1020年9月3日、父の任地上総(かずさ)の国府を出立した筆者たちの一行は、相模国と駿河国の境の足柄山にさしかかるが、たいへんな難所であった。京に到着するのは12月2日である。
筆者:菅原孝標女(すがわら たかすえの むすめ)。このとき13歳。
遊女(あそび):あそびめ、いうぢよ(ゆうじょ)とも言い、歌や舞で人を楽しませたり、夜の相手をする女。ここではリーダー格の50歳くらいの女と、20歳くらいと、14,5歳の三人のグループが登場する。
1足柄山:相模国と駿河国の境にある山。鎌倉初期までは、東海道は箱根ではなく、足柄山を越えていた。いずれにしても、海道随一の難所である。
四五日かねて:そこに至る)四五日前から。山にちかづく前から木々が茂って、道が暗くなっていたという。
2入り立つ:山の中に入り込んで行く。
麓のほどだに:足柄山のふもとのあたりでさえ。まして、山中に入ったら、茂る木々のため空などまるっきり見えないのである。
3えもいはず:「え」・・「打消」で不可能。言うことができない(ほど)。
茂りわたりて:木々が一面に茂っていて。
4月もなく暗き夜の:「の」は同格の格助詞。「月もなく暗き夜」と「闇にまどふやうなる(夜)」とが同じものであることをしめす。その夜が、月もなくて暗く、闇に迷うような夜であったことをいう。昔は、照明もほとんどないから、月明かりでもなければ、夜は真っ暗だった。このような場所に、一行はテント村のような仮設の宿舎を造って一夜を明かすのである。
1 遊女(あそび):あそびめ、いうぢよ(ゆうじょ)とも言い、歌や舞で人を楽しませたり、夜の相手をする女。峠の麓や港など、旅人が足をとどめる場所にこのような職業の女たちがいた。どこに住んでいるのか、分からないが、このような女のグループがここに宿泊することを聞きつけて、商売をしに現れたのである。旅に飽きていた男も女も、エナタテイナーが現れたので、大歓迎である。さっそく、一行の仮設の宿所(庵)の前を舞台にする。
2からかさをささせて:舞台装置といえば、唐傘を広げたものだけだった。その下に三人の遊女を座らせた。この唐傘は遊女一般の商売道具であったらしい。
3男(をのこ)ども:「をのこ」は下男。ちなみに、夫は「をとこ」。
火をともして:松明に火をともして、照明としたのである。これでやっと、暗闇のなかで、遊女達の姿を品定めすることができる。
昔、こはたと言ひけむが孫:おそらくリーダーの女が、昔「こはた」と言う名前で遊女だった女の孫だと言ったのであろう。親から娘へと同じ職業が伝えられていった。「こはた」の名は、都にも伝えられていたらしい。
4額:額髪。前髪を二つに分けて、両頬にたらす。髪が黒くて長く、額髪が美しいのは美人の条件。
1色白くきたなげなくて:遊女達は肌も白く、こぎれいで。
さてもありぬべき:慣用句。これならそれ相当の。下女であっても、貴族の家に仕えるならそれ相当の要件があるが、これならそれにかなっている、ということ。
下仕へ:貴族の家に仕えて雑用をする下女。それなりに見目よい女が選ばれた。階級からいえば、庶民の上。芸能に従事する者は、庶民よりさらに下に見られていた。
2人々:一行のひとびと。遊女たちのパフォーマンスが始まる前に、皆で品定めをしているのである。
声:遊女たちが歌う声は。
4け近くて:苦しゅうないと呼び寄せて、言葉をかたりして、盛り上がっている。
「西国の・・:ある人が言うには、「上方の・・。上方の遊女としては、江口(大阪)、神崎(兵庫)が有名。
1えかからじ:「え」・・打消で、不可能。「かから」は副詞「かく」(このように)+動詞「あり」未然形からきた形。このようではありえないだろう。寂しい山中で、思いがけず都会風の遊女たちを見て、過大に評価しているのであろう。
「難波わたりに。:遊女がおそらく即興で歌った今様。難波(大阪)あたりの遊女に比べれば、わたしたちなど何ほどでもありません、という意味のことを歌ったのであろう。「今様(いまよう)」は、当時のニューミュージックで、75調の4句からなり、しばしば舞にあわせて歌った。
3声さへ:声までも。副助詞「さへ」は添加を意味する。
4たちて行く:歌い終わって、祝儀をもらい、自分たちの宿所に帰って行く。布とか衣類を与えたのであろう。
みな泣く:別れを惜しんで、また、こんな恐ろしげな山中を行くのはさぞ寂しいだろうと泣いた。当時の人は、女はもちろん、男もセンチメンタルで、人前でよく泣いた。涙のひとつも浮かべないのは、人並みの感受性がないと思われたのであろう。
幼き心地には:幼かった私の気持ちとしては。
1まして:大人でもそうだったのだから、感じやすい子供の私はそれ以上に、ということ。
この宿りを立たむことさへ:副助詞「さへ」は添加だから、この宿所を出立することまでも。不自由で、山中の物寂しさをかこった宿ですら、この遊女たちの思い出にまつわる所と思えば、立ち去りがたい、ということ。
筆者としては、貴族の一員として、遊女のような卑しい存在を近く目にすることはその後なかったであろうが、感じやすい少女時代、物寂しい山中で、美しく歌のうまい彼女たちに出会った感動は、一生消えることがなかったのである。