」は同格。「で」と訳す。
「立てるが」は動詞「たつ」已然形+存続「り」連体形(準体法)+格助詞「が」で、直訳は「たいそう巨大な杉の木で、四つ、材料を組み合わせたような具合に立っている木が」。巨大な四本の杉が四方を取り囲んで、空洞を作っていたのである。
1この子:まだ6歳以前だった仲忠。
「ここに・・:仲忠のことば。
わが親:仲忠の母。
2すゑ奉りて:動詞「すう」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」連用形+接続助詞「て」。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
拾ひ出でむ:動詞「ひろいいづ」未然形+仮定「む」連体形。推量の助動詞「む」が連体形で使われると仮定の用法になることがある。わたしがひろうであろう木の実、ということ。英語ならwillを使うところ。
3参らせばや:謙譲動詞「まゐらす」未然形+願望の終助詞「ばや」。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
4子生み連れて住む:冬眠中にめす熊は子を産み、春にかけて育てるが、おす熊がそばにいることはない。ここでは、熊の夫婦がこのうつほ(洞穴)を住処にしていた、ということ。
うつほなりけり:名詞「うつほ」+断定「なり」連用形+詠嘆「けり」終止形。過去の助動詞「けり」は、ここでは今、熊が住んでいるわけだから、過去の用法ではなく、詠嘆の用法となる。実はこれは・・だった、という気持ち。
うつほ(漢字は「空」、読みはうつお)は名詞で、現代語の「うつろ」、木や洞窟の穴、それから下着を着ないという意味で使われた。
1出で走りて・・食まむとする:熊の動作。
この子:仲忠。
いはく:動詞「いふ」未然形+接尾辞「く」。ク語法。動詞を名詞化する。言うこと(には)。
2「しばし・・:仲忠のことば。
待ち給へ:動詞「まつ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形。尊敬は熊に対する仲忠の敬意。
まろ:1人称の代名詞。仲忠をさす。
孝の子なり:親孝行をする子。「孝」は封建時代を含めて重要徳目で、これを行う子は称揚され、その子を損なうことは大きな罪となる。
3親はらからもなく、使ふ人もなくて、荒れたる家にただ一人住みて、まろが参るものにかかり給へる:母にかかる修飾語。
仲忠の母は、親や兄弟もなく、使用人(とくに最後まで主人を見捨てないものだとされた乳母)もなく、荒れ果てた家にただ一人で住み、わたしが持参する食べ物に依存している。
参る:謙譲動詞「まゐる」連体形。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
4(わずかな、木の実などの)(私は)(親を寂しい目に合わせる自分の不孝を)
1持ち奉れり:動詞「もつ」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」已然形+存続「り」終止形。持ちもうしあげている。養いもうしあげている。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
里:山にたいする土地。具体的は、祖父俊蔭の屋敷のある都。
すべき方もなければ:生活を維持する方法がないので。朝廷に仕えず、収入の道のなかった俊蔭の子孫には、都で暮らす手段がなかった。
2参るなり:謙譲動詞「まゐる」連体形+断定「なり」終止形。断定の助動詞は、ここでは説明の形をつくっている。差し上げているのだ。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
3暗う:夜になって。
4ほどだに:朝から晩までの不在の間ですら。
うしろめたう、悲しく侍れば:この間、母は一人でどうしておられるかと心配で、悲しくございますので。
悲しく侍れば:形容詞「かなし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」已然形+接続助詞。丁寧は聞き手である熊に対する敬意。
かかる山の王:目前にいる山の王である熊たち。
1住み給ふ:動詞「すむ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。尊敬は熊に対する仲忠の敬意。
この木のうつほに・・:「・・まづ参らむ」まで、仲忠の気持ち。
2すゑ奉りて:動詞「すう」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」連用形+接続助詞「て」。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
いも一筋:山芋だから細い。
まづ参らむ:何より先に、母にさしあげようと思ったのです。謙譲動詞「まゐる」未然形+意志「む」終止形。謙譲は母に対する仲忠の敬意。
3遠き道をも・・:6ページ1「・・近く」まで、仲忠の気持ち。
