十六夜日記:(いざよいにっき)1279〜82年に成立。作者は阿仏尼(あぶつに)。歌をまじえつつ、東海道を下る旅についてのべ、ついで鎌倉での滞在についてしるした紀行。
筆者:阿仏尼(あぶつに)「十六夜日記(いざよいにっき)」の作者。藤原為家の側室となり、為相(ためすけ)、為守(ためもり)を生んだ。夫の遺産に関する訴訟で鎌倉に下り、旅の次第を十六夜日記に残した。阿仏尼は出家後の名前で、夫の死後、再婚の意志のないため、尼の姿になったものと思われる。それだけに、息子と歌道の家のため、残りの生涯を捧げ、死を決意して女性の身で旅立ったのであろう。
もちろん、貴族の女性の旅だから、召使いも同行したが、息子で名前の不明である阿闍梨と呼ばれる人物が道案内のため同行したことがあとで分かる。
1惜しからぬ身ひとつ:筆者自身をさす。自分は夫に先立たれ、いつ死んでもよい体だが、ということ。
やすく思ひ捨つれども:現世での幸福をあきらめ、この世の利害などあきらめることが簡単にできるのだが。
2子を思ふ心の闇:子供のためには仏の教えも忘れてしまう親心を言ったもの。後撰集の藤原兼輔の歌「人のおやの心はやみにあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(親である私は、理性を失っているわけではないが、子供のことを心配すると、現世に執着してはならないという仏の教えを見失ってしまったことだな)による。「心の闇」は決まり文句のように使われる。
このとき、夫藤原為家の死後、継子の為氏(ためうじ)と実子の為相(ためすけ)の間に荘園の相続争いが生じたので、息子為相が相続できるように幕府に訴訟を起こすため、鎌倉に下ることにしたことを言っている。このこともあって、俊成ー定家ー為家とつながった歌の家は、為氏の二条家、京極為教(ためのり)の京極家、為相の冷泉家に分裂する。
道をかへりみる恨み:ここでいう道とは、和歌の道。歌道が亡びるのではないかという、残念に思う気持ち。上でのべた、和歌の家柄の分裂をさす。
3やらむ方なく:晴らしようがなく。2ページの「せめて思ひあまりて」にかかる。
さてもなほ東の亀の鏡に写さば、曇らぬ影もやあらはるると:挿入句。鎌倉幕府の裁判を受けたなら、ということを美文的に言っている。「東」は関東、すなわち鎌倉幕府。「亀の鏡」は「亀鑑(きかん):手本、正しい裁判」。
当時、朝廷と幕府の二重権力の時代で、都の貴族も、領地に関する裁判のために、鎌倉に行かなければならないことがあった。そのため、京と鎌倉間の旅行についての記録がいくつか残されるようになった。「十六夜日記」もそのひとつ。
4曇らぬ影:正しい結果。自分たちにとって有利な判決。
1よろづのはばかりを忘れ:いろいろな支障を気にせず。女性が旅をすることにいろいろめんどうが予想されたが、それを無視して、ということ。
身をえうなきものになし果てて:伊勢物語の業平ではないが、この身を不要の者と思い定めて。都の人が関東に旅をするといえば、まず、思い出すのが伊勢物語の都下りの場面である。ここでは、主人公の「男」が、都にいてもしかたのない境遇だと自分のことを考えて、旅に出る。旅に出る悲壮な気持ちを、伊勢物語の主人公になぞらえて、美文的に表現したもの。
ゆくりもなく、いざよふ月に誘はれ:源氏物語の「夕顔」の巻にある表現をふまえたもの。女性が急な出発にためらう場面。「いざよふ月」は「十六夜(いざよい)」で、陰暦16日の月。15夜が満月で、それよりだんだん月の出が遅くなる。ためらって、なかなか出てこない月のこと。出発がこの頃のことだったということと、出発に気がすすまないことを掛けている。
出でなむとぞ思ひなりぬる:旅に出ようという気持ちになったのだ。
出でなむ:動詞「出づ」連用形+完了「ぬ」未然形+推量「む」終止形。自分の動作について述べているから、「む」は意志の用法。動作は完了していないから、「ぬ」は確述の用法。出発してしまおう。
思ひなりぬる:動詞「思ひなる」連用形+完了「ぬ」連体形。これは、そういう気持ちになったのだから、完了でよい。
自分の身はどうなってもよいから、愛する息子のために、勝訴をかちとろうとする母の思いを、美文的にのべた冒頭部である。