十六夜日記:(いざよいにっき)
筆者:阿仏尼(あぶつに)
阿闍梨:高位の僧職のひとつだが、ここでは阿仏尼の旅に同行した息子の一人をさす。
やむごとなき所:阿仏尼の娘。尊い御方と言っているのは、この娘が後深草院の皇女の母であるから。
なにがしの僧正:何々僧正とかいう人。「僧正」は僧官の第1位。
1二十五日:15日(十六夜)に旅だったとして、10日後。
菊川:(きくかわ)静岡県南西部、金谷町の地名。小夜の中山の東側にあり、江戸時代にも東海道の宿駅だった。
大井川:静岡県中央部、塩見岳付近を源とし、南流して駿河湾に注ぐ川。江戸時代でも東海道第一の難所といして知られ、橋や渡船は禁止され、人足や輦台による渡河方法がとられた。更級日記では、「白き水、早く流れたり」とあって、水量が多かったことを思わせる。
2聞きしには違ひて:難所だと聞いていたのと違って。
わづらひ:川を渡る苦労は。
3いく里とかや:「言ふ」などが省略。大井川の河原は幾里あるかわからないほどだ、ということで。幾里もないであろうが、非常に広大で、日夜、川の流れが変わるので、渡るのがたいへんだったことは事実。
水の出でたらむ面影:出水したときの様相は。「たら」は完了「たり」の未然形、「む」は推量「む」の連体形で、「婉曲」の用法。出水という事態が出現したことを想定する言い方。こんなに広大な河原が水に被いつくされたら、どんなだろうということ。
4推しはからる:「る」は自発の「る」の終止形。自然と推量する、推量せずにはいられない。
ここで歌道の家元の一員として、歌を詠んだ。
1おほゐ川:「多し(い)」と大井川の掛詞。ここ、大井川で、思い出す都のことはたくさんある。
いく瀬:幾筋も流れている浅瀬。大井川はすでに述べたように、広大な河原に幾筋もの浅い流れとなって分流していた。その河原に石がごろごろしているのである。
2数もおよばじ:その石の数も、私の思い出す数々のことには及ばないであろう、という意味。
3宇津の山:静岡県安倍郡の宇津谷峠。江戸時代でも難所のひとつだったが、伊勢物語にも、主人公が心細い思いでこの峠を登っていくと、顔見知りの旅の僧に出会い、歌を詠む場面がある。ここでも、それを意識している。
ほどにしも:ちょうど伊勢物語と同じように、知り人に出会ったという感動が、強調の副助詞「しも」によって表されている。「に」は断定「なり」の連用形ととったが、格助詞「に」としても文法的には説明できる。
阿闍梨:高位の僧職のひとつ。ここでは、阿仏尼の旅に同行した息子の一人をさす。
見知りたる山伏:自分たち(もしくは息子)の顔見知りの山岳修行者。伊勢物語では都で知り合っていた「修行者(諸国の寺々を修行してまわる僧)」に出会ったとある。
4行きあひたり:行き会った、出会った、ということだが、伊勢物語同様、この部分は解釈しづらい。主語として、作者達が、山伏が、作者たちと山伏が、の3通りが考えられるが、山伏が出会った、とするのがいちばん文法的には自然である。
夢にも人を:伊勢物語で主人公が詠んだ「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり」を引用したもの。私がたどり着いた駿河にある宇津の山の「うつ」ではないが、うつつ(現実)にも夢にもあなた(愛人)に逢わないことだ、夢にも逢いにきてくれないとは、都にいるあなたは私のことをもう思ってはくれないのですか、という意味。
昔を:昔のことを。伊勢物語の東下りの出来事を。
1まねびたらむ心地して:
めづらかに、をかしくもあはれにもやさしくも:この出来事のいろいろな側面を評価している。まず、めったにない出来事であり(めづらかに)、知的興味を覚えさせ(をかしくも)、情緒的にもしみじみとした感動を与え(あはれにも)、古典にのっとって優雅でもある(やさしくも)と評価している。
2急ぐ道なり:そこで、都に残した妻や愛人に歌と手紙を言づてた昔の人のようにしたかったのだが、あいにくその山伏は、「旅を急いでいるのです」と言って、十分な時間をとってくれない。阿仏尼としては、あの人にも、この人にも手紙を書きたかったのに、さぞ心外であったろう。
3え書かず:副詞「え」+打消「ず」終止形で、不可能。書けない。
やむごとなき所ひとつ:尊い御方お一人。注によると、阿仏尼の娘。尊い御方と言っているのは、この娘が後深草院の皇女の母であるから。阿仏尼がいちばん頼りにしたのが、この娘であることがわかる。
おとづれ聞こゆる:「聞こゆる」は謙譲の補助動詞連体形。「やむごとなき所ひとつ」に対する敬意を表す。
我が心うつつともなし:私の心は正気を失った感じです。歌だから、ふつう付けないが、ここに文の終止を表す「。」を付けることができる。つまり二句切れの歌。「うつつ」は「宇津の山」とい句を引き出すとともに、伊勢物語の古歌(2ページ4行)を引用している。
1夢にも遠き都恋ふとて:「夢」は先の「うつつ」と対照させ、やはり伊勢物語の古歌(2ページ4行)を引用している。「宇津の山・・」以下と「我が心うつつともなし」とが倒置。
2蔦楓:もう一首詠んで、手紙に添えた。「蔦楓」も伊勢物語・東下りの本文に出てくる。時雨が降ることによって紅葉するものとされていた。
しぐれぬひまも:時雨が降らない今は、紅葉しないはずだが、ということ。
3涙に:つらい思いで流す血の涙に。ちょっとおおげさだが、旅のつらさを娘に訴えている。
袖の色ぞこがるる:涙を押さえる袖の色が赤く染まったことだ。「こがる」は紅葉すること。
4今宵は:宇津谷を越えたその夜は。
手越といふ所:静岡市、安倍川西岸の地名。中世、旧鎌倉街道の宿駅で、遊女も多かったが、近世には衰微した。
なにがしの僧正とかや:何々僧正とかいう人。「僧正」は僧官の第1位で、つまりとても偉い。
1人しげし:僧正は、多くの供を連れて旅をしていて、この宿の宿所のほとんどを占拠していた。
借りかねたりつれど:動詞「借る」に接尾辞「かぬ」連体形が付いて、完了「たり」連用形と完了「つ」已然形が重ねられ、逆接の接続助詞「ど」が付いている。空いている宿を探し回って、だめかと思ったが、やっと見つけたという気持ちであろう。
人のなき宿もありけり:人のいない宿もあった、が直訳。
このあと、十六夜日記は、富士を見たことを記す。