鈴屋集解説

作品について

 鈴屋集:本居宣長の随筆。1789年の晩年のもの。随筆としては、「玉勝間」(1793)が有名。「鈴屋」は宣長の住居の呼び名であるとともに、自身のペンネームとした。

 本居宣長:江戸時代の国学者。「古事記」の注釈書「古事記伝」は国学を確立させた画期的なもの。また、「源氏物語」の注釈書「源氏物語玉の小櫛」があり、彼の文章は古典語の研究を反映しているが、論理的な内容を(漢語・漢文でなく)和文で表現しようとするため、我々には読みにくさが感じられる、と言ったら失礼だろうか。

登場人物

 私:本居宣長

 同じ心の友だち:国学もしくは和歌を学ぶ友人。

 稲掛棟隆:私の友人(弟子)。自宅は、三重県松坂市坂内川の橋近くに自宅をもち、たいそう家業に熱心だったが、自宅の後ろに風流な庵を作り、暇さえあれば歌を詠み、古典を学ぶ人であった。(1730〜1800) 後に、悦可という僧名をつけて仏道に心を向けて、歌の道を捨てるようになる。

 大平:稲掛棟隆の子。のちに宣長の養子になった。(1756〜1833)

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明らかに和らぐといふ年:明和8年(1771年)。できるだけ和語で表現しようというのが、国学者の文章の特徴。そのため、まだるこしい。

 はづき:月の異名は必須知識。

月見る夜:中秋の名月の月見。月見は江戸時代から庶民のあいだでも盛んになった。ここでは、同時に歌の会をしようとしている。

 同じ心の友だち:国学もしくは和歌を学ぶ友人。

となみはる:「さか」にかかる枕詞。歌でなく、地の文で枕詞や掛詞を使うのは、かなりこった文章。

 坂内川の橋の詰め:松坂市内だから、鈴家からも近かったと思われる。

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:街道に面して生業を営む本家の後ろに、(宗教生活のためというより)和歌の趣味のための離れがあったということ。

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遣り水小川を貴族の邸宅にしつらえられた遣り水と優雅に表現している。「前栽」も同様。

4家あるじ:稲掛棟隆。

 まめ人:ここでは商売に熱心な人。

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みやびたりければ:「みやぶ」も本来宮廷風ということで、貴族に使う言葉であろうが、町人が家業ばかりでなく、趣味的生活にも熱心だったことを言っている。

:「伊勢物語」「源氏物語」のような古典。

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月なみ:「月並み」ということで、月例、月の決まった日に行う会。スケジュールに会わせてやる歌会だから、ありきたりの歌が詠まれる傾向があり、陳腐で俗気の多い物事をあざけって言うことばになった。残念ながら、江戸時代の国学者の和歌は、文学史ではあまり高く評価されない。

 なにくれのみやびわざ:花見とか月見とかの風流な行事。

その道:和歌の道。熱心で、下手ではなかったとほめている。

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折々ものせられけるを:桜の季節とか紅葉のシーズンとかに棟隆の庵で会を開いていたが、中秋の名月の会はまだやったことがなかった、ということ。

日を数へつつ:あと何日で十五夜だと待ち遠しく思っていた。

去にしついたち頃:八月一日ごろ。

 みだりごこち:風などひいて気分がすぐれなかった。夏風は長引くから。

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今宵:十五夜の今夜。

世の常のことをこそいへ:「とてもそんな言葉では表現できないほどである」を補うとよい。

 ただおしはかり給へ:今夜は参加できないという断りをするにあたって、残念の気持ちを分かってほしい、ということ。

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時も時・・:断りの手紙につけた歌。

思ひやらなむ:「思ひやりなむ」との違いに注意。連用形に接続する「な」は完了「ぬ」の未然形、それに推量の助動詞「む」が接続していて、思いやってしまうだろう(推量)、きっと思いやってくれ(命令)などと訳される。

棟隆のぬし・・:ここから4年後の記事。

4ひたぶるに仏の道に心を寄せて:以前の和歌や国学への情熱を忘れて、後生を願って、余暇を信仰に捧げるようになっていた。死後の世界が真剣に信じられていた時代に、引退してから宗教生活を始めるのは伝統的によくあったこと。しかし、宣長は、インドから伝わった仏教、中国で生まれた儒教は、いずれも日本古来の精神を汚すものだと考えていたであろうから、このような棟隆の生き方には批判的だったはずである。

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この世の方ざまのこと:生業に関することだが、この場合は風流や学問も含まれる。

あだなる:仏教の教えでは、あらゆるものは永遠に存続しない(無常の)ものであるから、これらのものへの執着をなくすことによって、心の自由を得ようとする。

息子の大平このような棟隆の家を尋ねたのは、その息子の大平が、父以上に国学に熱心だったからである。宣長は、彼を養子にするまでになる。

 昔の心ざし:以前の和歌や国学への情熱。

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敷島の道:和歌の道。

 望月のまどゐ:明和8年以来恒例となった、この家での中秋の名月の歌会。

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この俗聖:在俗のまま僧の姿をし、仏道の修行をしている棟隆。彼は、あいさつにも来ないで、日課の念仏かなにかを唱えていたのである。

いとあはれに尊きものから:当時の常識として、仏道修行は尊いものだと宣長も認めている。

 さまでやは・・:「そこまでしなくてもよかろうに」という気持ち。棟隆は、あえて、自分の選択を昔の先生や仲間に見せているのであろう。そういう棟隆に、宣長は歌を贈って、やんわり批判する。

うき世:仏教の立場からは価値がないと否定される現世。