紫式部(無名草子)・解説

作品について

無名草子:(むみょうぞうし)作者未詳。成立は1200〜1201年と考えられる。老尼と女房たちの対話の形で、自然や宗教、女性や和歌などについて語られるが、その中に物語とその登場人物も話題とされ、最古の物語論となっている。

 ここでは、紫式部が「源氏物語」を書いた事情と、作者の女房としてのあり方について述べている。

登場人物

 全体の語り手:長く宮中に仕えたことのある老いた尼。草深い里を訪ね、たまたま見いだした家にいた女房たちと長話をし、夜が更けて、自分は伏せってしまったが、なお、女房の幾人かが当時読まれた物語やその主人公について意見を交わすのを聞く。

 第1の語り手:源氏物語は、大斎院からの依頼で、上東門院彰子が紫式部に命じて作らせた、という説を述べる。

 大斎院:(だいさいいん)(964〜1035)村上天皇の皇女選子(せんし)内親王。57年間にわたって斎院として賀茂神社に奉仕したので、「大斎院」と呼ばれた。結婚などの俗生活の不可能な立場にあったが、文学好きで、歌人としても有名。

 上東門院、皇太后宮:(じょうとうもんいん、こうたいこうぐう)(988〜1074)一条天皇の中宮彰子の院号。紫式部が仕えていた。「無名草子」の成立より130年ほど前の人。

 紫式部:ここでの話題の対象となっている。

 第2の語り手:紫式部が「源氏物語」を書いた(書き出した)のは、上東門院彰子に仕える前のことだった、という説を述べる。

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1「繰り言の・・:ここから語り手は、話題を変えて、紫式部について述べる。

  繰り言:(くりごと)同じことを繰り返し、くどくど言うこと、またその言葉。

 やうには:婉曲の助動詞「やうなり」連用形+係助詞「は」。「やうなり」を助動詞と認める。

  やうには侍れど:+丁寧の補助動詞「はべり」已然形+接続助詞「ど」。「やうなり」を丁寧な形で言ったもの。丁寧は、話し手の聞き手に対する敬意。

 うらやましくめでたく侍るは:形容詞「うらやまし」連用形+形容詞「めでたし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形+係助詞「は」。「うらやましく、めでたし」を丁寧な形で言ったもの。丁寧は、話し手の聞き手に対する敬意。

2大斎院:(964〜1035)村上天皇の皇女選子(せんし)内親王。57年間にわたって斎院として賀茂神社に奉仕したので、「大斎院」と呼ばれた。結婚などの俗生活の不可能な立場にあったが、文学好きで、歌人としても有名。

  斎院(さいいん)は、賀茂神社に奉仕した未婚の皇女。普通、天皇の代が変わるごとに交代した。ちなみに、伊勢大神宮に奉仕した皇女を斎宮(さいぐう)と言った。

 上東門院:(じょうとうもんいん)一条天皇の中宮彰子の院号。紫式部が仕えていた。

  藤原彰子(988〜1074)は一条天皇の中宮。父は道長で、後一条・後朱雀天皇の母となる。万寿2年女院号の初例の上東門院を賜る。紫式部・和泉式部・伊勢大輔・赤染衛門らの才媛を従えて、女流文学全盛期の中心となった。

 『つれづれ・・:大斎院が上東門院彰子に送った言葉。

3物語や候ふ:物語がありますか。あったら、貸してほしい、ということ。

  候ふ:丁寧動詞「さぶらふ」連体形。連体形は疑問の係助詞「や」の結び。丁寧は、大斎院の上東門院彰子に対する敬意。

  ここで分かることは、

  大斎院と上東門院彰子の間で交流があったこと、

  「物語」は暇つぶしのためだった(西洋のノベルの中産階級の女性の暇つぶしのためのものだった)こと、

  「物語」は、高貴な女性の暇つぶしのため、その周辺で侍女たちの手で作成され、流布したものであったこと。

 尋ね参らせさせ給へりけるに:謙譲動詞「たづねまゐらす」未然形+尊敬「さす」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」已然形+完了「る」連用形+過去「けり」連体形+接続助詞「に」。謙譲は、上東門院彰子に対する、尊敬は、大斎院に対する語り手の敬意。尊敬が二重になっているが、会話の中と考えて、最高敬語とはしない。上東門院彰子より大斎院を上に見ているということだろうか。

