右京の君:清少納言と仲のよかった女房。ほかの段にもあらわれる。
1御前にて:中宮様の前で。貴人の前に控えて、世間話などをするのも、女房の仕事の一部だった。
人々:同じく、お前に控えているほかの女房たち。
もの仰せらるる:中宮様が何かをおっしゃる。
2「世の中の・・:中宮様の前で、同僚の女房や中宮様に対して、口癖のように清少納言が言ったこと。
あるべき:動詞「あり」連体形+可能「べし」連体形。生きていられる。
3行きもしなばや:動詞「ゆく」連用形+係助詞「も」+補助動詞「す」連用形+強意「ぬ」未然形+終助詞「ばや」。
「行かばや」(行きたい)に強意の「ぬ」が加わって、「行きなばや」、さらに係助詞「も」が加わって、補助動詞「す」が現れた。いずれも願望の表現を強めるはたらきをしている。
4ただの紙の、いと白う、きよげなる:「の」は同格で、「ただの紙」と「いと白う、きよげなる」紙が同一物であることを示す。「ただの紙」はちょっと手を加えた「白き色紙、陸奥紙」と対比される。
「色紙」は白も含めた種々の色の紙、または、和歌などを書くための厚い紙。金銀の箔などで飾られていることが多い。
「陸奥紙」は「檀紙」とも言い、厚みのある上質の紙。
したがって、ここでは、清少納言を慰めるものとして、(A)紙と(B)筆が挙げられ、さらに(A)紙については、3種が挙げられている:@白き色紙、A陸奥紙、@A以外の普通の紙だが、B(まだ新しくて)とても白く、きれいなもの。
いずれも、文学好きの清少納言にとって、喜ばしいものであったろう。
2ありぬべかんめり:動詞「あり」連用形+強意「ぬ」終止形+適当「べし」連体形撥音便+婉曲「めり」終止形。生きていてしまうのが適当なようだ。生きているのも捨てたものじゃない、ということ。
高麗縁のむしろ:「高麗縁」は、白地の綾に雲・菊などの模様を黒く織りだした縁。「むしろ」は薄縁の敷物。当時は板の間だったので、座るところにこうした敷物を置いた。
次の「青うこまやかに厚き」と同格。むしろの草がまだ青々としていて、緻密に厚く編んであるもの。
3厚きが:格助詞「が」は同格を示す。つまり、(C)として、
@高麗縁のむしろ
A青うこまやかに厚き
B縁の紋いとあざやかに、黒う白う見えたる
このみっつは、同一の物を指している。
縁の紋:縁の白地に雲形模様など織り出した模様。
4黒う白う見えたる:模様の黒白がくっきり見えているもの。
1何か:感動詞。なんの、なんの。
なほ:副詞。「片時も生きているのがいやで、ただどこでもいいから行ってしまいたいと思」ったけれど、やはり。
思ひ捨つまじ:動詞「おもひすつ」終止形+打消推量「まじ」終止形。副詞「え」と打消で、不可能。捨てることができないだろう。
2申せば:謙譲動詞「まうす」已然形+接続助詞「ば」。謙譲は中宮に対する敬意。
「いみじく・・:中宮の答え。
いみじくはかなきこと:先にあげた(A)(B)(C)のような、ちょっとしたこと。
3慰むなるかな:動詞「なぐさむ」終止形+推量「なり」連体形+終助詞「かな」。相手から聞いたことだから推量「なり」が使われている。連体止めと終助詞はいずれも感動表現。慰むそうだけど、ちょっと驚きね、といった感じか。
姨捨山の月:『古今集』の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」を念頭に置いている。(私の心は紛らわそうと思ってもできない。あの更級の姨捨山に照る月を見ていると)という歌で、月の寂しさを詠っているわけだが、ここでは、月を見ても慰めきれない人がいるのに、清少納言はそんなちょっとした物で慰められるのですね、とからかっている。
見けるにか・・:あとに「あらむ」などが省略。この歌を詠った人なら、そんな物で慰められなかったでしょうね、という気持ち。
4笑はせ給ふ:動詞「わらふ」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。二重尊敬は中宮に対する最高敬語。
息災の祈り:健康で寿命が長いようにという祈り。
1祈りな’なり:名詞「いのり」+断定「なり」連体形撥音便の「ん」の無表記+推量「なり」終止形。祈りであるように思われる。
2ほど経て:長徳二年の秋のころ。このころ、中宮定子の兄弟である伊周、隆家の失脚事件があり、清少納言が敵方に関係があるとうわさされ、出仕をひかえていた時期があったらしい。
3里:自宅。
