和歌庭訓・解説

作品について

 和歌庭訓:(わかていきん)鎌倉時代後期の歌人二条為世(ためよ)の歌論書。

  「庭訓」は、孔子が我が子を庭で訓戒した、ということから、家庭教育。和歌の家の教えの本流は自分(二条家)にあるという気持ちがこのような名前にも表れている。(しかし、皮肉なことに、孔子の逸話は、孔子が多くの弟子を教えたが、自分の息子にだけ特別な知識を授けるということはしなかった、ということを伝えているものである。)

   次の文章は、その一節である。歌道家の一つ御子左家(みこひだりけ)は、藤原俊成・定家・為家と続いたが、為家の子の代になって相続争いが起こり、直系の二条家と、傍系の京極家・冷泉家(れいぜいけ)とに分裂していた。直系の二条為世は、傍系の京極家・冷泉家の歌風を批判している。

  御子左家系図

   俊成

   |

   定家

   |

   為家 ーーー 為氏 ー 為世 ・・・ 二条家

         |−為教 ー 為兼 ・・・ 京極家

         |−為相

         |−為守       ・・・ 冷泉家

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1<心は・・:表題。

  心:和歌の情趣。歌がどのような感情とそれを引き起こした情景を詠むか、ということ。

2このことは:上に述べた、歌の情趣には清新なものを求めるのがよいこと。

 古人:和歌の道で、遠い昔のすぐれた人。

 師:(私の)先生。

 仰せ:おっしゃったこと。お教え。

3ただし:とは言っても、その教えの正しさは分かるのだが、実行はむずかしい。

 いかにも出で来がたし:清心な情趣はどうしても作り出すのがむずかしい

  「いかにも」は打消の語と呼応して、どうしても。ちっとも

 世々の撰集:代々の天皇の時代に編集された(勅撰)和歌集。とくに、「古今集」以下の8つの歌集を「八代集」と呼んだ。

4歌仙:和歌の達人。とくに、平安時代初期にあらわれた歌人で、六歌仙、とか三十六歌仙とか呼ばれた人々がいた。

 詠み残せる風情:詠まないままに残した、情趣あるテーマ。

 あるべからず:動詞「あり」連体形+当然「べし」未然形+打消「ず」終止形。あるはずがない

  すぐれた多くの歌集や、すぐれた和歌の達人によって、情趣あるテーマは残らず題材にされてしまっている、ということ。だから、新しい、テーマを探すことはむずかしい。

 人の面:人の顔

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1人の面のごとくに・・:人の顔が決まった部分(目とか鼻とか)によってつくられていても、古人も含めて、同じ顔がないように、歌も、言葉や題材が同じものであっても、できあがった歌はそれぞれ違う、と主張する。  

2されば・・:だから目鼻の数や向きは同じでも皆違うように、歌もそれぞれ違うのである。

  あらゆる題材が先輩の歌人たちによって使われているとしても、同じ題材や言葉で清新な情趣を持つ歌を作ることが可能なはずだ、と言いたいのである。

3花を白雲にまがへ:和歌の中で、花を見て、白い雲かと思った、と表現すること。

  まがふ:見間違える

 木の葉を時雨にあやまつ:木の葉が落ちる音を聞いて、時雨が降ってきたと思った、と表現すること。

  いずれも、歌の中でよく見られる表現である。

4もとより顔のごとくに変はらねども:昔から和歌にはこのような表現があって、顔の部分品が同じであるように、このような発想は同じであるけれど。

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1おのれおのれとある所:各歌がそれぞれ持っている独自性。

2作者の得分:作者がその歌に付与した独特の長所、価値。

  得分:得た分。もうけ。利益。ここではその歌独特の長所、存在意義。

  おなじ題材(花を白雲にまがへ、木の葉を時雨にあやまつこと)を使いながら、独自の歌をつくることに、作者の創造性とその歌独自の価値が生じるという主張といってよいだろう。これに対置されるのは、つくりかたに独自性がなくて、題材に新奇さを求める態度。

3新しき:形容詞連体形の準体法。名詞を補って読むが、ここでは「情趣」。

 さま悪しく卑しげなることども:今まで歌に詠まれなかった、みっともなくて、卑しそうなこと(複数)。

  摂食、排泄といったことであろうが、さらに平安時代や後代の貴族にとって、日常生活や労働に関することも含まれる。生活や労働を短歌の題材とし、そうした歌でも詠んでよいのだと広めたのは、石川啄木あたりであろう。

