兼好法師の随筆「徒然草」の第184段。
松下禅尼:(相模守)北条時頼の母。北条時氏の妻。夫が死んだ後、尼となって鎌倉松の下に住んだので、このように呼ばれた。時頼は第4代の執権だから、当時の最高権力者の母であった。
城介義景:(秋田城介)安達義景。禅尼の兄。安達氏は有力な御家人として、北条氏を支えていた。この日、執権が屋敷に来るというので、準備をととのえていたのである。
1入れ 申さるる:「自分の住居へ」を補って読む。「申す」は時頼に対する敬語、「る」は禅尼に対する敬語。
2明かり障子:平安時代で「障子」と言うと、襖や衝立のことで、これはちょっと素人では修理できない。中世に「明かり障子」が現れるが、これが今日の障子で、桟に和紙を貼ったもの。明かりが透けて、素人でも張れる。
4候ひ:さぶらいとよんだが、「候ふ」は中世に「さぶらふ」から「さふらふ」に変化したので、そうらいでもよいかもしれない。丁寧の補助動詞で、この場合、義景が聞き手の禅尼をうやまっている。敬語の丁寧が頻繁に使われるようになったのも中世からのことで、もっぱらこの「候ふ」が使われている。
なにがし男:何とかという男の召使い。
1候ふ:さぶらうと読んだが、さぶろうも可能。
2「その男〜:禅尼の言葉。
尼:自分を指す。
よも:「まさか」という意味だが、前にもってきて訳した。打消の語とともに「まさか・・ない」。
3一間:この場合は、障子の一ます。
4みなを〜:一ますずつするより、一枚分張り替えたほうが簡単だということ。現代人と同じ発想だが、紙が貴重品だったこの時代には、権力の中枢部の人たちだけに許された贅沢さであったろう。
1見苦しくや・・:「候はむ」などが省略。疑問の係助詞「や」の結びもこれにともなって省略されている。
3あるべきなり:推量の助動詞「べし」の連体形「べき」は当然の用法。これに断定「なり」がついて、強い主張となっている。
4若き人:息子時頼のこと。執権となったのは20歳の時だった。
1申されける:係がないのに連体形で文が結ばれている。連体結びで、感動の表現とみていい。謙譲語「申す」は義景に対する敬語、尊敬「る」は禅尼に対する敬語。
ありがたかりけり:筆者は、禅尼の言葉がめったにないほど貴重であると言っている。
2女性なれど:「禅尼は」を補う。ちょっと女性蔑視だが、当時、学問から遠ざけられていた女性が、孔子や孟子の言葉を実践したことに感動しているのである。
3天下を保つほどの人:「執権として立派に」をおぎなう。執権時頼のこと。筆者はすでに鎌倉幕府の滅亡を見ているが、「太平記」など南北朝時代の人々は、最後の執権高時以外の北条執権はいずれもすぐれた政治家であったと認めていた。とくに、時頼は30歳で出家した後、身分を隠して全国を巡行したという伝説が生まれるほど、すぐれた人物だとされていた。
4あらざりけるとぞ・・:「言ふ」「聞く」などが省略。係の「ぞ」の結びも省略されている。