給はせたり:尊敬動詞「たまふ」未然形+尊敬「す」連用形+完了「たり」終止形。二重尊敬は中宮に対する最高敬語。
4仰せ事:中宮様のおことば。使者が口上として述べたものであろう。
参れ:謙譲動詞「まゐる」命令形。謙譲は中宮に対する敬意。はやく出仕しなさい。
中宮はそうした噂を信じていない。
のたまはせて::尊敬動詞「のたまふ」未然形+尊敬「す」連用形+接続助詞「て」。二重尊敬は中宮に対する最高敬語。
「これは・・:中宮の意志を受けて女房が書いた手紙。この紙は。
このような使者は、口上とともに手紙を持参したものだが、中宮は身分の高い人なので、侍女が代筆している。
1聞こしめしおきたる:尊敬動詞「きこしめしおく」連用形+完了「たり」連体形。お聞きになっておられた。尊敬は、書き手の女房の、中宮に対する敬意。
聞こしめしおきたること:以前、清少納言が言った、(A)紙に関すること。1ページ4。
ありしかばなむ・・:「下さるのです」のような言葉が省略。
2わろかめれば:形容詞「わろし」連体形「わろかる」の撥音便「わろかん」の「ん」の無表記+婉曲「めり」已然形+接続助詞「ば」。よくない紙のようだから。贈り物に対する謙遜。
寿命経も・・:(ずみょうきょう) その時の会話で、聞いていた女房が「「いみじうやすき息災の祈りななり。」と言ったこと(3ページ4)を受けて、息災の祈りとして読まれる寿命経を書き写して息災を祈るわけにもいかないけれどね、と冗談を言ったもの。
書くまじげにこそ・・:「あれ」などが省略。動詞「かく」終止形+形容動詞「まじげなり」連用形+係助詞「こそ」。「まじげなり」は否定の推量・意志・不適当をあらわす助動詞「まじ」から派生したもので、ここでは副詞「え」とともに不可能を表す。書くことができそうもないけれどね。
お経の筆者には、最上級の用紙を用いたものである。
3仰せられたる:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連用形+完了「たり」連体形。二重尊敬は中宮に対する最高敬語。
手紙を書いたのは女房だが、内容は中宮のお言葉だから、このように言った。
4おぼしおかせ給へりけるは:尊敬動詞「おぼしおく」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「り」連用形+過去「けり」連体形+係助詞「は」。二重(三重!)尊敬は中宮に対する最高敬語。
なほただ人にてだに:覚えているのが普通の人であってすら、やはり。この場合は、そんなことを忘れて当然の、高貴な人だったので、私の感激はこの上ないものだった、ということ。
をかしかべし:形容詞「をかし」連体形「をかしかる」の撥音便「をかしかん」の「ん」の無表記+推量「べし」終止形。推量は「普通の人だったとしても」という仮定を受けているからだろう。
1まいて:この場合は、中宮様がと思うと余計に。
2啓すべき:謙譲動詞「けいす」終止形+可能「べし」連体形。「啓す」は中宮レベルの人に対する敬語。
3「かけまくも・・:清少納言の中宮に対する返事(の中に書き加えた短歌)。当時としては、手紙に歌を詠み込むのが常識。
かけまくも:動詞「かく」未然形+意志「む」のク語法+係助詞「も」。言葉にだすのも。
かみのしるし:霊験あらたかな神のごりやく。掛詞で、中宮様にいただいた神のおかげ。
鶴の齢:(つるの よわい)鶴の千年(ちとせ)とよく詠われるように、長い寿命。
4なりぬべきかな:動詞「なる」連用形+強意「ぬ」終止形+推量「べし」連体形+終助詞「かな」。連体止めと終助詞はいずれも感動の表現。私は(そのような長い寿命に)なってしまいそうでございます。
1あまりにや・・:鶴の齢とは大げさでしょうか。あとに「あらむ」などが省略。
啓せさせ給へ:謙譲動詞「けいす」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」命令形。謙譲は、清少納言の、中宮に対する敬意。二重尊敬は、会話(手紙)の文の中だから、最高敬語ではなく、清少納言の、手紙をくれた女房への敬意。
中宮様に申し上げてください。中宮は、自分で手紙を見るであろうが、あくまで女房に向けて書く。
参らせつ:謙譲動詞「まゐる」未然形+使役「す」連用形+完了「つ」。謙譲は、中宮に対する敬意。中宮からの使者を待たせておいて、それに返事を持っていかせる。
