土佐日記3・解説

作品について

 土佐日記

登場人物

 (書き手):紀貫之の妻(実際の筆者は紀貫之自身と考えられている)。夫とともに土佐の国で過ごし、5年ぶりに我が家に戻った。

 人々、船人:紀貫之とともに土佐に行き、いっしょに船で戻ってきた、一族の者や召使いたち。

 女子:筆者と紀貫之との子供。京で生まれ、土佐にともなったが、現地で死んだ。歌のなかで、「生まれし」、「見し人」とも言われる。

 心知れる人:筆者(紀貫之の妻)から見れば、紀貫之(この日記の実際の筆者)。これを紀貫之の妻と見る見方もある。

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夜更けて:935年2月16日午後10時ごろ。ほかの物語にもわざわざ夜を待って都に入る例が見られる。目立つのを避けたのだろう。

 来れば京へ帰って来たので

 所々:都のあちこち。

うれし:土佐日記には、旅の苦労とともに、はやく都に戻りたいというあせりがしばしば書き記されていた。やっと戻れた、という喜び。

 :左京東北の隅にあったという。

聞きしよりもまして土佐で手紙や噂によってかねて聞いたより以上に

 家に:「家を」とすべきところ。これに関していろいろな説がある。要は、一族や召使いで役に立つ者はみな土佐に伴っていたので、京の家の留守番はあまりたよりにならなかった。そこで、家の管理(家の補修や庭の手入れ)を隣人に頼んでいたのである。

預けたりつる人:留守に家の管理を頼んで置いた隣人。完了「たり」と完了「つ」が重ねて使ってあるのは、「頼んでおいたのに」という気持ちが込められているのか。

 心も荒れたるなりけり:「家や庭ばかりでなく、隣人の心も」ということ。断定「なり」をつけ、さらに過去「けり」(現在のことだから詠嘆の用法)をつけることによって、隣人への不満や、しようがないな、という気持ちを強く表している。

 中垣こそあれ隣家との間に中垣があるけれど。係助詞「こそ」+已然形の形だが、已然形で文が終わっていないで、逆接でつづく用法。中垣があるから、別の家だが、しかし一軒の家のように仲がいいんだから、ということ。

  碁盤の目のように正方形に道路で区切られた街区をさらに垣根で区切って中流貴族の敷地にしていたことがわかる。

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一つ家のやうなれば・・:「預かりましょう」ということ。先方はみやげは期待するが、世話する気などないのである。

 望みて先方から望んで

 預かれるなり家をあずかったのだ。断定「なり」をつけて、説明の形をつくっている。

 さるは:<さあるは。とはいえ。向こうが申し出たのだから、お礼はいらないのだけれど、ということ。

 便りごとに都へのついでがあるごとに。国司として、都に税を送ったり、いろいろ報告を送るついでに。

物も土佐から心付けの品を。土地の名産(といっても、鰹節しか思い浮かばないが、当時はどんなものがあったのだろうか)を家の管理のお礼として。

 今宵しかし、着いて早々の今夜は。めでたい到着の日だから、ということか。

声高にものも言はせず:家人や従者たちに不平を隣家に聞こえるよう大声で言わせない。心付けをしていたのに、と思う反面、聞こえよがしなことを言わせないという、いかにも主婦らしい配慮をしている(と言っても、実際に書いているのは、紀貫之なのだが)。

志は家を預かってくれたお礼は

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池めいて:もとは池にしてあった所が、いま、荒廃していることを言っているのであろう。

松もありき:過去「き」は経験したことの回想だから、松があったことを実際見て知っている、ということ。

 五年、六年のうちに、千年過ぎにけむそれが、留守をした5,6年のあいだに、松の寿命の千年が過ぎたのだろうか。疑問の係助詞「」をうけて、過去推量の「けむ」が連体形になっていると考えられる。しかし、この文は挿入句的に扱われ、主に言いたいことに移っているので、「、」を付けられてつながっている(もちろん、句点はテキストを編集した学者の解釈で付けたものだが)。