家から山までの遠い道を歩くのも。
4つれづれと待ち給ふらむも:母が留守宅ですることもなく、退屈に私を今頃待っていらっしゃるであろうのも。尊敬の「たまふ」は母に対する仲忠の敬意。
悲しう侍れば:形容詞「かなし」連用形ウ音便+丁寧の補助動詞「はべり」已然形+接続助詞「ば」。丁寧は話手である仲忠の聞き手(熊)に対する敬意。
1近く・・」と:自分が食べ物を探すこの山の近くに母をお連れしよう」と。「近く」のあとに「て養はむ」などが省略。5ページ3からここまでが仲忠の思ったこと。
思ひ給へて:動詞「おもふ」連用形+謙譲の補助動詞「たまふ」連用形+接続助詞「て」。「たまふ」は連用形が「たまへ」で下二段活用であるから、尊敬の補助動詞「たまふ」ではない。動作「思ふ」の主語は仲忠で、話し手も仲忠だから、この謙譲は仲忠の熊に対する敬意。ぞんじまして。
見侍りつるなり:動詞「みる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+完了「つ」連体形+断定「なり」終止形。丁寧は話手である仲忠の聞き手(熊)に対する敬意。断定は説明の言い方。このうつほに近寄って見ましたのです。
領じ給ひける:動詞「領ず」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「けり」連体形。尊敬は仲忠の熊に対する敬意。過去は気がついた、発見した、という気持ち。このうつぼは、山の王がこのように所有していらっしゃった。
2まかり去りぬ:謙譲動詞「まかりさる」連用形+確述「ぬ」終止形。私は間違いなく退去する。
むなしくなりなば:形容詞「むなし」連用形+動詞「なる」未然形+接続助詞「ば」。未然形につく「ば」は仮定条件。もし私が死んだら。
親も:母親も。
3いたづらになり給ひなむ:形容動詞「いたづらなり」連用形+動詞「なる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+強意「む」未然形+推量「む」終止形。養う人がいないからきっと死んでしまわれるでしょう。尊敬は仲忠の母に対する敬意。
養はむに:動詞「やしなふ」未然形+婉曲「む」連体形+格助詞「に」。母親を養うような目的に。
このあたりに推量「む」のいろいろな用法が出てくるが、その識別の仕方は必ずしも明確でない。文脈によって訳されている。
4あらば:動詞「あり」未然形+接続助詞「ば」。未然形につく「ば」は仮定条件。もしあれば。
施し奉るべし:動詞「施す」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」終止形+意志「べし」終止形。それをあなたに捧げよう。「施す」は、寺に物を寄進したり、善行のため貧しい人や生き物に自分の財産や身体を与える。
なくは:形容詞「なし」未然形+接続助詞「は」。「は」は「ば」と同じで、形容詞未然形「〜く」について仮定条件を作る。もしなければ。7ページ1「手なくは」、同3「腹・胸なくは」も同様。
1ありかむ:動詞「ありく」未然形+推量「む」連体形。疑問詞「いづくにて」と疑問の係助詞「か」を受けて連体形で結んでいる。当たり前のことをたずねているから、反語。歩くだろうか、いや歩かない。1「掘らむ」、2「通はむ」3「あらむ」も同様。
2(補説)口なくては:「手なくは」が形容詞「なし」未然形+接続助詞「は(ば)」で(6ページ4)、こちらが形容詞「なし」連用形+接続助詞「て」+係助詞「は」というのは、無理な説明ようである。形容詞中止形(「なく」と「なくて」)に「は」がつくと、仮定条件の形になるとまとめたほうがよいだろうが、今の学説では、こうなっている。
魂通はむ:母と心が通うだろうか、いや通わない。
3私の体の、足、手、口、腹・胸はいずれも親を養うのに必要だから、あげられない、ということ。悲壮ななかにも、おかしみのある部分。
4耳のはた・鼻のみねなりけり:・・名詞+断定「なり」連用形+詠嘆「けり」終止形。詠嘆は、よく考えてみるとこうだった、ということ。6ページ1「領じ給ひける」の「けり」の用法と同じである。
これを:このいらない部分を。
1施し奉る:動詞「せす」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」終止形。「せす」の意味は6ページ4。謙譲は仲忠の熊に対する敬意。ここの終止形は仲忠の意志を表している。
と・・言ふときに:仲忠が・・熊に言うと。
4移りぬ:動詞「うつる」連用形+完了「ぬ」終止形。完了は動作が終わったことだから、いま、この山には熊の親子はいない。
そこで仲忠は、三条京極の邸から母をこのうつぼ(洞穴)に移して、そこで暮らすようになった。
(山のうつぼでの母子の生活)
1「今は・・:仲忠の母の言葉。
あめるを:動詞「あり」連体形「ある」の撥音便の形「あん」の「ん」の無表記+推量「めり」連体形+接続助詞「を」。無表記の「ん」を「’」で表示したが、これは一般的ではない、私の発明。
