幻想世界神話辞典 〜
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![]() アラブとは元々、砂漠の遊牧民を指す言葉だという。アラブには更にバダウ(バドゥとも。「砂漠に住む人」の意。単数形バダウィー。これが訛ったベドウィンがよく知られる。)とシュワヤというたて分けがあり、前者はラクダ、またはラクダを主として遊牧するもの、後者は羊、ヤギを主として遊牧するものをいう。バダウが最も誇り高く、自分たちのことをアル・アラブ(真のアラブ)と言ったりもする。 狭義の考え方だと、アラブとは民族ではなく、セム語系諸民族の間での生活環境・生業的たて分けともいうか、人間を砂漠の遊牧民アラブと定住生活者のハザルに分けさらに、それぞれを2つにわけ計4種類に分ける。 ハザルは雨季に遊牧するライイェと、遊牧を全くしないカラワニの2つに分けられる。また農民のことをフェラヒンという。 ・遊牧生活の形態による立て分け ┌バダウ …ラクダを主として遊牧する者 アラブ─┤ └シュワヤ …羊、ヤギを主として遊牧する者 ┌ライイェ …雨季に遊牧する者 ハザル─┤ └カラワニ …遊牧を全くしない者 アラブが他の三者に脅威だったのはガズウ(略奪)が習慣的、文化的に行われていたらしい事もあるようだ。このガズウは民話にも描かれているが、若者達の勇気試しと部族の財産を増やすちょっとした冒険におこなわれる遠征であるという。成功すればラクダの群れを得るが、もし若者が死ぬようなことがあれば何世代にも渡って部族同士の争いが続く。この略奪は同じ民族内の氏族集団の争いともなるようだ。 また略奪した際、犠牲者側が砂漠で生きていけるよう何頭か残していく家畜をいうウクラというものがある。 民話では家畜をとりかえす力のない老人が略奪者に「ウクラはどうした?」といって相手がウクラをおいていくやりとりがある。 この略奪は砂漠、オアシス、都市、どこでも行われたようだ。特に雨の降る、遊牧に恵まれた時期をラビーといって盛んに内陸への略奪が行われたともいう。サウディ・アラビアのネジド地方南方のダワシル民族は、アラビア半島の東海岸沿いの民族がペルシャ湾の船から略奪すると、その略奪品を略奪に行ったので恐ろしい相手として敬遠されていたという。このような略奪はジャーリヒーヤ時代(無明、暗黒時代)よりイスラーム教の布教後では格段の差があり、イスラーム教が略奪や争いに対して抑止力をもたらしたらしい。 争いということでは井戸の支配権をめぐる戦いが繰り広げられ、シャイフ(「齢とった人」の意。遊牧民では族長を指す)と呼ばれる指導者は勢力圏内の一族や客の安全を保障できないと、シャイフとしての一切の資格を失う。また弱い部族が金品を差し出して強い部族に隷従し庇護を受けることがあるが、その部族は軽蔑され他のあらゆる部族と姻戚関係を持つことは許されないという。民話にもジプシー的な部族の者と姻戚関係が許されない話があり、名誉を守るため婚資の倍の賠償を払って離婚する。サウディ・アラビアではこのジプシー的な存在の部族をスロッバといっている。 現在では民族間の戦争も略奪も罰せられるため行われてはいない。 シャイフが客の安全を保障するとあるように、過酷な砂漠の民らしく、例え敵対する部族の者でさえベイト・シャル(「粗毛の家」の意。ヤギの毛で織られたテント)を訪れたものは三日と三分の一の間もてなすのが美徳とされる。いったん招き入れて食事を共にしたならば客として保護される。父を怒らせてしまった恋人に、急いで食事をとらせる娘の話や、気前の良いもてなしで人々に称えられ、家畜の最後の一頭さえも、もてなしに屠るが、その報いで再び裕福になる者、貧しくとも客の食事に借財までしてもてなす者の話などがある。アラブの民は名誉や誇りをとても大切にする気風があり、それは生活の中から出てきた慣習法でもあるようだ。前述したものも含むのか、詳細はわからないがモスクやイスラーム聖法の法廷から遠く離れた沙漠で、バダウたちはウルフという独自の慣習法によって生活してきた。 アラブの人たちの間で話されるアラビア語は、イスラーム布教前のジャーヒリーヤ時代の最も純粋な形態を留めるという。 アラブの民話ということで集められた民話は東はイラク、イランからアフリカ大陸のモロッコまで及んでいる。 このような民族に依らない伝統的な文化圏のあり方は人間社会の多様性を示すと同時に、ここにはイスラーム文化圏も大きく関わっている。 民話についてはイスラームの項目で詳細を述べるがムスリムの信仰の重要な要素である「ハッジ(メッカへの巡礼)」によって、多くの地域の民話が巡礼宿で語られ、隔てられた地域の物語が互いに広まっていったと考えられている。 Unicodeアラビア文字一覧 関連項目一覧
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