堤中納言物語解説

作品について

 堤中納言物語:平安時代末期から中世はじめの成立。10編からなる短編物語集。作者は各編別らしく、一部の作者名が伝えられている。それぞれ変わった趣向で気の利いた文章で書かれており、近代の短編小説を思わせるものがある。特に個性的な女性を描いた「虫めづる姫君」が有名。

  ここでは、少女の召使いたちが活躍する「貝合」の一部を読む。

 この短編の冒頭は、「 長月の有明の月に誘はれて、蔵人少将、指貫つきづきしく引き上げて、ただー人、小舎人童ばかり具して、やがて、朝霧もよく立ち隠しつべく、ひまなげなるに、「をかしからむ所の、あきたらむもがな。」と言ひて歩み行くに…」とあって、主人公の蔵人少将が、随身以外に少年の召使いだけをつれて、早朝、ラブハントに出かけるところから始まる。

  平安時代の若い貴族が、夜な夜な、ラブハントに歩き回るという話は、源氏物語以来、書き古されているが、早朝、霧にまぎれて、すてきな女性を捜しに歩く、というのは、目新しい趣向だったのではないか。しかも、少将が出会うのは、ふだんは目もくれない、召使いの少女たちの姿であった。

登場人物

 蔵人少将:(くろうどの しょうしょう)9月後半の、月がまだ空にある早朝、すてきな出会いを求めて、どこかの屋敷に紛れ込もうとして歩き回っていると、不遇な主人のことを思う、召使いの少女たちと出会う。

  蔵人少将とは、近衛(このえの)少将で、5位の蔵人を兼ねた人。最高位というわけではないが、天皇の近くに仕えた地位で、若くて名門の貴族がよく、この役どころで登場する。

 召使いの少女:「八、九歳くらいの少女で、とてもかわいらしくて、薄紅の下着に、紅梅色の表着などをいろいろ取り合わせて着ている子」と紹介されているが、この屋敷で、母親がなくて暮らしている姫君に仕える女房の娘で、自分もその姫君に仕えている少女である。仲間の少女たちのリーダー格らしいが、13歳ほどとされた姫君と年齢の差があるから、乳母子(めのとご)ではないだろう。

 この姫君:召使いの少女が使えている女主人。13歳ほどで(当時は、女性がもっとも美しく、結婚適齢期に達したと考えられた)たいそう美しいが、保護してくれる実母がいないらしい。

 今の御方の姫君:ヒロインの姫君の異母姉妹。「今の御方」は後妻で、ヒロインの姫君の継母にあたる。ふたりの姫君はライバル関係にあり、今回も貝合の遊びをするが、召使いを巻き込んでの勝負である。

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1「何わざするならむ。」と・・:蔵人少将のことば。何をしているのだろう。どこかの屋敷から出たり入ったりしている召使いの少女を見て、不思議がっている。

2やをらはひ入りて:その屋敷にこっそり入ってしまった。普通は、築地塀のくずれた箇所から入る。ここでは、小さな門が開いていたので、うまく潜り込んだのかもしれない。

  もちろん、現代では、犯罪になってしまうが、当時は、屋敷の塀に破れ目のひとつもないと、よほど、そこの家の女達はもてないのだろうと思われた時代の話である。

 いみじくしげき薄:これも、秋の風情を楽しむために、庭の一隅にわざわざ植えてあるのである。

3八、九ばかりなる女子の・・紅梅など乱れ着たる:ここまで、一人の召使いの少女の説明。

 八、九ばかりなる女子の:まず、@年齢は8歳か、9歳の少女。すでにその年齢で、召使いとしてりっぱに働いていた。もっとも、その母親も同じ屋敷で働いている場合が多い。子連れで、お屋敷に住み込んで働き、その子は、主人の子供と遊びながら育つ、というおおらかな時代であった。小さい頃から、半分遊び、半分仕事のような感じで、子供の主人に仕えるのである。

