枕草子223解説

作品について

 枕草子第二百二十三段。

  五月雨の季節、雨の晴れ間のすがすがしい光のなか、青葉茂る山道を行く感興をのべた随筆的章段。

登場人物

 筆者(清少納言)の体験に基づいてはいるが、いつ、どことも特定されていない。

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1五月:陰暦5月。いまの6月にあたるから、梅雨の季節。雨も湿気も多いが、植物はいききと繁茂する。

 ありく:出歩く。平安時代の貴族の女性は牛車に乗った。また、外出も神社や寺院への参詣に限られていたので、ここでもそうした機会での体験に基づくのだろう。

 水も:水面にも水草が青々としていることを言う。

2上はつれなくて:表面は堅い地面に草が生えているように見えて。拾遺集巻14の「蘆根はふ泥土(うき)は上こそつれなけれ 下はえならずおもふ心を(地下に葦の根が広がる沼地は表面にはなにも見えない、そのように何気ないふりをしている私は、心中では人を愛していることだ)」をふまえている。このように古い歌をさりげなく引用するのが名文とされた。もちろん筆者がいま恋をしているということではない。

3ながながとただざまに行けば:お供の者も長い一列を作って歩いていくと。都の大路とちがって、田舎の細い道で、一面に草が茂っている間を進んで行く情景。

 えならざりける:ここも、2であげたの言葉を念頭に置いている。「えならず」は一応品詞分解されるが、これ全体で、「なんともいえないほどだ(すばらしくて)」「ひととおりではない」という意味になる。車に乗っている筆者には分からなかったが、地面にはけっこう水たまりがあって、ということ。過去の助動詞「けり」は、ここでは、ちょっとした感動を表している。

4人:牛車に付き従う従者。貴族が外出するときは、かならず従者たちが従う。もちろん徒歩で、歩くにつれ、水を跳ね上げるのである。

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2左右に:この場面はおなじ外出の場面とも、べつの日の出来事ともとれる。左右の垣根の木の枝が車内に入ってくるというのだから、人里に入って、かなり狭い道を一行は進んでいる。

 ものの枝:「もの」はanythingにあたるような不定のものを言うばあいがあるから、ここでは木の種類をぼかしていることになる。「なにかの木の枝が」

 車の屋形:牛車の上の、人が乗っている家のような形の部分。左右に窓があって、簾がさげてある。そこから枝がつっこんでくるのである。

3急ぎとらへて・・:あっと思って、枝の先を折りとろうとしたが、車が通りすぎて、枝の先も出ていってしまう。

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1蓬の:格助詞「の」は同格。「ヨモギで」「おしつぶされたもの」。ヨモギは菊科の多年草で、ヨモギ餅やもぐさの原料にもなるが、代表的な野草で、夏にはいくらでも茂っている。それが車輪に踏まれても、また起き返ってくるのをおもしろがっている。やはり、おなじ外出の時のシーンであろう。

2うちかかへたる:「うち」は接頭辞であまり意味がない。「かかふ」は「かかえる」という動詞だが、「香りなどを含みもつ」という意味もあるので、ヨモギの動きにつれ、香りが車内まで届いたと解釈できる。しかし、本によっては「うちかかりたる」となっていて、これだと、「ひっかかっている」という解釈になる。