2教へ給ひし:動詞「をしふ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「き」連体形。尊敬は仲忠の母の俊蔭に対する敬意。俊蔭は、漂流中に習いとった琴の秘曲を娘(仲忠の母)に伝えた。
習はし聞こえむ:動詞「ならはす」連用形+謙譲の補助動詞「きこゆ」未然形+意志「む」終止形。おまえに習わせもうしあけよう。謙譲は母の仲忠に対する敬意。昔の貴族は子供に対しても敬語を使っている。
弾きみ給へ:動詞「ひきみる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形。弾いてみなさい。尊敬は母の仲忠に対する敬意。
3竜角風、細緒:神が作り、名付けた30の琴のうち俊蔭が持ち帰り、子孫に伝えたもののうちのふたつ。
4さとく:のみこみがよく。昔の教え方だから、母が弾いてみせると、すぐ仲忠は同じように弾いてしまう。
かしこく:上手に。いわば、母は中継ぎで、本当の俊蔭の後継者は仲忠だった、ということなのだろう。
1・・狼ならぬは:名+断定「なり」未然形+打消「ず」連体形+係助詞「は」。・・オオカミでないものは。・・オオカミ以外は。
3獣・・集まりて、・・、草木もなびく:けものたちが集まって琴の音を聞いて感動し、獣のみならずあたりの草木も音楽に感応した、ということ。ギリシア神話にも、すばらしい琴の音にけものが集まって聞き入ったという話がある。
尾一つ:山の尾(山裾)ひとつ。山の峰が高い所であるのに対して、山の低い所が山裾。
4いかめしき牝猿:一群をひきいる年取って大きいメス猿。群れを率いるのは、オス猿だが、人の母系制のイメージで語っているのだろう。自分の産んだ子や孫を率いて、琴の音を聞きに来た。
大きなるうつほ:この猿の群は、自分たちの山に大きな洞窟を占拠していて、そこに住んでいた。
1また領じて:仲忠母子とは別にまた占拠して。
2猿なりけり:名詞「さる」+断定「なり」連用形+詠嘆「けり」終止形。ここでの過去の助動詞「けり」の用法は、過去のことを表しているのでないので、詠嘆と呼んだが、そうだった、と説明する気持ち。
ものの音:楽器の音。奏楽。
めでて・・持て来:この牝猿の動作。自分ばかりでなく、一族の猿たちにも運ばせるのである。
これによって仲忠は、さらに食物を集める時間を減らすことができ、琴の学習に専念できるようになった。
1この琴弾くを聞くほどに:「弾く」のは仲忠母子だが、「聞く」のはけものたちか。言いたいことは、このように、けものたちが取り巻いて聞き、猿に世話されながら、練習を続けるうちに、ということだろう。
2七人の師:波期国で祖父俊蔭に琴を教えた波斯国の7人の仙人たち。
3弾き取り果て:「弾き取り」は、練習しながらマスターすること、「果て」は動作が完了すること。仲忠が練習して、すっかり秘曲をマスターしてしまった、ということ。
夜昼と弾き合はせて:母子は、夜昼となく合奏して。
4草々の花:いろいろな草の花。「草々」を「種々(くさぐさ)」ととることもできる。そうすると、種々の花。
ながめて:動詞「ながむ」は、「眺む」だと、物思いに沈んでぼんやり外をみやる。「詠む」だと、声を長く引いて詩歌などを歌う。ここでは、あとの意味だろうが、内容的には、琴を弾きながら歌ったというのか、琴を弾くこと自体をさしているのか、あいまいである。
1澄ましつつ:動詞「すます」連用形+接続助詞「つつ」。「つつ」は動作の反復をあらわす。「心を澄ます」は、琴以外の雑念をもたないこと。母子は、他人のいない山中で、生活の心配もなく、音楽に専念したのである。
わが世は・・:母の考え。自分の一生は、世俗的な希望は何もないから、寿命の許すかぎり、このようにして過ごそう。母は、仲忠の父と再会し、妻の座を得ることをすっかりあきらめている。
2命あらむ:名詞「いのち」+動詞「あり」未然形+婉曲「む」連体形。婉曲は、命に限界があるというが、とか、いずれは命が尽きるであろうが、という気持ち。
3習ひ取りつ:主語は仲忠。母親から、琴の技術をすっかり習得した。
変化の者:この世の人ではなく、神仏の化身。幼くして、母を養い、熊も猿も奉仕したことで、並の人間でないことは、すでに明らかである。
この手、母にもまさり、母は、父の手にもまさりて:祖父俊蔭より、その娘である仲忠の母の技量が勝り、母より仲忠の技量が勝っている、ということ。
4ものの次々は劣りこそすれ:普通は、ものごとは、子孫に伝わっていくほど、技量が劣っていくものだが。
「劣りこそすれ」は、動詞「おとる」連用形+係助詞「こそ」+動詞「す」已然形。「こそ」+已然形の係結びの形をとっているが、これで文が終わるのでなく、逆接で接続していく形。普通はそうだが、この一族の場合はそうでなかった、ということ。
1この族:俊蔭の一族。
伝はるごと:動詞「つたはる」連体形+接尾辞「ごと」。
この後、不思議な琴の音にひかれて、藤原兼雅が母子を訪ねあて、都に連れ戻す。物語は、このあと、貴宮(あてみや)の求婚と入内の話が延々と続くが、最後に仲忠一族の演奏に伴い、数々の奇蹟が起こり、人々が音楽の力を賞賛するところで終わる。