4もとめ詠む:探し求めて詠む

  それによって、今まで詠まれていなかった題材だから、新しい歌を詠んだのだと考えるのである。

 あるべからず:動詞「あり」連体形+命令「べし」未然形+打消「ず」終止形。命令の打消だから「禁止」。

 近頃:「見せられ侍りしに」にかかる。

  最近経験した実例を述べる。

 覚え侍らず:動詞「おぼゆ」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+打消「ず」終止形。丁寧は筆者の、読者に対する敬意。「ず」は連用形でもよいが、挿入文と考えて終止形と見た。

  覚えていないというのは筆者が、わざとはぐらかしているのかもしれない。

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1百首歌:題を設定して、一人で百首を詠む歌。四季・恋・雑にわたる題を用い、「擣衣」という題もあったのだろう。ここでいう百首歌の作者は冷泉為守という。

 見せられ侍りしに:動詞「みす」未然形+尊敬「らる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形+格助詞「に」。尊敬は、筆者の「人」に対する敬意。丁寧は筆者の、読者に対する敬意。

  これは受け身と見ない方がよいと思う。

 擣衣の歌:「擣衣」という題で詠った歌。題詠だから、季節にあわなくても、現実に体験していなくても、詠わなければならない。

  「擣衣」とは、衣類の布地を柔らかくしたり、つやを出したりするために、砧(きぬた)という台の上でたたくこと。漢詩などでよく取り上げられ、和歌の題ともされた、秋の夜の定番の情景。

2衣を巻きかへす:砧の台に巻いていた布地を、いったんほどいて、また巻く、そうした間は音が途絶えるのである。

4侍りしを:丁寧動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形+接続助詞「を」。丁寧は筆者の、読者に対する敬意。

 仰せられ侍りしは:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形+係助詞「は」。尊敬は、筆者の「ある人」に対する敬意。丁寧は筆者の、読者に対する敬意。

  二重尊敬になっているが、話し言葉に準じた意識なので、このように使ったので、天皇などに対して使う、最高敬語ではない。

  また「ある人」は、この歌を見せた「人」であろう。

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1「擣衣の歌は・・:ある人のおっしゃったこと。一般に「擣衣」という題で詠んだ歌は

 うぐひすの声、琴の音:「うぐひすの声」、「琴の音」という題で詠んだ歌

 やさし:優美である。

2聞き所:聞いていておもしろい所

 侍るに:丁寧語「はべり(あり)」連体形+接続助詞「に」。丁寧は、話し手である「ある人」の、聞き手(私)に対する敬意。

 いりたちて案内者げに侍るこそ:この、「うつ音の・・」という歌は、詳しい所まで立ち入って、知ったかぶりでありますのが

  案内者:よく知っている人。

  「案内者げなり」はそれから派生した形容動詞。よく知っている人のようだ

  案内者げに侍る:形容動詞「案内者げなり」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形。

 見苦しく侍れ:形容詞「みぐるし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」已然形。已然形は「こそ」の結び。

4大方は・・:以上の例を引いて、筆者は、新しい趣向を求めるために、今まで詠われていなかったことを詠おうとする冷泉家を批判する。

 かかる:副詞「かく」+動詞「あり」連体形の短縮形。

 知らぬては侍らじかし:「じ」は打消推量で、終助詞「かし」は念押し。知らなかったことではないでしょう、知ってはいたでしょう

  動詞「しる」未然形+打消「ず」連体形+断定「なり」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+打消推量「じ」終止形+終助詞「かし」。

  打消にした「知らぬなり」(知らないことだ)に、丁寧の気持ちと打消の推量の気持ちをつけくわえている、複雑な表現。

 見苦しきこと:昔から歌には詠まれなかった、卑俗なこと。

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2詠まれ侍るは:主語はこの歌の作者(冷泉為守)。

  動詞「よむ」未然形+尊敬「る」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形+係助詞「は」。尊敬は、筆者のこの歌の作者に対する敬意、丁寧は、読み手に対する敬意。

 口伝:(くでん)師から特別の弟子に、父から総領の息子に、秘密事項として口伝えに教えられること。

  こんなみっともない歌を詠むのは、総領家の私と違って、そうした口伝のない、傍流の家だからだろう、とけなしている。

3このほかの歌ども:為守の百首歌に載せられた、その他の歌(複数)。

4たづね見て:歌道の本流を学習して、つまり、我が二条家に入門して。

 心得られ侍るべきか:動詞「こころう」未然形+尊敬「らる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形+可能「べし」連体形+終助詞「」。