  格助詞「の」は、同格の用法で、以下に説明される人物と同一人であることを意味する。

 いとをかしげなる:形容動詞「をかしげなり」の連体形が名詞として働いている。Aとてもかわいらしい子で

  この「をかしげなる」を、「薄色の衵」に掛かる語と読むこともできる。

 薄色の衵、紅梅など乱れ着たる:完了の助動詞「たり」の連体形がこの句全体を名詞として機能させている。全体として、Bこれこれの衣装を着けた子が

  @、A、Bの少女はすべて同一人物(同格)。

  薄色:(うすいろ)薄紅色または薄紫色。

薄色(うすいろ)
薄 紅
薄 紫

  衵:(あこめ)女性や幼い少女がもちいた肌着。

  紅梅:濃い桃色。肌着が薄紅色で、その上のシャツ(汗衫(かざみ))が濃い桃色だった。

紅梅(こうばい)

4乱れ着たる:いろいろ取り合わせて着ている(少女が)。完了(ここでは存続の用法)の助動詞「たり」の連体形が準体法でもちいられ、「・・少女」という名詞になっている。これを主語として訳した。

 小さき貝:貝合(かいあわせ)に使う貝。平安時代、貴族がいろいろなものを出し合って、優劣を競う遊びをした。もっとも金のかかるのが「絵合」などで、左右に分かれて、順番に絵や貝、菖蒲の根などを出し合って、勝ち点を争う。召使いの少女たちは、ご主人のために、相手に勝てそうな貝を集めていたのである。

  遊戯としては、360個のハマグリの貝殻を並べ、上の貝殻と下のを合わせて遊ぶ、神経衰弱のようなゲーム。後に、裏に絵を描き、さらにカルタに発展した。ここでは、双方が美しく、珍しい貝のコレクションを見せ合って、対抗したのではないか。

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1瑠璃の壺:ガラスの壺。輸入品であろう。

 あわたたしげなる:形容動詞「あわたしげなり」の連体形。「あわたしい」となったのは後のこと。

2見給ふに:動詞「みる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+接続助詞「に」。主語は少将。したがって、敬意の対象は少将。

 直衣の袖を見て:少女は、隠れていた少将の直衣の袖を見つけて。「直衣」は、男性貴族の普段着。「のおし」または「なおし」と読む。大きな袖がススキからはみ出ていたのであろう。

3何心もなく:ここは、大人だったら、相手(少将)の立場も考えて、いきなり皆に知らせたりしないであろうが、子供なので、遠慮もなく

 わびしくなりて:主語は少将。

4「あなかまよ。・・:少将のことば。

 聞こゆべき:謙譲の動詞「きこゆ」終止形+意志「べし」連体形。謙譲は、話し手である少将の、この家の主人やその家族への敬意。

 参り来たる:謙譲の動詞「まゐるく」連用形+完了「たり」連体形。この謙譲も上と同様。

  この家の主人はたはその家族に用があって来たものだから、怪しい人間ではない、とごまかしている。

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1と寄り給へ:動詞「とよる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形。尊敬は、話し手である少将の少女への敬意。敬語は、会話の中では、このように目下の者にも使っている。

  「と」はちょっと、という気持ちを付け加える接頭辞。

 「明日のこと・・:少女はの言葉。「「明日のこと」とは、明日に予定されている貝合のこと。

2思ひ侍るに:動詞「おもふ」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形+接続助詞。丁寧は、話し手である少女の、聞き手である少将への敬意。

  明日の貝合の準備で頭がいっぱいですので、ということ。

 そそきはんべるぞ:動詞「そそく」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形+終助詞「ぞ」。いそがしくしているのですよ。丁寧は、上と同様。「はべり」の連体形は「はべる」だが、これを「はんべる」と発音しているところに、少女の語気を写している。

3さへづりかけて:少将に向かって一方的にしゃべりまくって、という気持ち。「さへづる」は、鳥や外国人が、わけのわからないことをしゃべくる、という意味。

 いぬべく:動詞「いぬ」(行ってしまう)終止形+推量「べし」連用形。言うだけ言って、行ってしまいそうだ、ということ。

 見ゆめり:動詞「みゆ」終止形+婉曲「めり」。そのように見える、ということを遠回しに言っている。今にも行ってしましそうなそぶりだった、ということ。

4をかしければ:少将の気持ち。

 おぼさるるぞ:尊敬動詞「おぼす」未然形+尊敬「る」連体形+終助詞「ぞ」。思っていらっしゃるのか。尊敬はともに、少将の少女への敬意。地の文で尊敬を重ねて使う(二重敬語)のは、天皇クラスの人に対する敬意の表し方(最高敬語)だが、会話のなかでは、このように目下の者に対しても使っている。