 紫式部を召して:上東門院は紫式部を呼んで。高級な侍女(女房)たちは得意の分野(歌、書・・)などで主人の相談役となっていた。紫式部は文学方面の相談相手だったことがわかる。

4参らすべき:謙譲動詞「まゐらす」終止形+推量「べし」連体形。連体形は、疑問の係助詞「か」の結び。謙譲は、話し手の上東門院彰子の、大斎院に対する敬意。

  大斎院に差し上げるのにふさわしい物語があるだろうか、という推量の形の疑問。相手が高名な歌人であるから、つまらないものは贈れない。

 仰せられければ:尊敬動詞「おほせらる」連用形+過去「けり」已然形+接続助詞「ば」。尊敬は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。

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1『めづらしきもの・・:紫式部の答え。

  『めづらしきもの:大斎院に差し上げるのにふさわしい、珍しい物語。たいていの物語は、大斎院が御覧になっているだろうし、御覧になっていないものでもお目にかける価値のないものだ、ということ。

  この話が本当だとすれば、紫式部は先行の物語に対して厳しい評価をしていたことになる。

 侍るべき:丁寧動詞「はべり」連体形+推量「べし」連体形。連体形は、疑問の係助詞「か」の結び。全体で、疑問の形になっているが、あたりまえのことを尋ねると反語の意味が生まれる。あるでしょうか、いや、ありません

 新しく作りて:物語を新しく作りて。高位の女性の周辺で、物語が創作されていたことを伺わせる。当時は、布を染めたり、仕立てたりすることが、女主人の監督のもとで、各家庭で行われていた、そういう自給自足と贈答によって物が流通していた時代である。

2参らせ給へかし:謙譲動詞「まゐらす」連用形+尊敬「たまふ」命令形+念押しの終助詞「かし」。謙譲は、紫式部の大斎院に対する、尊敬は上東門院彰子に対する敬意。差し上げなさいませよ

 申しければ:謙譲動詞「まうす」連用形+過去「けり」已然形+接続助詞「ば」。謙譲は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。上東門院彰子のもとには、道長が権勢にまかせて集めた、当時最高の才能ある女性が仕えているのだから、誰かに作らせればよい、という考えだったのだろう。

 作れ:それではお前が作りなさい

3仰せられけるを:尊敬動詞「おほせらる(言ふ)」連用形+過去「けり」連体形+格助詞「を」。尊敬は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。

 承りて:謙譲動詞「うけたまはる」連用形+接続助詞「て」。謙譲は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。紫式部はその命令を承って

4めでたく侍れ:形容詞「めでたし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」已然形。已然形は、強調の係助詞「こそ」の結び。丁寧は、語り手の聞き手に対する敬意。

  第1の語り手が、源氏物語成立に関するひとつの言い伝えを語り、すばらしいことだと感想を述べた。

  「めでたし」という評価は、

   大斎院と上東門院彰子という、当時最高位のふたりの女性の命令で作られた、名誉ある作品だ、

   突然命令されて、あのような立派な作品を作るという能力はすばらしい、ということが考えられる。

 侍れば:丁寧の補助動詞「はべり」已然形+接続助詞「ば」。丁寧は、物語全体の語り手の、読者に対する敬意。

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1また:それとは別の語り手が、また

 「いまだ・・:第2の語り手のことば。

 宮仕へもせで:紫式部が宮仕えもしないで

  「宮仕へ」は、宮中または上流の貴族のもとで、女房として働くこと。紫式部のような、未亡人となった女性が経済的な理由で働くこともあったようである。主人の御殿に住み込みで、一室(房)を与えられるが、二人の女房で兼用のこともあり、その二人が昼夜交代で勤務と休憩をした。いずれにしても、夫もあり、経済的にも問題なければ、したくない勤めであった。