  尊敬は、筆者の、「心ある人」に対する敬意、丁寧は、読み手に対する敬意。

  「べし」は終止形に接続するが、「はべり」のようなラ変には、連体形に接続する。

  「」は係助詞でもよいが、理解することがおできになるのではないですかな、というところか。

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1続千載集:(しょくせんざいしゅう)後宇多院の命で編纂され、1320年に成立した勅撰集。撰者は、この文章の筆者、二条為世

 召され侍りし:尊敬動詞「めす」+尊敬「らる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形。尊敬は、筆者の朝廷に対する敬意、丁寧は、筆者の読者に対する敬意。

 御百首:歌集の資料として集めた歌。

 草刈り入るる・・:冷泉為相の歌。

2とやらん:格助詞「と」+係助詞「や」+動詞「あり」未然形+推量「ん」終止形 からできた形。という言葉であったろうか。「やらん」でひとつの助動詞になったとみてもよい。

 詠まれ侍りし:動詞「よむ」未然形+尊敬「る」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形。尊敬は、筆者の、この歌の作者への敬意、丁寧は読者への敬意。「る」は受け身ととらないほうがよいと思う。

 仰せられしは:尊敬動詞「おほす」未然形+尊敬「らる」連用形+過去「き」連体形+係助詞「は」。尊敬は、筆者のある人への敬意。二重尊敬だが、最高敬語とみなくてよいと思う。

3侍る:丁寧動詞「はべり」連体形。丁寧は、ある人の、聞き手(筆者)に対する敬意。

 侍りし:丁寧動詞「はべり」連用形+過去「き」連体形。丁寧は、筆者の読者への敬意。「き」連体形は、「ぞ」の結び。そういう発言があったことを強調している。

4げに:実際に。

 「いかなることぞ」:筆者が田舎で、田に草を刈り入れるというのは、どういうことかと尋ねた。

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1肥とかや:名詞「ひ」+格助詞「と」+係助詞「か」+係助詞「や」:こえとかいうものを。そんなものは、自分は知らないのだが、という気持ち。「か」も「や」も疑問ではなく、ふたしかなだということであろう。一語の副助詞と見ることもできるだろう。

 もち入るる:動詞「もちいる」連体形。刈った草を持ってきて田に入れるのです。連体形で文を終わらせている、口語的表現と見てよいと思う。

2いかにも:「聞きたらん」にかかる。いかなる形であっても、・・聞いたような(人は)。

 家の庭訓・・師の口伝:「作品について」および6ページを見よ。京極家や冷泉家は、傍流なので、こうしたものを持たない、と言いたいのである。

3いかにも:「よも侍らじ」にかかる。「いかにも」の繰り返しに執拗さがうかがえる。

  よも・・じ:まさか・・ないだろう

 かかる:副詞「かく」+動詞「あり」連体形からできた形。このような。このような卑俗な題材を詠うような。

 侍らじ:丁寧動詞「はべり」未然形+打消推量「じ」終止形。ないでしょう

4作者:この、「草刈り入るる」の歌の作者。

  ほんとうに、知らなかったのだろうか。

 知り侍らねば:動詞「しる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+打消「ず」已然形+接続助詞「ば」。知りませんので

 もし・・:ここからが予防線。

 すぢなし:道理に合わない。見当はずれだ

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1こともや侍らん:(根拠のない)こともあるだろうか

2ばけばけし:こういう形容詞はここでしか見ないが、「ばけ」(化け)は、「だますこと」「ごまかし」という名詞で、鎌倉時代後期の混乱期、政治・社会・文化のあらゆる面でにせものが横行する状態を言いたいのだろう。

3ことのみ侍るこそ:ことばかりがありますのは

4ことのみにては侍らねども:名詞「こと」+副助詞「のみ」+格助詞「にて」+係助詞「は」+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+打消「ず」已然形+接続助詞「ども」

  「こと」に断定「なり」をつけて、「ことなり」(ことだ)が出発点。

  これに、打消丁寧逆接などをくっつけて、複雑な形をつくった。

  (いまさらである)ことばかりではありませんが。ことさらにここで初めて言うことではなく、常々思っていることですが。

 心憂く侍れ:形容詞「こころうし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」已然形。已然形は、上の「こそ」の結び。

  心憂し:つらい。情けない

  自分のような、正当な歌道の後継者が評価されない世の中を憂えている。

 あるいは・・あるいは・・:そうした伝統を破壊するものたちは、ある者は・・、ある者は・・。

 遠国などにて我が身をたてんとて:都での出世をあきらめて、鎌倉などで重用されようと思って。

  鎌倉時代後期から戦国時代まで、都の貴族が地方の有力な武士のもとで優遇され、文化を伝えたことは事実である。本来の貴族としては、国司として地方に任官するのさえ、いやいやだったのだから、食うために都落ちすることは軽蔑の対象となった。