2台盤所の雑仕:「台盤所」は、清涼殿にある女房の詰め所。「雑仕」は雑用係。女房の下にあって、いろいろな雑用を勤める。この者が中宮様の使者として来た。
青き綾の単:青く染めた綾織物の着物で、裏の付いていないもの。使者の禄(お駄賃)としてはかなり高価であるが、中宮様への感謝のしるしでもある。
3まことに:4の「むつかしきことも紛るる心地して」にかかる。
草子に作り:いただいた紙をノート式に綴じること。
この冊子(ノート)に書き始めたのが「枕草子」であると考える人がいる。
4をかし:現金にむしゃくしゃがなくなってしまった自分の心の動きをおもしろいと感じたという説と、清少納言の言ったことを覚えていてこのように力づけてくれる中宮様のしわざをおもしろいと感じたという説がある。
1二日ばかりありて・・:紙の贈り物があってから。清少納言は、まだ、出仕しない。
赤衣:(あかぎぬ) 退紅色の狩衣で、下人の着物。
退紅色
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畳:(たたみ) ござのような敷物。
これ:これをどうぞ、ということ。男は、くわしいことを言ってはならないと命令されていたのだろう。
2「あれはたそ。・・:清少納言の家の人の言葉。男がかってに入ってきたので、とがめている。
3さし置きていぬ:使いの者は、畳をそこに置いて行ってしまった。普通の使者なら、口上を述べて、返事(とごほうび)を待っているところ。
いづこよりぞ・・:清少納言の言葉。「来たものか」などが省略。
4問はすれど:動詞「とふ」未然形+使役「す」已然形+接続助詞。女主人である清少納言が、報告を受けて、召使いに命じて尋ねさせたけれど。
まかりにけり:その召使いの報告。謙譲動詞「まかる」連用形+完了「ぬ」連用形+過去「けり」。謙譲は、報告した召使いの、清少納言に対する敬意。男は行ってしまいました(だから、どなたからの贈り物かわかりません)。
取り入れたれば:その畳を持って来させると。
1御座:(ござ) 貴人の席。あげだたみ(板の間に敷物を敷いた上にさらに置いて貴人の席とするもの)。ここでは、後者。
畳:板の間のすわる所に敷く敷物。構成のたたみではない。
高麗:ここでは高麗縁(こうらいべり)。
つまり、この御座は、2ページ2で話題となった、高麗縁のむしろのこと。
2さにやあらむ:「さ」の指すものは、中宮様からの贈り物であるということ。
なんど:副助詞「など」に同じ。
3人々:召使いたち。
求むれど:使いの者の行方を探したが。
4あやしがり言へど:使いの者が誰からの贈り物だと口上を言わずに消えてしまうのはおかしいと言い合ったが。
言ふかひなくて:中宮様からの贈り物なら、お礼を言わなければならないのに、確かめることができないから、それもできず、どうしようもなくて。
1所違へ:宛先違い。
2宮の辺:中宮様のあたり。
案内しに:様子を聞きに。中宮様がこのようなことをお命じになったかと、侍女の誰かに尋ねる。
参らまほしけれど:謙譲動詞「まゐる」未然形+願望「まほし」已然形+接続助詞「ど」。謙譲は中宮に対する敬意。ここでは「まゐる」は行くことではなく、たよりを差し上げること。清少納言は、まだ、中宮の所に復帰したくない。
さもあらずは:副詞「さ」+係助詞「も」+補助動詞「あり」未然形+打消「ず」未然形+接続助詞「は(ば)」。もしそうでなければ。中宮様がくださったのではなく、単なる宛先ちがいなら。
補助動詞「あり」は、断定(名詞を述語にする)「なり」のかわり。打消の仮定条件は、「ずは」となる。この「は」は、接続助詞「ば」が打消「ず」の未然形と形容詞未然形「−く」のあとに限ってあらわれる形。
うたてあべし:名詞「うたて」+補助動詞「あり」連体形撥音便「あん」の「ん」の無表記+推量「べし」終止形。みっともないだろう。
3たれか・・せむ:疑問代名詞「たれ」+係助詞「か」・・動詞「す」未然形+推量「む」連体形。疑問詞「たれ」と疑問の係助詞「か」を用いて連体形「む」で文を結んでいる、疑問文の形。しかし、あたりまえのことを尋ねているので、反語。だれだってしやしない。
かかるわざ:こんなしわざ。高価な御座をだまって置いて来させるようなこと。
4仰せ言なめり:名詞「おほせごと」+断定「なり」連体形の撥音便「なん」の「ん」の無表記+推量「めり」終止形。「仰せ言」は尊敬語で中宮に対する敬意。中宮様のご命令なんだろう。