 里に侍りける折:自分の家におりました時。謙譲動詞「はべり」連用形が使われているが、上東門院彰子に対する敬意とみてよいだろう。

  「里」は「宮」(主人の屋敷)に対して、自分の家

 かかる:(連語<副詞「かく」+補助動詞「あり」連体形)このような

  かかる物:源氏物語。

2召し出でられて:尊敬動詞「めしいづ」未然形+受身「らる」連用形+接続助詞「て」。尊敬は、道長または上東門院彰子に対する敬意。

  未亡人となった紫式部が、「源氏物語」を書き、それが評判となって、才能ある女性を求めていた道長によって召し出された、という説。現在は、この説が有力である。ただし、この時点で、「源氏物語」は、「若紫」など初めの部分だけが書かれていたのだろうと考えられる。

 それゆゑ:「若紫」の巻に登場するヒロインの「若紫・紫上」が評判になったので。

 紫式部といふ名はつけたり:女房は、実名でなく、出身や身内にちなんだ名で呼ばれる。藤原氏出身の「紫式部」も、本来は「藤式部」などと呼ばれるべきであったが、「若紫・紫上」にちなんで、藤の色でもある「紫式部」と呼ばれた、ということ。

3いづれか:第1の語り手の説と、第2の語り手の説のどちらが。

 まことにて侍らむ:名詞「まこと」+断定「なり」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+推量「む」連体形。連体形は、疑問詞「いづれ」および疑問の係助詞「か」の結び。丁寧は、語り手の、聞き手に対する敬意。

 その人の日記:紫式部日記。

4『参りける・・:紫式部日記の引用。

  参りける:謙譲動詞「まゐる」連用形+過去「けり」連体形。謙譲は、書き手紫式部の、上東門院彰子に対する敬意。

 恥づかしうも・・:すでに上東門院彰子のもとに仕えていた、同僚の女房たちが、今度来る「紫式部」の人となりについて予想したこと。

  女性ながらも、紫式部はたいへんな学者であると知られていたので、さぞかし、つきあい憎い女だろうと思われた、そのことを後に親しくなった同僚から聞かされたという箇所である。

  紫式部は、家庭教師の役も期待されていたらしく、後に、上東門院彰子に帝王学として「史記」を講義しているが、人柄としては、学識を誇ることなどなく、世事にうとい、ぼんやりした女性としてふるまっていたらしい。

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1恥づかしうも、心憎くも、また、添ひ苦しうも:同僚によって、紫式部がそのような人であろうと予想された性格。

  恥づかし:いっしょにいると、ことらが気詰まりになるほど立派だ。

  心憎し:教養や考えていることが底知れず、奥に何かがありそうだ。

  添ひ苦し:いっしょにいると、気詰まりだ。

  いずれにしても、同僚としてはありがたくない性格である。学識をもって知られ、人気作家でもある紫式部が自分たちに対してこのような態度をとるのではないかと危惧された、ということ。

 おのおの:どの女房も

2ほけづき、かたほにて、一文字をだに引かぬさま:実際の紫式部の様子。それが意外だった、ということ。

  ほけづく:ぼんやりしている

  かたほなり:未熟だ。劣っていることがある

  一文字をだに引かぬさま:「一」という漢字すら書かない様子

  すこしもやり手などではなく、漢学の素養も素振りも見せなかった。これで、同僚も親しみやすい人だと思ってくれたろう。宮中の仕事に慣れなかったということもあろうが、紫式部としても、生意気に見られることを避けたのであろう。

3友達ども:同輩たちが

4思はる:動詞「おもふ」未然形+尊敬「る」終止形。尊敬は、書き手(紫式部)の、友達どもに対する敬意。

 見えて侍れ:動詞「みゆ」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべり」已然形。已然形は、強調の係助詞「こそ」の結び。丁寧は、語り手の、聞き手に対する敬意。

  日記に書いてあることは、宮仕え以前に源氏物語が書かれていたという証拠にはならない。ただ、いろんな意味で、紫式部が学問・才能のある女性だと評判されていたこと、そして、当人はそのイメージを改めてもらうよう振る舞ったということは分かる。第2の語り手は、そのまま、紫式部の人物論に移る。

