【 増子先生との邂逅 】
    増子先生との出会い…無学大士の御法統を受け継ぐ
  恩師は正しいと信じていたR会にどういう訳で不祥事が続発するのか?
  R会のどこに間違いがあるのか? という疑問に、R会は先祖供養の教団
でありながら、元の教えの方を無視していた(常不軽無学大士のことをその
当時は隠していた)ことが、多くの不祥事が起こる原因だったという答を得
たのでした。
  恩師は先祖供養道の元の方がいらっしゃるということを知り、ようやくの
ことでK先生のその元の教えの護持者である増子先生を探し求め、吉祥寺に
訪ねたのです。その日はちょうど、増子先生のお師匠様の常不軽無学大士の
三十三年忌のご命日当日で、「たった今、そのご供養がおわったところだ」
という、無学大士の弟子であられた増子先生に会われたわけです。
  
  裁判所の書記官であった増子先生から、先祖供養の祖師であられる西田無
学大士(常不軽無学大士)のことが分かり、西田無学大士の御法統を恩師は
継承されたのです。現在、本営にある無学大士の告白書や大過去帳はこの時
に譲り受けたものです。
  恩師は増子先生に会われた時に、三十三年忌に関する無学大士の次のよう
な遺言を知ったのです。
  増子先生は無学大士にその遺言として、「おまえはこの法を弘める役目で
はない。三十三年経つとこの法を受け継ぐ者が現れるので、それまで守って
おれ」と言われたということです。
  このように恩師(台学大士)の訪ねた日がちょうど、無学大士の三十三周
忌のご命日という不思議な因縁があるのです。
  そしてわかった事は、R会教祖のK先生は増子先生から正式に無学大士の
法を受け継いだのではなく、真似をしているだけだということです。K先生
は無学大士の三十三周忌以前から、増子先生についているので、法統の後継
者ではありません。その証拠には、教えの面で、仏旨とは違ったものになっ
ていることはすでに述べた通りです。
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