歌の大むね・解説

作品について

 歌の大むね:歌学者 長野義言(よしこと)の著作。ここでは、小倉百人一首にも載せられた、有名な「有明のつれなく見えしわかれより暁ばかりうきものはなし」という歌の解釈の通説を批判した部分を載せる。

  前提として、江戸時代の人は、この歌が、愛人のつれなさを嘆く歌だと理解していたということを押さえて置く必要がある

 筆者は、幕末の国学者・歌人であるが、長野主膳という通称で、安政の大獄で攘夷派を苛烈に弾圧し、後、自らも刑死した人物として知られる。いずれにしても、高校生が文学史の知識として知っていなければならない範囲を越えた、入試用の出題である。

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1題しらず:歌集に収めるにあたって、歌を詠んだときの状況が分からないということ。

 壬生忠岑:(みぶのただみね) 次に載せる歌の作者。平安時代初期の歌人で、三十六歌仙のひとり。古今集撰者のひとりでもある。穏和な歌風で知られ、問題の歌が小倉百人一首にも採用されている。

2有明:有明の月。明け方に空に残っている月。

 つれなし:(形)無情だ。冷淡だ。

 わかれ:和歌では、まず愛人との別れと考える。当時、男性は、複数の愛人または妻の家に夜訪れ、早朝出て行く風習だった。

3暁:(あかつき)夜が明けきらないころ。明るくなっても女の所にいるのは、よほどださい男か、もう夫として世間に認められている場合。

4閨:(ねや) 婦人の部屋。

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1門より帰り来にける:その家の門の所から帰って来てしまった。

3「暁」に月を兼ねたり:「あかつき」の「つき」が「月」を同時に意味している

4明くまじき:動詞「あく」終止形+打消推量「まじ」連体形。明けないだろう

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2思はるる:動詞「おもふ」未然形+自発「る」連体形。自然と思われる

3これより思へばかれよりも必ず思ふべき:こちらが相手を愛すれば、相手も必ずこちらを愛するはずだ。相思相愛ということだが、これが道理だというのは、男の勝手な論理のように思えるが。

  ただこれは、「つれなし」を説明するための例で、問題の歌の場面とは関係ない。

4あながち:強引だ。一方的だ。

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1つらし:(形)薄情だ。思いやりがない。

2有明の月はいつも女に逢ひて帰るさの時に出でつるを:毎晩、この女の所に通って、夜明けに帰るとき、有明の月が出て来るのを見ていたのに、ということ。

  下弦の月は、毎晩出るのがだんだん遅くなって、ついに新月(見えない月)から早くなり、満月でちょうど一晩中出ているようになる。毎晩通っているので、月の出を見て、およその時刻が分かるのである。

3今宵はいまだ閨へも入らず門に立ちけるほどなれば夜は深かるべきに:今夜は、女の家の門まで来たばかりだから、男の気持ちとしては、まだ早い時間だと思っていた。これから恋人だか妻だか(当時は、この境界がはっきりしなかった)の部屋に入って、ゆっくり逢おうと思っていたのに、ということ。

4深かるべきに:形「ふかし」連体形+当然「べし」連体形+接続助詞「に」。単なる想像ではないから、「べし」は推量ではなく、当然と考える。

 有明の月のあながちにいそぎ出でて:ところが、門の所に来たばかりなのに、いつも帰る時間に見ていた月がもう出ていた、訪問の時間には遅すぎた、ということ。もちろん、男が勝手に早い時刻だと勘違いしていたので、月が特別早く出たわけではない。

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1我を帰しし趣:もちろん自分で気がついて帰ったわけだが、歌だから、そこを月が自分を帰したというように詠んだ、ということ。

 言ひなせり:「なす」は「いかにも・・であるようにする」。

2常にも・・:たとえば、「これは間違っているように思われる」を「これは間違っているように見える」と言う。

4おどろかされて:「おどろかす」は「気づかせる」「起こす」。ここでは、「はっと気づかせる」。

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1世の常の如く、「わかれより」とは言へるなり:門の所でさよならしたのだが、一般に言うように、「わかれより」と言ったのだ。ところが、「わかれより」と言ったため、女と逢って分かれてから、と誤解されてしまったということを後で言う。

2常にも・・:「暁」を「うき」と言ったのに対して、「うき人」「うかりける人」という用例で説明している。

4一首の意は・・:今まで一句ごとに説明してきたことのまとめ。

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1白みて:空が白んで来た頃出る月だから、白んで見える。

2あさまし:(形)意外なことに驚きあきれる気持ち。

 かからずは:副詞「かく」+動詞「あり」未然形+打消「ず」未然形+接続助詞「ば」であるが、初めの部分は「かから」と短縮され、「ば」は「ず」の後なので、「は」になっている。未然形+「ば」で、仮定条件。もしそうでなければ

 逢ひ語らはん:愛人と逢って語り合うような

3月の我を帰すぞ:月が自分を帰らせるのだ。5ページ1で言ったように、歌の上でそのように表現している。

4恨めしかりしなり:暁の月が恨めしかったのである

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1さらぬ:副詞「さ」+動詞「あり」未然形+打消「ず」連体形。「さあり」が「さら」と短縮形になっている。そうでない。それ以外の。たとえば、愛人に逢いに来た時でないような。