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1重代:先祖から代々伝わること(もの)

 家督:(かとく) 家長の身分。本家の跡を継いだものに対して、分家は従属すべきものとされていた。いくら生活のためといって、分家(京極家や冷泉家)が本家(二条家)をそしることは許せないのである。

 家の秘説:歌道の家に伝えられている、門外不出の教え。

  中世では、こうした宮中でのしきたりについての知識、学問の知識、芸ごとや薬品の秘伝がすべて家の秘密とされ、本家の長男にのみ伝承された。門弟にその一部を伝授するばあいも、口外したり文字にしたりすることを許さなかったのである。

2習ひ伝へて侍れ:動詞「ならひつたふ」連用形+接続助詞「て」+丁寧の補助動詞「はべり」已然形。已然形は「こそ」の結び。丁寧は、この話し手の聞き手に対する敬意。

  分家の者が、歌の秘伝を伝えているのは自分で、本家の二条家(為世)には伝えられていないのだ、と主張している。

3よんどころ:拠り所。根拠となるもの

  「よんどころなきこと」とは、所領の相続争いにからむようなことも指すか。この解説の最後の部分を参照。

4宗匠:和歌・連歌・俳句・茶道などの師匠。ここでは二条為世(この文の筆者)。

 かひなし:つまらない。とるにたりない

 歌詠み:和歌を詠む人

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2詠まれず:動詞「よむ」未然形+可能「る」未然形+打消「ず」終止形。

 申し置きて:この「おく」の気持ちがわからない。いずれにしても強調であろう。

 信仰する人:その言葉を信じ、二条為世の歌はだめだと思いこむ人。

3これ:こうした事態は。ひとびとがそうした宣伝に迷わされている事態。

 まめやかなり:まじめである。本格的である

 そのゆゑは:混迷がそのように深い理由は

  以下、その理由は、歌道が目に見えないものだから、本当に歌の正統をついだものが誰かわからないのだ、と説く。

4代々伝はりたる・・:私は・・

  祖父為家の死後、筆者の二条為世が、腹違いの弟と所領の相続を争ったことがある。このとき、為氏のまま母にあたる阿仏尼が鎌倉に下向して、幕府の介入を求めたことは有名で、その旅の様子が「十六夜日記」として残されている。

 譲り与へ:所領争いの決着がついたのは、阿仏尼の死後だった。「譲り与へ」とあるが、二条家の立場からは、幕府の介入によって所領を奪われたと言いたいところだろう。

 たびたび朝家に・・:一方で私は・・。

  冷泉家が、政治的にも文学的にも鎌倉幕府に近づいていったのに対して、二条家は、反幕府的、南朝的な傾向を深め、朝廷の編纂する勅撰和歌集の撰者として採用されることが多かったという。1235年から1429年の間の十三代集と呼ばれる13の勅撰和歌集の7集までが二条家の歌人が撰者となっている。

12ページ

1・・家督には:(10ページ1)家長である私には。

  幕府の介入によって奪われたとはいえ、先祖代々の所領を相続すべき立場にあった家長である私には、そして、たびたび撰者として採用され、勅撰集の編集を承った歌道の本家としての私には。

2庶子:(しょし) 妾の腹にできた子。嫡子以外の子

  「家督」と対比させて、相続権もなく、家の庭訓や口伝を受けるはずもない「庶子」にこうしたものが伝わるはずはないではないか、と言っている。したがって、10ページ2の主張はうそだ、ということになる。

 しかるべし:副詞「しか」+動詞「あり」連体形+当然「べし」終止形からつくられた連語。適当だ。よろしいであろう

 家領は・・:目に見える一家の本領はたしかに家督のしるしとして私のものであり、それを自分が相続していると主張する人はいないだろう、ということか。ここで言う「家領」は、冷泉家と争った所領とは別なのだろう。

 道は・・:それに対して、歌道というものは表面に(目に)見えないので

 無窮の偽り:自分が歌道の正統を相続しているという、無限大の嘘

4あひだ:なので(原因・理由)。

 明察の御代:二条家が歌道の本家であると、ちゃんと分かっていてくださる天皇。後の南朝につながる、反幕府的な系統の天皇。

13ページ

1皆:だれが本当の和歌の本家を継ぐ正統であるか。

 あらはれ侍りぬるにこそ・・:動詞「あらはる」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連用形+強意「ぬ」連体形+断定「なり」連用形+係助詞「こそ」。

