徒然草第十九段。趣深い四季の変化を、春、夏、秋、冬そして新年と列挙した随筆。
1をりふしの・・:この1文は総論。季節そのものというより、その移り変わりにしみじみとした感覚をおぼえていることに注意。以下、春、夏、秋、冬そして新年への移り変わりの趣深さを述べる。
2もののあはれは・・:「もののあはれ」とは、季節の移り変わりやそれにともなう人の生活のいとなみに対して感じられる深い情緒。それは秋がまさっていると、どの人も言うけれど、・・と逆接でつなげて、筆者はやはり春が一番だと、春の風物とその移り変わりのすばらしさについて述べる。
3それもさるものにて、いまひときは心も浮き立つものは:「秋がしみじみとした感覚をおぼえさせると言うのはもっともだが、なお一層心も浮き立つものは・・」という議論の展開は、近代人には論旨のすりかえだと思える。秋が人を感傷的にし、春がひとを浮き浮きさせるということは、同一の基準で比較できない。しかし、筆者の気持ちとしては、人の心に影響を与える風物の変化という点では、春がまさっている、といいたいのであろう。
さる:副詞「さ」+動詞「あり」連体形。そのようである。
春の気色にこそあめれ:「春の気色なり」と断定したいところだが、推量「めり」を使って主張をやわらげる。でも、強調したいから、係助詞「こそ」を入れたい。そのため、断定「なり」が連用形「に」と補助動詞「あり」に分裂して、その間に「こそ」が入る:「春の気色にこそあるめれ」。「あり」が連体形「ある」になるのは、本来終止形に接続する「めり」は、ラ変に限って連体形に接続するため。ところが言いにくいので、撥音便「あん」になり、さらにこの「ん」を表記しない(できない)書き方が古典にしばしば見られる。兼好法師は中世の人だが、ここで学識を生かして、古典そっくりの書き方をしてみせたわけ。本文の「あ’」は「ん」の省略を意味している。
4気色:「景色」ではなく、自然や行事などの様子。
鳥の声:繁殖シーズンになると、鳥たちは特有のさえずりをはじめる。
1やや:次第に。稍(やや)ではない。
2花:さくら。「気色だつ」とは、つぼみがだんだん色づき、ふくらんでくること。今でも、つぼみの様子を見て、開花予想が報道される(最近は、開花時期と気温推移の統計から計算するようになったらしいが)。
ほどこそあれ:係助詞「こそ」+已然形の係り結びのかたちだが、逆接で文をつなげる使い方もあり、これもその例。いよいよ桜が咲きはじめたのに、春の嵐が来て・・ということ。
3青葉になりゆくまで:桜の花が散って、葉が出てくるまで。もう花が終わったかと思うまでは、今日咲いたか、いつ満開になるか、と心が落ち着かないということ。ちなみに、日本でいくらでも見られるソメイヨシノが普及するのは江戸時代以降だから、ここではヤマザクラのこと。しかもヤマザクラはソメイヨシノと違って、どちらかというと葉が先に出てくる。ここでは、一斉に花が散ってから葉桜になるという情景は思い浮かべないほうがよい。
1花橘は・・:「花橘」は花の咲いている橘。橘はミカンの古名で、木自体が香りがよい。その匂いが昔を思い出すものとして有名であるが。古今集の古歌に「さつきまつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする」があり、誰でも知っていた。
なほ:花橘も香りのよいものとして知られているが、それに付け加えて、梅の香りもよいものだと言っている。
2立ち返り:当時に立ち返って。梅は奈良時代の人に好まれた。されにいっそう昔の事が回顧されて、ということか。
山吹・・藤・・:さらにヤマブキとフジをとりあげる。ヤマブキは春黄金色の花を咲かせる。フジは四〜五月、淡紫色の蝶形花が長く垂れ下がる房となって咲く。それぞれの花の特徴を簡潔にとらえていることに注意。
すべて・・:それぞれの花の咲くところを見ないで過ごすにはもったいない、という気持ち。これは今もおなじで、ひまな老人たちがあちこちの花を見て歩くのに忙しがっている。
4灌仏:陰暦四月八日、釈迦の誕生を祝って、その像に香水(今は甘茶)をそそぐ。ここからは別人の言葉で、とりあつかう季節も夏になる。
祭:賀茂神社の葵祭。四月中旬(今は5月15日)に行われる。
涼しげに:夏のように暑苦しく茂っていないということ。
1人:ある人。敬語が使ってあるので、かなり身分の高い人であろうが、具体的には不明。筆者は諸手をあげて賛成。身分ばかりでなく、貴族的教養においても尊敬すべき人であったのだろう。
2菖蒲葺く:五月五日(端午の節句)にあやめ(ショウブの古名)を軒端にさして邪気を払った。
早苗:苗代から本田に移し植えるころの稲の苗。したがって、早苗取るころは、田植えをするころ。
水鶏:クイナは水鳥で、戸をたたくように鳴くと言われた。
かは:反語によく使われる係助詞。
六月のころ:夏は4,5,6月だから、もう夏の終わり。
4夕顔:ユウガオは、アサガオ、ヒルガオに対して、白い花を夕方咲かせる。その実は干瓢(かんぴょう)にする、いかにも庶民的な花。源氏物語の「夕顔」の巻で、源氏がめったに近寄らない夕顔の咲いた身分の低い人の家で夕顔と呼ばれる女性を見出す話がある。
蚊遣火:蚊取り線香がまだないので、煙でいぶして蚊を追い払った。これも貧しい人の家のイメージとして歌った古歌がある。
