「栄花物語」は歴史物語のはじめのものであり、後の「大鏡」に先駆けている。作者は、赤染衛門という女房で、自分が見聞きした藤原道長の栄花を物語っているが、この箇所のように、その陰で悲運に泣いた人々にも目を向けている。
道長と伊周の確執は、「大鏡」のいくつかのエピソードで知られるが、自ら不敬事件を起こして、伊周・隆家兄弟は没落してしまい、姉妹の中宮定子やそれに仕える清少納言の運命を暗転させてしまう。播磨に流された伊周は、本文のような経緯で密かに都に戻り、ふたたび太宰府に追放される。のちに許されて帰京するが、定子も死に、その一門は二度と権勢を取り戻すことはなかった。
師殿、伊周:(これちか)
隆家:(たかいへ)、伊周の弟。
北の方、母北の方、上:伊周たちの母。
御はらからの主:北の方の兄弟たち
(系図)
兼家(かねいえ)−道隆(みちたか)−伊周(これちか)
−隆家(たかいえ)
−定子(ていし)
−道長(みちなが)
3おぼしよそへられにけり:主語ははっきりしないが、中宮定子であろう。一方では、配所の兄弟を思いやり、一方では、病気の母親を心配している。
1死なむ:「む」はこの場合、希望(願望)。
4ことにか・・:「あらむ」などが省略。
1奉り給ふ:謙譲の「奉り」は伊周を、尊敬の「給ふ」は北の方を敬う。
人々:召使いたち。
3かく・・:「あり」などが省略。
1やみなめ:已然形「め」は「わが身こそは」の結び。
2とにかくに:「と」も「かく」も副詞。
3やうは・・:「あらむや」などが省略。疑問文の形をとって、当たり前のことを尋ねることによって、反語の意味になっている。
4おはせむ:連体形「む」は準体法。
1罪せさせ給ひ、神仏もにくませ給はば:尊敬の助動詞+尊敬の補助動詞のくみあわせであるから、二重尊敬である。これは地の文では、最高敬語として天皇やそれに準じる存在に向けられる。ここでは、伊周の会話のなかに使われていて、会話のなかではこのような制限はない。しかし、主語が天皇と神仏であるから、最高敬語とみてよいと思う。
さるべきな’めり:連体詞「さるべき」+断定の助動詞「なり」の連体形「なる」+推量の助動詞「めり」終止形。このとき発音しやすいように、「なる」は撥音便「なん」になったが、発音「ん」は表記されない。本文の「’」は、「ん」の省略を意味している(KYだけの表現)。
2上り給ふ:伊周は上京してしまった。配留の地から勝手に戻るのは、脱獄とおなじである。そして、当時の貴族の動向は、召使いを通じて人に知られずにはいない。
3西の京:右京。朱雀大路から西半分。左京にくらべて人の集中があまりなかった。
4西院:伊周一族が所有していた御殿の呼び名。
1殿:伊周の父、道隆。すでに死んでいる。彼は生前極力息子の伊周を引き立て、弟の道長の台頭を防ごうとしていたことが「大鏡」に描かれている。道隆全盛のころを回顧したのが、清少納言の「枕草子」である。
2かやうの:形容動詞「かやう」の語幹に格助詞「の」がついて、連体修飾語となっている。形容動詞の語幹はしばしば、名詞と区別がつかないことがある。
4母北の方:「北の方」に同じ。伊周たちに対して「母」、道隆に対して「北の方(妻)」。
御方々:先に見えていた母北の方の兄弟たちであろう。母方の一族の結束が強いのは、まだ母系制が残っていたためか。(父方の兄弟(道長)は敵である)
1見奉りかはさせ給ひ:動詞「見かはす」に、助動詞「す」(尊敬)、補助動詞「奉る」(謙譲)、「給ふ」(尊敬)が付け加えられている。おもしろいのは、複合動詞には、しばしば係助詞などが間にはさまることで、この場合も「奉る」が間に入りこんでいる。中宮定子をふくむひとびとそれぞれへの敬意が示されている。
おほんたいめん:じつは「御」の字の読み方の原則はよくわからない。ひらがなで書かれているものを参考に読んでいるにすぎない。「御」は「おほみ」からきて「おん」になるのだが、ここでも「おん」と読んでよいだろう。「御心」などは「みこころ」と読むが、「御衣」は「みぞ」とも「おんぞ」とも読んでいる。
2上は;病身なのでこのようにした。
4泣く泣く:動詞の繰り返しで、泣きながら。
聞こえ給ひ:謙譲は伊周へ、尊敬は北の方への敬意。
1死にもし侍るべきかな:動詞「死ぬ」に補助動詞「侍り」(丁寧)がついている。単純語の動詞に係助詞「も」をつけるため、補助動詞「る」を用いて、「死にも す」として、それに「侍り」がつく。さらに、可能の「べし」をつけたが、「べし」は連体形をとって連体結びになって、感動を表す。さらに、感動の終助詞「かな」をつけて、当然ながら、北の方の強い感動を表現している。
2おろかに・・:「思はむ」などが省略。
世の常なりや:この場面に対する筆者の評価であるが、自分の表現に対する謙遜もあるだろう。このあと、伊周は発見され、今度は、さらに遠い九州の太宰府に追放される。「大鏡」で伊周を「帥殿」と呼ぶのは、彼が太宰権帥(実権のない太宰府の長官)にされたため。