いみじうをかし:そう思うと、中宮さまが、先の紙の贈り物に加えて、御座までくださったことがすごく愉快だ、という気持ち。紙だけで元気が出ないなら、この御座でさらに気力を回復して、戻って来なさい、という中宮の好意がありがたかった。
1音もせねば:間違いでしたから返してください、と言ってくる者もいなかったので。
疑ひなくて:間違いなく、中宮様からの贈り物だということになって。
右京の君:清少納言と仲のよかった女房。
2「かかることなむ・・:清少納言が、右京の君のもとに送った手紙。
かかることなむ:こうしたことが。御座が届けられたこと。
さること:そのようなこと。中宮様がそんな命令をなさったこと。
見給ひし:動詞「みる」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「き」連体形。「き」の連体形は、係助詞「や」の結びで、疑問文の形をつくっている。尊敬は、話し手である清少納言の、右京の君に対する敬意。
3のたまへ:尊敬動詞「のたまふ」命令形。尊敬は、話し手である清少納言の、右京の君に対する敬意。
見えずは:動詞「みゆ」未然形+打消「ず」未然形+接続助詞「は(ば)」。未然形「ず」につく「ば」が「は」になることについては、10ページ2。
かう:副詞「かく」のウ音便。このように。あなたにこんな手紙を書いて、ということ。
4申したりと:謙譲動詞「まうす」連用形+完了「たり」終止形+格助詞「と」。謙譲は、話し手である清少納言の、右京の君に対する敬意。
な散らし給ひそ:副詞「な」+動詞「ちらす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+終助詞「そ」。「な」・・「そ」で禁止。尊敬は、話し手である清少納言の、右京の君に対する敬意。しゃべり散らさないでください。
自分が中宮様から贈り物をいただけると思っていたなどと、他の同僚に聞かれたら、なんて高慢なの、とまた陰口をきかれるから。ということは、右京の君は、そういう心配のない、信頼できる友だったのだろう。
1「いみじう・・:右京の君からの返事。
隠させ給ひし:動詞「かくす」未然形+尊敬「す」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」連用形+過去「き」連体形。尊敬は、書き手である右京の君の、中宮への敬意。二重に尊敬が使われているが、会話(手紙)の中だから、最高敬語と見なくてよい。
中宮様が、このことを絶対清少納言に知られないようになさったことだ、私たちもしゃべってはいけないと言われている。
2な口にも・・:「かけたまひそ」「出だしたまひそ」などが省略。口に出さないでください、そうしないと、私が中宮様に叱れてしまいます。
とあれば:ここまで書いてあれば、中宮様のしわざだということが分かる。
3さればよ:副詞「さ」+補助動詞「あり」已然形+接続助詞「ば」+終助詞「よ」の短縮形。やっぱり。
思ふもしるく:決まり文句で、思ったとおり。
文:(ふみ) 手紙。中宮様に、私は分かっていますよと、これまた、誰の手紙とも分からずに御殿に置いて来させようと思ったらしい。こうしたほうが、さらに、おもしろくなるだろうと思ったのである。
4御前の高欄:中宮様のお部屋の前の、簀の子(ぬれ縁)につけられた手すり。
置かせしものは:動詞「おく」未然形+使役「す」連用形+過去「き」連体形+接続助詞「ものは」。おかせたのだが。清少納言が、召使いに命じて手紙をそこに置かせたのだが、なんとまあ、という気持ち。
惑ひけるほどに:使いの者があわてたので。御殿の召使いたちに見つからないように置いて来いと言われて、あわててしまったのだろう。
13ページ1かけ落として:手紙を載せそこなって落として。
御階:(みはし) 中宮様の御殿の簀の子の階段。その両側に高欄(手すり)がついている。
落ちにけり:手紙は落ちてしまった。これでは、誰も注目してくれない。
中宮様が、清少納言の言葉を記憶していて、しゃれた形で彼女を力づけ、自分のもとに戻って来るように伝えた。清少納言も、それを喜んで、しゃれた形で返事をしようとしたが、これは失敗してしまった。
中宮の晩年は、一族の没落もあり、乳母や腹心の清少納言が離れている状態が伺われる。しかし、「枕草子」はそうした暗い面をあえて出さず、中宮様のやさしさ、思いやりとしゃれたやりとりの記憶を永遠に留めている。