12月27日に土佐の大津を船出してから、浦伝いに旅をつづけて、1月26日、一行はまだ四国を離れられない。しかもこの間、海賊(国守に恨みを抱く海上武装勢力)が襲ってくるといううわさにおびえている。
筆者:土佐の守の妻と思われる女性(じつは、紀貫之)。
海賊:国守に恨みを抱く海上武装勢力。中世に瀬戸内海で勢力を張った海賊は、通交の商船から安全料を徴収し、応じなければ攻撃した。土佐日記では、海賊のうわさだけに止まる。紀貫之は本文で土地の人に別れを惜しまれるほどの人柄であったと言っているので、個人的な恨みではなく、国守としてやむを得ない仕事(税の徴収や地域の安全確保)によって恨みを受けたのであろうか。
かぢとり:船頭。貫之の舟の船頭は同時に一行全体の舟を指揮した。
女の童:女の子。貫之に同行していた一族の誰かの娘。
童・媼:一行の、貫之の手助けをするため来ていた一族の男たちの家族。
淡路のたうめ:「淡路のおばあさん」と呼ばれていた人。
1二十六日:935年陰暦1月26日。
まことにやあらむ:挿入句なので、「。」でなく、「、」になっている。「まことなり」を推量の言い方で「まことならむ」とし、疑問の言い方にしたいので、係助詞「や」をはさむため、断定「なり」が連用形「に」になり、補助動詞「あり」があらわれたもの。
夜中ばかりより、舟をいだして:陸路でも早朝出発が常識だった時代、夜中に舟を出したのは、海賊が襲ってくるという情報があったから。
2こぎ来る:当時は帆走技術がそれほど発達していないから、比較的小さな舟を水夫たちが手で漕ぐ。そうした舟何艘かに分乗して旅をしたのであろう。
たむけする所:陸路なら峠、海路なら岬のような危険な箇所を安全に通行できるよう神に祈る場所。「ぬさ」(麻・木綿・紙をあらかじめ細かくさいておいたもの)を「たむける」(神前にまき散らす)ことによって祈る。
3かぢとり:船頭。貫之の舟の船頭は同時に一行全体の舟を指揮した。一行を代表して神に祈らせたのである。
たいまつら:謙譲動詞「たてまつる」の未然形。イ音便になっている。謙譲は神にたいする敬意。
東へ散れば:これから渡ろうとしている本土の方へ吹き流されていったので。
4申して奉る:「申す」は「言ふ」の謙譲語。「奉る」も謙譲の補助動詞。神に対して非常に敬意をもって言ったということ。神主が祝詞をあげるように、無事に旅ができるという神意がかならず実現されるべきである、という気持ち。
この幣の散る方:つまり東。陸地の方角。
御舟:「御」はこの舟に乗っている土佐の守に対する敬意。
1申して奉ることば、「・・」と申して奉る:引用文を同じことばでくくるのは、漢文の影響であろうが、古めかしい言い方。漢文の教養の深い人が、漢文をモデルにして、はじめて日本語を書き表そうとしていることがうかがわれると思う。
2ある:連体詞ではなく、同じ舟にいた、の意味。
女の童:女の子。かならずしも「童(子供の召使い)」と考えなくてもよい。貫之ばかりでなく、その一族が同行していた、その誰かの娘であろう。筆者の娘は土佐で病没しているので、自分の子ではない。
3わたつみ:海の神、転じて歌では「海」のこと。
道触りの神:陸上の旅を守る神。ここでは海上の旅について言っている。
追ひ風:後ろから吹く風。当時の帆船は、四角い帆なので、逆風に向かって進めなかった。
4吹かなむ:動詞「吹く」未然形+願望終助詞「なむ」。吹いてほしい。「吹きなむ」だと、動詞連用形+完了「む」未然形+推量「む」で、吹いてしまうだろう。
1よめる、・・ とぞよめる:この構文も2ページ1と同じ。
よければ:追い風なので航行に都合がよい。
2舟に帆上げ:順風を利用して、帆を上げて進もう、ということ。「上げ」は連用形だが、命令に使っている。この部分を地の文と読む説もある。
童も媼も:子供も女も。一行に一族の男たち(貫之の手助けをするため来ていた)の家族がいたことがわかる。「童」はかならずしも、さっき歌を詠んだ女の子でなくてもよい。「媼」は老女という意味だが、つぎの「淡路のたうめ」と同一人物でなくてもよい。
いつしかと思へばにやあらむ:挿入文。「いつしか」は決まり文句で、「対岸に着くのがいつか、いつか」ということ。文法的な説明は、1ページ1を参照。
4喜ぶ:お祈りしたとたん、順風になったので、みなで喜んでいる様子。
1淡路のたうめ:「たうめ(専女)」は老女。「淡路のおばあさん」と呼ばれていた人。
2帆手:帆綱。「て」を一行の人々の「手」に掛けている。
3うれしがりけれ:「うれしかりけれ」と読んで、うれしくてたまらない、とする説もある。
4天気:土佐日記では「天気」は「てけ」または「ていけ」と表記されている。撥音「ん」の字がなかったので、表記に苦労しているところ。
祈る:好天が続きますようにと祈る。すこしでも海の荒れる気配があると、船出しなかったので。