撰集抄解説

作品について

   鎌倉時代成立した仏教説話集。霊験(仏の力)、遁世者(いろいろな動機で出家した人)、往生者(極楽に往生した人)の物語を集めている。西行の著作と伝えられている。したがって、本編も、西行が物語っている。また、物語の主題も、あるきっかけで出家した人について語ることにある。

場所

   難波:大阪湾に面したところ。

登場人物

  (西行):北面の武士であったが、妻子を捨てて出家し、各地を巡って歌を詠んだ。ここでは、この話の語り手として現れる。家集に「山家集」があり、また新古今和歌集に多く歌が載せられている。

  西山の 西住上人:西行と同行している僧。和歌はあまり得意ではなさそうである。西山は、都の西北の山で、嵐山、愛宕山など隠者が住む場所の一つだった。

   船頭、釣りする翁西行西住が乗せてもらった舟を操る漁師。あとで、都からこの島に移り住んだ山蔭の中納言の子どもであることが明かされる。源平争乱の激動の時代、都で貴族として生きることができなくて、田舎にのがれた人があったのであろう。のち、出家して、行住と名づけられ、さらには西仙上人と呼ばれて尊敬された。

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1西住:さいぢゆうと読んだが、未詳。

 私:西行のこと。

4釣るらむ:疑問詞「いかに」があるので、連体形で結ぶ。

 無慙:形容動詞「無慙なり」の語幹。形容詞や形容動詞が語幹で使われると、一種の感動表現。ここでは、仏僧として生き物が殺されることを嘆いている。

 この舟:目の前に浮かんでいる舟の一艘を指しているのだろう。

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1後世とはむ:ここで命を失う魚たちがよりよい運命に生まれ変わってくるよう祈ろう、ということ。

2しかるべし:「しかり」(そうである)の連体形に当然の助動詞「べし」がついて、一語化している。それが適当だ

 とて:ひとつの格助詞として扱う。

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2ひそかに念仏して:魚を殺すことを職業としている船頭に失礼だから。

3何となく:西行ほどの歌人は、意識せずに歌が口に上ってくるのである。

4難波人(こんな殺生を繰り返す)を補う。

 いかなる江にか朽ちはてむ一体どこでどんな最期を迎えるのだろう、ということ。このように多くの命を奪う人生は、最後はよくないだろう、という気持ち。この句は、五、七、五だから、短歌の上の句で、そばにいる人が下の句、七、七をつけて、一首を完成することを期待している。西行は思わず連歌を始めてしまったのである。

 「えに」は「縁」と「江に」との掛詞。

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2釣りする翁の:「の」は同格。

4なみに:「み」は形容詞語幹について名詞をつくる、「ないこと」「ないの」

 「なみ」は「無み」と「波」の掛詞。

 あふことなみに身をつくしつつ:西住がつけることのできなかった下の句をなんと漁師の老人がすぐさま付けてしまった。しかも、西行の上の句が漁師達を外からやや冷たく見ているのに対して、漁師の立場から、それぞれ悲しい境遇があることを暗示しているようである。

 身をつくし:しかもこの句は「みを つ くし(水脈の串)」という難波名物の航路の標識を掛詞として読み込んでいた。みおつくし(澪標)がどんなものか、大阪府のマークを見ると分かる。

 「みをつくし」は「身を尽くし」と「澪標」の掛詞。

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3連歌に心を入れ侍り:あとでこの老人の出身がただものではなかったのだが、一般に、中世の人の連歌に対する熱狂は、現代のカラオケブームを上回るものがあったようだし、しかもより創造性に富んでいたようである。

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1舟のうち波のしたにぞ老いにける:西行による上の句。老人の先の七七につけたもの。したがって、ここまでで、次のような連句がつくられたことになる。

   難波人いかなる江にか朽ちはてむ(西行1)

    あふことなみに身をつくしつつ(老人1)

  舟のうち波のしたにぞ老いにける(西行2)

    あふことなみに身をつくしつつ(老人1)

 さらに、この西行の五七五にあらたに老人が七七をつけて、次の連句ができた。

  舟のうち波のしたにぞ老いにける(西行2)

    海人のしわざもいとまなの世や(老人2)

 連歌としては、このあと、場面や季節がどんどん変化していくはずである。また、三人いれば、順に一人ずつ句をつけていかなければならないが、西住はパスしたのであろう。

 次に、これらの連歌に使われている技巧を確認すると:

  江に:「江に」と「縁」との掛詞。

  身をつくし:「身を尽くし」と「澪標」の掛詞。

  波:「波」と「無み」との掛詞。

  「江」と「澪標」と「波」:縁語

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4山蔭の中納言とかや申し侍りける人:「とかや」はわざとはっきりさせない言い方。自分でも父の祖先のことをよく知らなかったのかもしれないし、知っていてもわざとぼかすのが、当時の礼儀だった。山蔭の中納言は、藤原山陰(824年〜888年)で、説話によく登場するという。

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1父てありし人:「父なりし人」をもったいぶって言ったもの。「にて」を助詞と見ないほうがよいと思う。「住みて侍りける」も同様で、「住み侍りける」でよいところを、「て」を使っている。

 東山:都の地名。

2浦人:この土地の有力者の娘であったろうが、都の貴族から見ると、他の漁師と同列に見なされたのであろう。明石で源氏は、土地の豪族の明石入道の娘と結ばれるが、源氏ははじめこのような身分の低い女性と結婚することに気がすすまなかった。老人が漁師として生きなければならなくなるのは、祖母が死んで(その家が没落して)からだと語られている。

4十二:もはや「とをあまりふた」とは読んでいなかったろう。

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2つぐ侍り:「つぐなり」に丁寧の補助動詞がついたものと見た。

4身一つを助けむとて:自分一人の生命を維持するため、多くの生命を犠牲にすることに罪悪感を抱いている。仏教の説話では、飢えた虎に自分の体を与える僧の話がある。

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1もとどり切らむ:髪を剃って出家しようということ。

2折しも:「し」は強意の副助詞、「も」は係助詞だがこれも強意。

3歌ども書き置き侍るを見て:この老人が西行と連歌をすることができたのは、父の歌をしばしば見て、自分で学んでいたためである。

4五十年あまりの年:当時の五十歳なら、立派な老人。

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1おのおののありさま:西行と西住の二人の出家者の様子。

2ともなひたてまつらむ:「ともなふ」を「連れて行く」と訳すと、「たてまつら」を謙譲ととれなくなる。「私があなたがたにお供する」ととれば、「あなたがた」に対する謙譲になる。

4行住と名づけて西住を先生として、その名の一部をもらったのであろう。

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1庵むすびて:隠者の生活に入ったということ。平安時代の末から中世にかけて、出家して、寺院に所属せず、京都近郊の山辺に草庵を作って一人で宗教や芸術に打ち込む隠者といわれる人々が増えた。もちろん、貴族出身の人で、おおかたは、家族からの仕送りで生活していたのであろう。基本的には、現世のあらゆる欲望を捨て、無一物で死ぬことによって、極楽浄土に生まれ変わろうと願ったのである。

4くだれる人に侍らねども山蔭の中納言の子どもであるから、いやしい身分の人ではないということ。

 潮を汲みこれを焼き、みるめを刈りて:海水を海藻にかけて天日で濃縮し、それを焼いて塩をとった、海岸に住む人々の重労働をいったもの。

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1網を引きて:網で魚を捕らえる漁民の労働をいったもの。

2五旬のよはひを経にける人の:そういう労働で五十年をすごした人が、ということ。