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1まろをだにおぼさむとあらば:なんかでも頼りにお思いになろうとするのならば、という気持ち。

  「あらば」は、動詞「あり」未然形+接続助詞「ば」だから、仮定条件

2人:「あなた」を遠回しに指している。

 得てむかし:動詞「う」連用形+強意「つ」未然形+推量「む」終止形+終助詞「かし」。きっと得るだろう。終助詞「かし」は、念押しの意味。

 名残なく:少女は、走り去ろうとしたことはすっかり忘れて、ということ。

3「この姫君と・・:少女の言葉。私たちの姫君と

 今の御方の姫君:ヒロインの姫君の異母姉妹。「今の御方」は後妻で、ヒロインの姫君の継母にあたる。ふたりの姫君はライバル関係にあり、今回も貝合の遊びをするが、召使いを巻き込んでの勝負である。

4貝合:(かいあわせ)1ページ4。

 せさせ給はむ:動詞「す」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」未然形+意志「む」終止形。尊敬は、話し手である少女の、ふたりの姫君に対する敬意。尊敬がだぶって使われていることについては、3ページ4。

 集めさせ給ふに:動詞「あつむ」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」未然形+接続助詞「に」。尊敬は、話し手である少女の、ふたりの姫君に対する敬意。尊敬がだぶって使われていることについては、3ページ4。

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1あなたの御方:今の御方の姫君。別の対屋(たいのや)に住んでいるから、そう呼ぶのであろう。

 大輔の君・侍従の君:女房の呼び名。実母がそばにいて、経済力があるので、有力な女房が何人もそばに仕えている。それにひきかえ、子供の召使いが奔走するしかないヒロインの姫君は心許ない。

 せさせ給はむ:4ページ4と同じ。ただし、女房たちのことばで、「私たちの姫君が貝合をなさろうとおっしゃるので、よい貝があったら都合してください」というようなことを知り合いに頼んだのだろう。

2求めさせ給ふなり:動詞「もとむ」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+推量「なり」終止形。話し手である少女の、女房たちに対する敬意。尊敬がだぶって使われていることについては、3ページ4。

  「なり」は、文の意味から、断定の「なり」ではなく、伝聞・推定の「なり」。ライバルの姫君の御殿の動きを推測している。

 まろが御前:私のご主人。少女の主人である、ヒロイン。

 ただ、若君ひとところにて:頼みになるのは、ただ弟君一人であって。こうしたばあい、頼りになるのは男だが、父親は中立だろうし、13歳ほどの姫君の弟なら、およそ頼りにならない。

4姉君の御もと:同母の姉君のところ。おそらく結婚して、別の屋敷にいるのだろう。

 人やらむとて:だれか、家の男を使者として遣わそう、といって。「だから、私たちがうろうろしてたんです」という気持ち。

 まかりなむ:謙譲動詞「まかる」連用形+強意「ぬ」未然形+意志「む」終止形。さあ、もう失礼します。謙譲は、話し手の少女の、少将に対する敬意。

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1「その姫君たちの・・:少将の言葉。お前が言ったこの家の姫君たちが

 うちとけ給ひたらむ:動詞「うちとく」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+存続「たり」未然形+婉曲「む」連体形。うちとけていらっしゃるであろうところを。尊敬は、話し手である少将の、姫君たちに対する敬意。

 格子のはさま:「格子」は室内と室外を区切る衝立で、透けて見える。日中はたたんであるので、そうした物陰から室内をのぞくことができる。現代なら犯罪だが、女性と自由に会えない当時は、このようにして意中の女性の様子を知ることがある程度許されていたようだ。

2見せ給へ:動詞「みす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形。尊敬は、話し手である少将の、少女に対する敬意。

 人に語り給はば・・:姫君を見たなどと、あなた様が他人におしゃべりになれば。「大変なことになりますよ」などが省略。「語り給はば」は、動詞「かたる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」未然形+接続助詞「ば」。未然形+「ば」だから、仮定条件。