3その時の心:この歌の場面となった、逢えずに帰ったときの心は

 いかばかりなりけん:副詞「いか」+副助詞「ばかり」+断定「なり」連用形+過去推量「けん」連体形。疑問の「いか」を受けて、「けん」は連体形で結んでいる。どれほどだったか。たいへんなものだったろう、という気持ち。

4この二句:「有明の」の歌の第2句。

 恨めしく思はれたる事:暁の月がうらめしく思われたこと。

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1近き世の人:近世の人。長野義言の時代の人は、壬生忠岑が愛人の冷淡な態度をうらめしく思っているのだ、と解釈していた。

 さらに・・なし:副詞「あさらに」が打消の言葉と照応して、決して・・ない。全く・・ない

3二句「つれなく見えし」、五句の「うきものはなし」:第2句は、愛人の家から帰らなくてはならないことを告げる暁の月が無情にも出た、第5句は、それ以来、暁の月くらい恨めしいものはない、ということだった。

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1本歌:(もとうた) 有名な和歌をもとに、その一部を詠み込んで和歌を作った場合(本歌取り)の、もとの歌。

  新古今集の時代によく行われた手法で、ここでは壬生忠岑の歌をもとに、忠基と定家が歌を作っている。それらの歌は、本歌の意味を正しく生かしているはずだから、新古今の時代までの歌人が壬生忠岑の歌をどう解釈したか知ることができる。

 続後撰恋五:第十代の勅撰和歌集『続後撰和歌集』の恋の部の五巻目に収められているということ。

 中将忠基:九条(藤原)忠基。南北朝期の歌人。忠岑の歌は、南北朝期までは正しく理解されていたのだろう。

2つらからぬかは:係助詞「かは」は反語だから、つらくないか、いや、つらい

 うらみけむ:過去推量「けむ」はここでは「なに」を受けて、原因の推量。どうしてうらんだのだろうか

  歌の意味は、「恋人が訪ねて来ないままに夜が更けていく時も月は恨めしい。どうして忠岑の歌のように、暁の月だけを恨みに思ったのだろうか。」ということで、「月」を恨みに思っている、だから、忠岑の歌もそうだ、と論じている。(このことを11ページ3までで言っている)

4とく:はやく。早くも

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4「つれなく見えし」:忠岑の歌の第2句。「つれない」のは、愛人ではなく、暁の月だと結論づけている。

 つらく恨めしく思はれたることなればなり:暁の月がつらく恨めしく思われたことであるからだ

  このしつこいまで、克明な議論を見ると、こうしたまじめで徹底した人物が弾圧者となった時の恐ろしさが分かる。

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1新古今:勅撰集、新古今和歌集。「古今集」と並ぶ、和歌のピークをなす歌集。

 定家卿:藤原定家(さだいえ)。「ていか」とも言う。鎌倉前期の歌人。新古今和歌集の撰者のひとり。古典文学の大成者であり、小倉百人一首を選んだと言われる。

2ながむらん:現在推量「らん」が使ってあるから、いまごろ見ているだろうか。疑問の係助詞「や」を受けて、「らん」は連体形で結んでいる。

 人:和歌の中の「人」は、「私」「あなた」「彼・彼女」といろいろに解釈されるが、ここでは、女の立場から、男性の恋人をさす。

  定家は、本にした忠岑の歌を、視点を変えて、女の立場から、自分に逢わずに帰っていく男のことを詠んだ。つまり、忠岑の歌で、男は女の部屋に入らなかったし、したがって、女を恨めしいと思う訳がないのだ、と議論している。

 待つ夜ながらの有明の月:「まつ」のは女。体言で歌が終わっているのは、新古今調。

  名詞で文が終わっていると、その後になにが来るのだろうと、読者はついつい考えてしまう、それを余情という。

4入らで:打消の接続助詞「で」が使ってあるから、入らないで

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1なづむ:こだわる。

2逢ひて後の歌ぞ:女と逢った後の歌だ。つまり、女のことを恨んでいるのだ、と江戸期の歌人達が誤解していること。

 癖事:間違い。間違った事。

4何のかひかある:疑問詞「何」と疑問の係助詞「か」を受けて、動詞「あり」は連体形で結んでいる。疑問文の形だが、あたりまえのことを尋ねているので、反語何の甲斐があるか、いやない

  暁の月が恨めしいと歌っても、つまりは、そういう月が趣深く感じられるという歌なのだから、そういう解釈をしたら、歌が無意味になってしまう。

 逢はずて:動詞「あふ」未然形+打消「ず」連用形+接続助詞「て」。

 12ページ4の「入らで」と同じように、「逢はで」とも言える。つまり、「ずて」=「で」。

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1かかる:副詞「かく」+動詞「あり」連体形の連語。このような

 何の妨げかあらん:13ページ4と同じく、反語。推量「ん」は連体形。

2よそふ:関係づける。

3あはれなれ:形容動詞「あはれなり」の已然形で、「よそへたればこそ」の係助詞「こそ」の結びとなっている。月が冷淡だといっているところに、この歌のおもしろみがあるということ。

3「わかれより」と言ひて:「女と逢わないで分かれた」とは言っていないじゃないか、という反論に対して、それは第2句と、4,5句の言っていることから分かるのだ、ということ。

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1著きものをや:形容詞「いちじるし」連体形+接続助詞「ものを」+係助詞「や」。「ものを」は逆接だから、こんなにはっきりしているのに、まだ間違った解釈をするのか、という気持ち。