  この跡に「あれ」などが省略。

  強意の「ぬ」を用い、さらに断定「なり」を用いることによって、強調した表現となっている。

  明らかになるに違いないのです、いや、そうなってくれなければ困るのです、という気持ち。

 歌の弱き:歌が弱いこと。10ページ4で「宗匠などは弱くかひなき歌詠みにて」と言われたこと。

2心得べきにか・・:動詞「こころう」終止形+適当「べし」連体形+断定「なり」連用形+係助詞「か」。

  あとに「あらむ」などが省略。(どのように)理解するのが適当であるのか

 心深し:趣深い。風情がある

 よろしく・・美しく侍る:形容詞「よろし」連用形+・・+形容詞「うつくし」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」連体形。連体形は準体法で、悪くなく、うつくしくあります歌

3申すべし:丁寧動詞「もうす」終止形+当然「べし」終止形。言うのが当然です

  こちらの「べし」は当然の用法と見たが、ここらへんは区別が難しい。

 万葉集の・・:正統派からは、万葉集が評価されていなかったことがわかる。これに対して、鎌倉の実朝の歌が万葉調とされることなどが思い出される。逆に、正岡子規以降の近代の写生派の短歌では、古今集などの正統派を批判し、万葉集を評価した。

4耳遠し:聞き慣れていない

 凡俗の心:万葉集が防人や東国の歌まで採録していることや、貴族の歌でも、率直に飾り気なく詠っているところを言うのだろう。

 弱き歌:二条派にとって、「弱き歌」とは、洗練されていない歌ということになるのだろう。

14ページ

1卑劣の風情:そういう歌に詠まれた卑俗なおもしろさ、ということ。

  そうしたものは、正統派の歌人は知っていても詠まなかった、というのである。

 幽玄:もと仏教の用語で、奥深く微妙で容易に知り得ないこと。中世の和歌・連歌・謡曲で、言外に深い情趣・余情があること。ここでは、静寂な情趣が象徴的に余情として湛えられた境地

 もとめよく:何か新しい題材はないか、と探している革新派にとって、簡単に見つかるから、という気持ち。

2詠まれ侍らねば:動詞「よむ」未然形+可能「る」連用形+丁寧の補助動詞「はべり」未然形+打消「ず」已然形+接続助詞「ば」。詠むことができませんので

 化け物:京極家や冷泉家が詠む歌は、偽物であって、彼らはそれをありがたがっているのだろう、という痛烈な批判。

3信仰せるにこそ・・:動詞「信仰す」已然形+存続「り」連体形+断定「なり」連用形+係助詞「こそ」。「あらむ」などが省略。これも強めた表現。

 

 冒頭の系図に戻ると、筆者の為世は、御子左家の本家である二条家の当主として、分家で、しかも二条家をしのごうとする京極家冷泉家を偽物ときめつけている。

 二条家の為世は、為家の遺訓を守って、温雅無難な歌をよしとした。文学史では、平板無味と評価されることもあるが、それなりに中世の和歌文学を特質づけるものであったのである。この流れから、南朝の君臣の歌を撰集した「新葉和歌集」が作られる。

 この為世と激しく抗争したのが京極為兼であった。和歌の本質は感動の率直な表現であるとして「万葉集」を尊重し、写実を唱えた。京極派が撰進した「玉葉和歌集」と「風雅和歌集」はめざましい新鮮さがあると評価される。

 冷泉家は、実はこのどちらとも言えず、門弟も自由に指導した。また為相らは鎌倉歌壇とも接触していた。この文章では、京極でなく、冷泉為守が批判の矢面にたっている。現在まで、家として存続しているのは、この冷泉家である。

 本文中でも、御子左家の家領と歌道の継承が問題になっている。これがこじれたのは、為世の祖父、為家の時代にさかのぼる。為家は長男の為氏為世の父)を後継者としていたが、四条(のちの阿仏尼)という女性を側室とし、為相、為守が生まれた。四条は為家を説得し、歌道の正統を為相に譲らせることを図り、為家は相伝の歌書を為相に譲り、細川荘という領地を為氏から取り返し、為相に与えることにした。為家の死後、この家領に関して訴訟が起こり、四条(阿仏尼)が鎌倉に出向き、おそらくそこで没したと考えられるが、まだ決着しなかった。

 冷泉家が鎌倉歌壇に影響力を持ったのに対して、京極家は持明院(のちの北朝)系の天皇に結びつき、二条家は大覚寺(のちの南朝)系の天皇に結びついた。持明院統と大覚寺統の天皇の交代が、そのまま歌道の本家の交代をもたらしていたのである。この中で、筆者の為世はその長い生涯を彼の信じる歌道の本流のために戦ったのである。