3母もこそのたまへ:それこそ母がおっしゃっていることです。少女の母親は、「妙な手引きなんかするんじゃないよ」と常々注意していた。

  姫君によい結婚相手をみつけることは、侍女の(とくに乳母の)仕事でもあったが、こんな子供でも、手引きをするおそれがあったのだろう。勝手に手紙を届けたり、まして家に引き入れるなどとんでもないことである。

  「のたまへ」は、尊敬動詞「のたまふ」已然形。尊敬は、話し手である少女の、母に対する敬意。

 「ものぐるほし・・:少将の言葉。

4もの言はぬ人:そんなことを言いふらさない人間

 人に:ここの「人」は姫君。

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1勝たせ奉らむ:動詞「かつ」未然形+使役「す」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」未然形+意志「む」終止形。勝たせもうしあげよう。謙譲は話し手の少将の、姫君に対する敬意。

 勝たせ奉らじ:動詞「かつ」未然形+使役「す」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」未然形+打消意志「じ」連体形。勝たせもうしあげないことにしよう(ということは)

 心ぞよ:私の気持ちで決まることだ。つまり、私はその気になれば、姫君を勝たせることができる。

2いかなるに。貝どもの結。:ここは写本が読みとりにくいところらしく、いろいろ説がある。本文は、倒置とみて、「貝どもの結 いかなるに(定めむ)」この貝合の決着は、どのように決めようかな(あなたの姫君を勝たせようか、あちらの姫君に勝たせようか)、と解釈した。

 のたまへば:尊敬動詞「のたまふ」已然形+接続助詞「ば」。尊敬は、筆者の少将に対する敬意。

 よろづおぼえで:少女は、後先のことを考える余裕もなく。ここで援助を受ければ、相手から何かめんどうな要求が来ることは当然であるのに。

3帰り給ふなよ:動詞「かへる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形+禁止の終助詞「な」+呼びかけの終助詞「よ」。尊敬は少女から少将へ。

 すゑ奉らむ:動詞「すう」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」未然形+意志「む」終止形。あなたをそこにおすえ申し上げよう。謙譲は、話し手の少女の、少将に対する敬意。

4人の起きぬさきに:まだ、ほかの人々が寝ている時間だったのである。

 給へ:尊敬動詞「たまふ」命令形。「いざ、たまへ」の形で「さあ、おいでください。」 尊敬は、話し手の少女の、少将に対する敬意。

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1西の妻戸:姫君の御殿の西側のドア。これが廂間であろうから、姫君はさらに奥の母屋の帳台に寝ていたはずである。ここのドアのあたりに、屏風をたたんで立てかけてあったのだろう。その蔭に少将を導いて立たせた。

2「ひがひがしく、やうやうなりゆくを・・:少将の気持ち。本来の語順なら、「やうやう、ひがひがしくなりゆくを」だんだんやばくなっていくけれど。庭にいた時より、建物の中に忍び込んでいるほうが、発見された時、いっそう重大なことになる。

 をさなき子:さっきの、召使いの少女。

3見もつけられたらば:動詞「みつく」未然形+受身「らる」連用形+完了「たり」未然形+接続助詞「ば」。これに、係助詞「も」が入り込んで、複合動詞「みつく」が分断されている。未然形+「ば」だから、仮定条件。もし、みつけられでもしたら

 思ひ思ひ:動詞「おもふ」連用形が繰り返されている。不安に思うことが、継続または繰り返されている。

4十四、五ばかりの子ども:これもその年齢の召使いの少女たち。これが、12〜13人ほどいた。

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1ありつる童:さっき、少将をここに導いた少女。8〜9歳ほどであった。召使いに小学生グループと中学生グループがあったのだろう。ちなみに、高校生の段階は、すでに成人として扱われる。大人の召使いが寝ている時間から、少女達は貝合の準備をしていた。純真な子供たちのほうが、親身に姫君のことを心配しているのである。

2小箱に入れ、もののふたに入れなどして:貝を整理している。

4母屋の簾に添へたる几帳のつまうち:中央の部屋である母屋と侍女達のいる廂間との間がすだれで仕切られている。さらに、その奥に几帳(スクリーン)を立ててのぞけないようになっている。

