第二百九十九段。中宮との幸福で、はなやかな触れあいをつづった、日記的章段としてもっとも有名なもの。
少納言:私。清少納言と呼ばれ、定子中宮に仕え、その献身と才気を愛された。ここでも、中宮のお側にひかえ、仲間の女房とともに雑談していた。こういう女房同士の雑談は、半分は主人に聞かせるためのもので、たいくつを慰めるとともに、貴族社会のいろいろなゴシップを知らせるためでもあったようだ。
(中宮):清少納言の主人。一条天皇の后、中宮定子(ていし)。天皇に深く愛され、子供も生まれたが、父藤原道兼の死後、一族の没落を見て若くして死んだ。
人々:中宮に仕える、比較的身分の高い侍女たち(女房)。主人のそばに昼夜ひかえ、秘書役、来客との応対にあたった。身の回りの世話は、より低い身分の侍女たちがした。
1例ならず:いつもなら御格子を上げて雪景色を見るところを、という気持ち。中宮をはじめ、当時の貴族たちは、雪景色を非常に愛した。ただし、中宮のような高貴な女性は、母屋の帳台のなかにいて、廂の間を通して見なければならなかった。それぞれの部屋の仕切には御簾が下がり、廂と簀の子の間には格子があった。
したがって、中宮が雪を見たければ、格子を上げて、御簾越しにみなければならなかった。夜とか、寒いときは格子を閉めたのだろうが、ここで格子が下りていたのは、中宮がわざとさせていたのだという説がある。
2炭櫃に火おこして:当時の暖房具。これは身分の低い侍女たちの仕事。
物語りなどして集まり:女房たちで世間話をしながら集まって。これは身分の高い侍女(女房)たち。さぼっているのではなく、さりげなく中宮に世間の出来事を伝えたりしている。高貴なご主人は、聞いていない風をしながら、俗世間のことも耳にしている。
3さぶらふに:用があってもなくても、主人の側にひかえているのが本来の役目。
「少納言よ:中宮が清少納言に言葉をかけた。
香炉峰:中国江西省廬山にある、香炉に似た形の山。白居易が江州に左遷された時に作った詩の、「香炉峰の雪は簾を撥げて看る、遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴く」の句が当時の貴族社会で有名だった。
香炉峰の雪いかならむ:あの有名な香炉峰の雪はどんなにすてきだろうか、ということだが、中宮としては、格子が下りていて雪が見えない、なんとかしろ、ということを遠回しに言ったもの。貴人は、召使いが気が利かないところも、直接叱ったりしないし、清少納言の応対をためすという意味もあったろう。
4仰せらるれば:とおっしゃったので、私は、白居易の「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」の詞句を思い出して、ということ。
御格子上げさせて:係りの女官に命令した。
御簾を高く上げたれば:これは清少納言が自分でしたこと。母屋と廂の間の御簾を上げたのであろう。「簾を撥げて看る」を実際にやってください、という意味。
1笑はせたまふ:よくわかってくれた、という気持ち。尊敬の助動詞「す」連用形と尊敬の補助動詞「たまふ」終止形が使われているので、二重尊敬。地の文に使われている二重尊敬は、天皇や皇后に対してだけ使われる最高敬語。
2知り:私たちも知っていて。
3歌へど:引用して歌をつくるけれど。
思ひこそよらざりつれ:とっさにこういうことをするとは思いつかなかったのだ。
なほ:やはり、この清少納言という人は。
この宮:ご立派な中宮様の御殿の。
4さべきな’めり:「さるべき」(そうあるのが当然な)の撥音便「さんべき」の「ん」の無表記。これに断定「なり」がついて、「さべきなり」。さらに推量「めり」がついて、「さんべきなるめり」(そうあるのが当然であるようだ)。「なる」が撥音便「なん」になって、また「ん」が無表記とされた。テキストの「’」は無表記の文字があることを意味している(一般には使われていないが)。
言ふ:感心して言う。
枕草子は、定子一門が没落した後に書かれたが、その内容は定子とその周辺の人々の栄光に満ちた、幸せな日々のことに限られていた。これも、中宮と自分との交流を万感をこめて綴ったもので、ありきたりの言葉や歌でなく、動作で返した機転が、中宮を満足させ、同僚を感心させた想い出が書きとどめられている。