枕草子:240段(本によっては223段とする) 中宮定子のやさしさに関する日記的章段。
御乳母の大夫の命婦:中宮定子の乳母で、「大夫の命婦」という名で仕えていた人。夫の任地である日向に下ることになったらしい。高階成忠の娘。「乳母(めのと)」は、母に代わって主人の子を育て、成人後も結婚などの面倒を見た。一生、育てた子の世話をするものとされていたので、清少納言も、定子のやさしい主人と離れて行くことはできないはずだ、と述べているが、複雑な事情があったのであろう。
1御乳母の大夫の命婦:(おおんめのとの たいふの みょうぶ)中宮定子の乳母で、「大夫の命婦」という名で仕えていた人。「御」は、中宮定子に対する敬意。
日向:ひゅうが) 現在の宮崎県にあたる。夫の任地で、国司は妻子を伴って下ることが多かった。(土佐日記など)
給はする:尊敬動詞「たまふ」未然形+尊敬「す」連体形。二重尊敬は、中宮定子に対する最高敬語。中宮様が下さる。
扇ども:餞別の扇。「ども」は複数の接尾辞。「あふぎ」の「あふ」が「会ふ」に通じるので、餞別としてよく贈られた。
2片つ方は・・いま片つ方は:左右に絵の描いた扇で、その一方は・・もう一方は・・ということ。
日:太陽が。
田舎の館など:任地の日向の国司の館やその付属の建物。
3さるべき所:都に残された中宮の御殿。
日向は、国名のとおり、太陽が降り注いで楽しげだが、残された京都は涙の雨が降り注いでいるということ。
4あかねさす・・:この絵のところに書いてあった和歌。
あかねさす:「日」の枕詞。
日に向かひても:「日向」を詠み込んである。
思ひ出でよ:夫婦そろって陽のあふれる日向での生活は楽しいだろうが、以下のことも思い出せ、ということ。
1ながめ:「長雨」と「眺め(物思いにふけること)」の掛詞。
3御手にて:中宮様の筆跡で。「御」は、中宮定子に対する敬意。
秘書役の女房に書かせてもよかったのだが、わざわざ自分で・・ということ。それだけ、乳母に対する関係に深いものがある。
いみじうあはれなり:乳母への中宮様のいつくしみがたいそう感動的だ、ということ。
4さる:直訳は、そのようである。そのようにすばらしい、ということ。
見置き奉りてこそ:動詞「みおく」連用形+謙譲の補助動詞「たてまつる」連用形+接続助詞「て」+係助詞「こそ」。謙譲は、語り手の中宮に対する敬意。
え・・まじ(けれ):副詞「え」は打消の意味をもつ語とともに、不可能をあらわす。ここでは、当然できないはずだ。
行くまじけれ:動詞「ゆく」終止形+当然の打消「まじ」已然形。乳母たる者は、当然行くことができないはずだ。
乳母とはいえ、召使いにこのような真情を見せてくれる中宮定子のすばらしさを述べている。「枕草子」は、中宮定子とその周辺の人々の幸福な日々を記録しているが、その一門の没落は語らない。この段の記事の背景にも、複雑な事情があったと思われる。
大夫の命婦としても、主人を見捨てて日向に下ったのか、やむにやまれぬ状況で泣く泣く下ったのか、その事情は分からない。その出来事の年も、997年(中宮定子の兄の伊周の失脚の翌年)のこととも、1000年(この年に中宮定子が亡くなる)のこととも言われている。したがって、清少納言の評価も、大夫の命婦に批判的なのか、同情的なのか分からないが、中宮定子に対する賛美の情だけは確かに読みとれる。