 つまうち上げて、さし出でたる人:その几帳の端を持ち上げて、上半身を出して見ている人。これが姫君である。身分のため、侍女といっしょに騒ぐことはできないが、気になって、のぞいているのである。

 十三ばかりにや・・:「あらむ」などが省略されている。姫君の年齢をいう。当時としては、身分の高い女性は結婚してもよい時期だった。

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1萩襲の織物の袿、紫苑色:姫君の衣裳。

  萩襲:(はぎがさね)秋に用いる色の組み合わせで、表が蘇芳(すおう)、裏が青。

萩襲(はぎがさね)
表 蘇芳
裏  青

  織物:(おりもの)模様を織りだした絹織物。

  袿:(うちき)貴婦人の着る上着。

  紫苑色:(しおんいろ)上着の色の組み合わせ。表が薄紫で裏が青、やはり秋に用いる。

紫苑色(しおんいろ)
表 薄紫
裏  青

3頬杖をつきて、いともの嘆かしげなる:思い悩んでいる様子。後宮などでもこの種の遊びは、じつは、女性の面目を争うもので、負ければ立場が弱くなる。姫君は勝負の結果に不安を感じているのである。

  そこへ相手方の姫君が来て、「あまりよくない貝は分けてちょうだい。」などと言うが、自分の優位を確信したいやみである。。少将はにくらしくなって、「ななんとかことらの姫君を勝たせたい」と思うようになった。

4このありつるやうなる童、三、四人:召使いの少女たちのチビ組。もちろん、さっきの少女も中にいる。自分たちの姫君が侮辱された様子を見て、神仏にお祈りすることを思い立ったのである。

 連れて:少将の隠れている近くへやってきて

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1「わが母の・・:少女のことば。

 読み給ひし:動詞「よむ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「き」連体形。尊敬は、話し手の少女の、母に対する敬意。過去が使われているのは、以前はよく読んでいたが、いまはそれほどでもない、ということか。

 観音経:「妙法蓮華経」の一部。名詞で文が終わっている(名詞止め)のは、感動、呼びかけ。

2負けさせ奉り給ふな:動詞「まく」未然形+使役「さす」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形+禁止の終助詞「な」。謙譲は、話し手の少女の、姫君に対する敬意。尊敬は、話し手の少女の、観音経に対する敬意。

 もとにしも:副助詞「し」と係助詞「も」はともに強調。よりによって、少将の隠れている戸のところに

3念じ合へる:みなでお祈りしている。「あふ」は、複数の人がしていることをあらわす。少女たちが、そろってお祈りしている、ということ。

 童や言ひ出でむ:疑問の係助詞「や」が使われて、推量「む」が連体形で結んでいて、疑問文になっている。あの少女が少将のことを言い出すのだろうか。善意で、ここに味方してくれる人がいますよ、と言いだしかねないと思ったのである。

4立ち走りて・・いぬ:チビ組の少女達の動作。ただし、行きそうになった、ということ。

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2かひなしと・・:少将が小声で詠んだ歌。祈っても甲斐がないと

  「かひ なし」(甲斐がない)と「貝 なし」を掛けている。

 何嘆くらむ:疑問詞「なに」+動詞「なげく」終止形+現在推量「らむ」連体形。疑問詞があるので「らむ」は連体形になり、疑問の形をつくっているが、あたりまえのことを尋ねているので、反語嘆く必要はない

3白波も:「白波」は盗賊のこともさすので、忍び込んでいる少将のこと。また、「白」の連想から、白馬に乗る観音もイメージする。観音の身代わりに、少女達が拝んだ少将が味方しよう、ということ。

 心寄せてむ:白波が寄せるように、きっと心を寄せるだろう

4と言ひたるを:と少将が小声で言ったのを

 耳とく聞きつけて:立ち去りかけていた少女達は、耳ざとく聞きつけて

 方人に・・:少女達の言葉。「ならむ」などが省略。

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1聞き給ひつや:動詞「きく」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+完了「つ」終止形+疑問の係助詞「や」。これだけで疑問文。尊敬は、話し手の少女の、そこにいる少女たちへの敬意。皆さん、お聞きになりました