片方:半分ほどの松。

 いま生ひたるぞそうかと思えば新しく生えたの(小松)が

 おほかたの:松以外にもあたり一帯が、ということ。

人々:紀貫之とともに土佐に行っていた一族の者や召使いたち。

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女子:筆者と紀貫之との子供。京で生まれ、土佐にともなったが、現地で死んだ。

 いかがは悲しき:疑問詞「いかが」があるので、連体形「悲しき」で文を結び、疑問文となっている。しかし、あたりまえのことを尋ねているので、反語となる。「いかが」に係助詞「は」がついているのも、反語の意味を強めている。

 船人:うえの「人々」とおなじ。それぞれ、妻子とともに帰国したのである。

子たかりてののしる:家族毎に、子供をまじえてわいわいやっている。

 かかる:副詞「かく」+補助動詞「ある」連体形(このようである)の短縮した形。

 悲しき:自分たちの娘が死んでしまっている悲しさ。

心知れる人:筆者(紀貫之の妻)から見れば、紀貫之(この日記の実際の筆者)。

 言へりける歌:傷心の夫婦がたがいに歌を詠んで、なぐさめあった、ということ。しかし、次の2首の歌はともに紀貫之のものとよめる。筆者の歌は載せなかったということか。

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生まれし:過去「き」の連体形「し」は、準体法で、名詞として使われている。ここでは、「生まれた人」。死んだ娘をさす。

 帰らぬものを:「ものを」は逆接の接続助詞。

 :3ページ3行の、「いま生ひたる」をさす。「」に「子」をひびかせている。

2悲しさ:形容詞「悲し」からつくられた派生名詞。名詞止めの歌となっている。名詞止めは感動(この場合は悲しさ)の表現。

飽かずあら:動詞「あく」に打消「ず」のついたものに推量「む」がついた。「あかざらむ」。これを疑問の形で言いたいので、係助詞「」を付け加えると、補助動詞「あり」があらわれて、本文のような形になる。

見し人:「見た人」ということで、「かつて見た人」、「面倒を見た人」という意味から、死んだ娘をさす。

 見ましかば:動詞「見る」に反実仮想の「まし」がついて、事実に反することを想像している。ここでは、実際は見ないのだが、もし見たら

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別れせましや:動詞「す」未然形+反実仮想「まし」終止形は、前に置かれた「見ましかば」の反実仮想「ましか」已然形と呼応して、反実仮想の構文をつくっている。「事実はそうではないが、もしそうだったら、これこれだったろうに。」ここでは、疑問の係助詞「や」が文末にきて、反語として使われているので、「もし見たとしたら、別れをしたろうか、いや、するはずがなかったろうに。」もし、娘が生きていて、身近み見たなら、土佐を出発するときの悲しい別れをしたろうか、いや、しなかったろうに、ということで、娘を失ったことに対する繰り言である。

  この2首のうたは、やはり、父親の悲しみの歌ではないだろうか。とすれば、「心知れる人」は紀貫之であろう。そして、妻である筆者の歌は省略されていると考えられる。

忘れがたく、口惜しきこと:娘を失ったという、忘れられず、残念なこと。

 え尽くさず:副詞「え」+打消で、不可能の意味をつくる。書き尽くせない

とまれかうまれ:「とも あれ、かくも あれ」(そのようであっても、このようであっても)から出来た語。

 破りてむ:このようなくだらないことをごたごた書き付けた日記は、無価値だから、破り捨ててしまおう、ということで、昔の作品によく見られる謙遜の気持ち。

  男の日記は、子孫の参考にするため、価値あることを書き残し、大事に保管すべきものだが、女が自分の感情をめんめんと書き連ねたこのようなものは、無価値だということだが、紀貫之に始まる仮名の日記文学の伝統は、そのような感情のこまごました記述によって、限りなく貴重な文学遺産となっている。