1六月祓:陰暦6月末日におこなったお払い。夏越の祓(なごしのはらえ)。年末にもおこなったのが今でも大晦日の大掃除として残っている。
2七夕:今でもおこなわれる七夕の星祭り。ここから、7,8,9月で、秋の風物、行事をあつかう。
夜寒:夜、肌寒いことで、秋の季語にもなっている。
3雁:ガン。秋に日本にやって来るが古来、季節の変化をもっとも感じさせるものだった。
萩:ハギ。野山にも庭にもよく見られるが、この頃は花も散って、葉が紅葉してくる。これも秋のものとされた。
早稲田:早稲(わせ)を植えた田だから、はやく収穫する。これも秋の風物。
4とり集めたること:趣を感じさせるものを一まとめにできること。秋には風情を感じさせるものがとにかくたくさんある、ということ。
1野分:二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。また、秋から冬にかけて吹く強い風。野分のあと、野山も庭も一気に冬らしくなる。
朝:「あした」と読んで、その翌朝。枕草子に野分の朝についての一文があり、源氏物語にも野分の朝の印象的な場面がある。
言ひ続くれば:このように秋の風物を列挙していくと。
3とにもあらず:格助詞「と」+断定「なり」で、ということだ。これに係助詞「も」をくわえたので、「なり」が連用形「に」と補助動詞「あり」にわかれた:とにもあり。さらに打消「ず」をつけてできた形。ということでもない。筆者の立場が、独創性の発揮ではなく、中世人の常として、古典的立場の再確認であったことがわかる。
4おぼしきこと・・:「大鏡」にある言葉で、言いたいことを言わないで我慢していると、不消化になった気がするという、人間共通の心理。
筆に任せつつ:筆のおもむくままに書くが。徒然草序段にすでに宣言されていること。これは論文ではなく、エッセイだという立場。
1あぢきなきすさびにて:「あぢきなきすさびなり」が中止法(・・連用形+て)となって、次の文につながっている。
見るべきにもあらず:「見るべき」を「見るはずのもの」という準体法ととると、名詞を述語にする断定「なり」がついて「見るべきなり」となる。もちろん、そんなものではないと打ち消すから、「見るべきならず」となるが、係助詞「も」を入れたい。そこで断定「なり」の連用形「に」に「も」をつけ、補助動詞「あり」をつかって、「見るべきにもあらず」となった。
人に見せようという意識はじゅうぶんあったろうが、そんなつもりはない、そんな価値はないと言うのが昔の日本人だった。
3さて:もとの話題を続ける。今度は冬。
汀の草:庭の池の水辺の草。
4紅葉:もちろん赤く紅葉したモミジ。それが散って、草にひっかかっている。その上に霜が降りて、上は白く、その下にモミジの赤や草の緑が見える。
遣水:貴族の庭園で、庭に引き入れた水の流れ。早朝、水面から水蒸気があがるのである。
1いそぎあへるころ:年末でいまでも忙しくなる。
2すさまじきもの:ひとつには、冬に月を鑑賞する人はあまりいない。また、陰暦20日過ぎの月は遅く出るので、これも鑑賞に適さない。「空」はもちろん「真夜中の空」。
3御仏名:陰暦12月19日から3日間、諸仏の名を唱え、罪やけがれを払う行事。
荷前の使ひ:陰暦12月中旬に、諸国から献上された初穂を各地の陵墓に供えるために派遣された勅使。いずれも冬の行事。
4公事:宮中の行事。12月の年中行事としては、御仏名、荷前の使のあと、大祓え・追儺がある。これらの行事と新年の行事の準備とが同時に行われるから忙しいのである。
2追儺:大晦日夜の行事で、宮中で鬼を追い払う。いまの節分の鬼やらい・豆まきにあたる。昔は立春が新年の始まりで、その前夜、汚れを祓い、邪気を追い払った。大晦日にすす払いをすることは今に残ったが、鬼やらいは立春の前夜の行事(節分の豆まき)となってしまった。
四方拝:元旦早朝の行事で、天皇が天地四方を拝し、五穀豊穣、国家安泰を祈る。一年の最後の行事と最初の行事が連続していると言っている。
つごもり:月のはじまりが「つきたち(ついたち)」、終わりが「つきごもり(つごもり)」。特に12月の終わりは「おほつごもり」。昔は一月が30日だったので、月末は「三十日(みそか)」。十二月は特に「おほみそか」。
3暗き:陰暦の月末は月がほぼ見えない。
門たたき走りありきて:「家の門を・・」。何かあわてふためいている様子。今なら、大晦日の夜にサイレンを鳴らしながら走りすぎていくような場面。
4足を空に:足も地につかないほどあわてている様子をいう決まり文句。
1惑ふが:走っていたのが。準体法の動詞に格助詞がついたと見る。「が」を接続助詞と見ないのは、「徒然草」が中世の文学ながら、古典語で書かれているため。
2亡き人の来る夜:死んだ人の魂が来る夜。今では、お盆の行事。
3東の方:当時、なにかにつけて都と対比されていた関東(鎌倉)のこと。兼好法師は二度鎌倉に行ったことがあり、その体験から述べている。
4ありしこそ、あはれなりしか:直接体験の「き」が使われているのは、自分が見聞したことだから。
1かくて:このように大晦日をすごして。話はまた、新年(春からはじまる)に戻る。
珍しき心地:今もかわらない、あらたまった感じ。
2大路:都の大通り。
松:9ページ3行の「松」は松明。これは門松。11世紀ごろ始まった習慣といわれる。