2出で給ひたるなり:動詞「いづ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連体形+断定「なり」終止形。尊敬は、話し手の少女の、観音への敬意。だれがしゃべったのだろう、という疑問に対して、私たちの祈りに応えて、観音様が出現なさったのだ、と説明している。

 うれしの:形容詞「うれし」語幹+格助詞「の」。文が「わざ」という名詞で終わっていること、間投助詞「や」が使われていることとあわせて、感動の表現。

 聞こえむ:謙譲動詞「きこゆ」未然形+意志「む」終止形。謙譲は、話し手の少女の、姫君に対する敬意。もうしあげよう

3恐ろしくやありけむ:挿入文。疑問の係助詞「や」と過去推量「けむ」連体形が係り結びになって、疑問文をつくっている。観音が味方してくれると言ったことはうれしいが、また、気味が悪くなったのだろう、ということ。

 走り入りぬ:少女たちは部屋へ走り込んだ。11ページ4「あなたにいぬ」とちがって、今度はその動作を完了した。

4用なきことは・・:少将が思ったこと。黙っていればよかったのに、ついつい・・という気持ち。

 このわたりをや見あらはさむ:私が隠れているこの辺を探して、私を発見するだろうか? 幼い少女達は単純に観音様だと信じたが、それを聞いた大人たちが変だと思って、このあたりを捜索するかもしれない、と恐れた。

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1ただ、いとあわたたしく:少女たちは、ばたばたと姫君の所に行って。「あわたたし」は現代語の「あわただしい」だが、清音である。

2「かうかう、念じつれば・・:少女たちの報告。貝合に勝たしてくださいとお祈りしたら

 仏:観音様。

 のたまひつる:動詞「のたまふ」連用形+完了「つ」連体形。尊敬は、話し手である少女たちの、観音に対する敬意。完了「つ」の連体形で文が終わっているのは、感動の表現。仏様がおっしゃったの

3「まことかはとよ・・:姫君の返事。「かは」は疑問の係助詞。「よ」は詠嘆の終助詞。疑問を残しながらも、感動している。

 恐ろしきまでこそ:観音様が味方だということを、ありがたすぎて恐ろしくまで思う、ということ。

4頬杖つきやみて:今までの思案顔をやめて。

 うち赤みたるまみ:感動のあまり、ちょっとうるうるして、目のあたりが赤くなった。姫君も、少女達とおなじように、とても純真なのである。

  ところで真相を知るあの少女は、少将の出現こそ観音のおぼしめしであり、少将は観音の化身だと信じたであろうから、偽っている意識はないのであろう。

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1いみじくうつくしげなり:少将から見た姫君の様子。

 「いかにぞ・・:姫君たちの会話。

 組入の上より:格子を組んだだけの天井。格子の隙間から物が落ちてこないかと言い合っている。

3をかし:姫君達が言い合っているのを見ている少将の気持ち。

  このあと、少将はなんと夕方までそこに隠れていて、うすぐらくなった所でこの屋敷を忍び出た。そして、自宅でいろいろな珍しく、美しい貝を集め、趣向をこらした贈り物にして、翌日を待った。

4白波に・・:少将が贈り物の貝に結びつけた歌。「白波」の意味は12ページ3。

 心を寄せて立ち寄らば:私をたよりにするならば。「白波」と「寄せて」は縁語(連想で結ばれている単語)。

 かひなきならぬ:歌の都合で二重否定になっているが、つまり頼りがいのある。「甲斐」は「貝」の掛詞。

 心寄せなむ:私はあなたたちにきっと好意を寄せよう。

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1例の随身:昨日お供をしていた随身。「随身」は朝廷がVIPに派遣したボディーガード。こうした色事にもついて来る。

2昨日の子しも:昨日あったあの召使いの少女が。「し」は強調の副助詞。「も」は強意の係助詞。おあつらえむきに、という気持ち。「しも」一語で強意の副助詞と認める立場もある。