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1君:上東門院彰子の父である道長。

 思ひ聞こえながら:動詞「おもふ」連用形+謙譲の補助動詞「きこゆ」連用形+接続助詞「ながら」。謙譲は、語り手の道長に対する敬意。

2聞こえ出でぬ:謙譲動詞「きこえいづ」未然形+打消「ず」連体形。謙譲は、語り手の道長に対する敬意。

  まず、第2の語り手は、紫式部の、道長に対する態度(日記での語り方)がとても立派だ、と言う。というのは、紫式部は、(A)道長のことをとてもすばらしく、結構だと思いながら、(a)よくあるように、そうした権力者との特別な関係を示唆したり、馴れ馴れしく語ったりしていない点。そうした日記での書き方は、紫式部の人物評価につながるわけである。

3皇太后宮:上東門院彰子。このように呼ぶことによって、後一条天皇と後朱雀天皇の母であることが意識される。

  皇太后宮:天皇の母の称号。

 限りなくめでたく聞こゆる:紫式部は、(B)皇太后宮である上東門院彰子を、この上なくすばらしい境遇にある方と思いもうしあげている、ということ。

  聞こゆる:謙譲動詞「きこゆ」連体形。謙譲は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。

4愛敬づき、なつかしく候ひけるほどのことも:それでいて、(b)上東門院彰子に対して紫式部は、かわいらしく、情愛あふれて仕えていたことも。

  そのような高貴な人に対して、それはそれとして尊敬しながら、人間的なあたたかい接し方もしていたということが、日記から読み取られる、ということ。

  候ひける:謙譲動詞「さぶらふ」連用形+過去「けり」連体形。謙譲は、語り手の上東門院彰子に対する敬意。

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1君の御ありさまもなつかしくいみじくおはしまししなど:また、(c)道長公の御ありさまも、親しみ深く、立派だったことなど。

  おはしましし:尊敬の補助動詞「おはします」連用形+過去「し」連体形。尊敬は、語り手の道長に対する敬意。

2聞こえ表したるも:紫式部が日記のなかでうち明けているのも

  聞こえ表したるも:謙譲動詞「きこえあらはす」連用形+存続「たり」連体形+係助詞「も」。謙譲は、語り手の、道長と上東門院彰子に対する敬意。

 心に似ぬ体:紫式部の性格にふさわしくない様子

  体にてあめる:名詞「てい」+断定「なり」連用形+接続助詞「て」+補助動詞「あり」連体形の撥音便「あん」の「ん」の無表記+推量「めい」連体形。文が連体形「める」で終わっているのは、すでに中世語になっている、ということか。

  この部分は複雑で、理解しにくい。

  まず、紫式部の日記を見ると、

   (A)道長のことをとてもすばらしく、結構だと思っている

   それでいて、(a)よくあるように、そうした権力者との特別な関係を示唆したり、馴れ馴れしく語ったりしていない

    このことは、紫式部の慎重でひかえめな性格を表すもので、たいへんよろしいし、宮仕えの始めのころの式部の様子と矛盾しない。

  ところが、(B)皇太后宮である上東門院彰子を、この上なくすばらしい境遇にある方と思いもうしあげているのに、

   (b)上東門院彰子に対して紫式部は、かわいらしく、情愛あふれて仕えていたこと

   (c)道長公の御ありさまも、親しみ深く、立派だったこと

    これらのことをうち明けているのは、(a)の態度と矛盾するようで、内気な紫式部には似合わない。

3かつはまた:そう疑問を出しながらも、その理由を別の方向から考えている。

 御心柄:皇太后宮上東門院彰子と道長公お二人のご性格。

  紫式部が日記に、(b) (c)のような記事を書いたのは、その二人が、公式な立場はこの上もない権勢を極めたものでありながら、性格としては、下の者にも親しみやすく、情愛にあふれた接し方を許すものだったからであろう、ということ。

 

  ここでとりあげた部分は、紫式部が、「源氏物語」を書いた事情について二つの説を述べながら、二つ目の説の根拠となった「紫式部日記」に見られる式部の性格と、それに矛盾するような部分についての解釈を差し出している。