3うれしくて:これは少将の気持ちと読んだ。

 「かうぞ・・:少将のことば。「ほれ、この通り

 はかり聞こえぬよ:動詞「はかる」連用形+謙譲の補助動詞「きこゆ」未然形+打消「ず」連体形+終助詞「よ」。謙譲は、話し手である少将の、少女に対する敬意。連体形で文が終わっているのは感動の表現。それに呼びかけの「よ」がついている。約束通り、貝を持って来たでしょう、という気持ち。

4をかしき小箱:これも立派の小箱で、中に貝が入っているのだけれど、随身に持たせたものではないことに注意。こちらは少女への贈り物で、本命は別である。

 「誰がともなくて:少将の言葉。この箱の貝は、誰からもらったと言わずに

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1さし置かせて:他の箱と一緒に置くようにさせて。ここで使役が使ってあるので、少女自身がそこに置くのではない。係の侍女に置いてもらうのだろう。

 来給へよ、見せ給へよ:いずれも動詞連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形+終助詞「よ」。尊敬は、話し手である少将の、少女への敬意。

 ありさまの:「ありさまを」と同じ。貝合の勝負を見せてくれ、と言っている。とすると、貝合はヒロインの姫君の母屋で行われるのだろう。

2さらば、またまたも:別れのあいさつ。それじゃあ、またね

 いみじく喜びて:少女の様子。

3「ありし戸口・・:昨日少将が隠れた妻戸は、昨日以上に人がいないでしょうから、そこに隠れなさい、ということ。

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1州浜:(すはま)台の上に砂や岩で川の州や海浜を再現したもの。この上に贈り物をセットして、贈答に使った。少女に与えたものと異なり、これは少将から姫君への正式の贈り物。

 南の高欄:正面にあたる南側の簀の子(ぬれ縁)の手すり。この御殿のご主人(姫君)への贈り物であることを示している。

 置かせて:動詞「おく」未然形+使役「す」連用形+接続助詞「て」。今まで随身に州浜を持たせていたので、それを指示してそこに置かせた。

 はひ入りぬ:昨日の隠れ場所にこっそり忍び込んだ。随身は目立たない所で待っていろと命じられたのだろう。

3見通し給へば:動詞「みとほす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+接続助詞「ば」。尊敬は筆者の少将に対する敬意。

 若き人ども:若い召使いの少女達。チビ組より年長の召使いたちだと思われる。起き出して、廂の間と簀の子との間の格子を開けているようだった。

 装束きて:十二単を着て。召使いは正装して仕えた。まして、今日は催しごとがあるので、めかしこんでいたのだろう。

 この州浜を見つけて:格子を上げたので、その前に置かれた州浜を見つけた。

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1さるべき人:そうであるのが当然の人。こんな必勝のアイテムを贈ってくれそうな人。

  貝そのものの美しさ、珍しさばかりでなく、それをいかに飾り付けて提出するかが勝負の分かれ目だったから。

2昨日の仏:昨日、味方しようとおっしゃった観音様。

 し給へるなめり:動詞「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」連体形+断定「なり」連体形「なる」の撥音便「なん」の「ん」の無表記+推量「めり」終止形。なさったのだろう。尊敬は、語り手の、仏に対する敬意。

3あはれにおはしけるかな:形容動詞「あはれなり」連用形+尊敬の補助動詞「おはす」連用形+過去「けり」連体形+終助詞「かな」。尊敬は、語り手の、仏に対する敬意。

 喜びさわぐ:侍女達が、これで勝てると喜びさわいでいる。

  微妙なのが、少将から貝をもらった少女であるが、彼女としては少将こそ観音の化身であるくらいに思った出あろうから、いっしょに喜んだのであろう。

4いとをかしくて:物陰からこれを見ている少将の様子。

 見ゐ給へりとや:動詞「みゐる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」終止形+格助詞「と」+係助詞「や」。あとに「いふ」などが省略。ご覧になっておられたとかいうことだよ

  これでこの短編は終わる。勝負は当然、こちらの姫君の勝利であったろうし、このあと少将は、「しらなみ」の歌をちらつかせながら、姫君に求婚し、ふたりはめでたく結ばれたであろう。しかし、物語のありようを熟知していた作者やこの時代の読者にはくどくどしい。そうしたものをすべて読者の想像にまかせて、語り終わるのである。すでに、物語を読みなれ、書きなれた作者であることが想像される。