【 我身如来(信仰綱領の一) 】…本仏は自分
  因果一実ということをつきつめると、自分の一念が今の自分の人生を作っ
てきたことになります。自分の人生の良い事も悪い事もすべて自分の責任な
のです。即ち、人生の創造主は自分自身だということです。
 神や仏が自分を幸福にするのでも、悪魔が自分を不幸にするのでもなく、
自分自身の自由意志で悪魔の方を向いたり、神仏の方を向いたりするのです。
つまり、神仏を動かすのも自分、悪魔を動かすのも自分ということです。自
分が主体です。
 自分の人生の全てに関して、自分が創造主であるのは勿論のこと、世界全
体に関しても結局は人間一人一人の想念が影響を与えるので、各人に責任が
あります。自分が一切の根本です。それほど自分というものが大事で、自分
が神仏にも成り得るので、我身如来というのです。
 久遠本仏というのは、久遠の昔から自分が本仏であったということです。
  自分が本仏であることを忘れ、人間の尊厳を忘れて、神仏を主体とし、人
間を無視してきたことによる罪業が各種の災害や戦争となって、その清算の
ために、今日現れて来ているのです。(自分が本仏というのは、善も悪も自
分自身が作り出しているので、自分の人生の責任者は自分自身という意味で
す。また、先祖の中心も子孫の中心も自分自身ということです。)
 我身如来ということは思い上がりではなく、人間の真のあり方であり、仏
旨に適ったことです。むしろ、偶像崇拝や特定の人物を拝ませることは、主
体は自分自身であることを忘れさせるので、人間世界を破壊します。神仏礼
拝の教えは、時が来て、真の実義(人間礼拝の教え)が出るまでの仮の教え
に過ぎません。

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  ★我身如来」を意味する先師先コの言葉…
 ☆『諸法実相鈔』(日蓮聖人著)には、「凡夫は體の三身にして本佛、佛
は用の三身にして迹佛なり。…」とあります。(人間が本仏であるというこ
と。)
 ☆ パウロ(ギリシャ・キリスト教徒)…「汝ら自身は神の
殿にして、神の霊汝の中におわすことを知らざるか」
 ☆ 三穂 希祐月『天界からの脅迫』…「よいか、くれぐれも言っておく、
神社や神棚に神がいると思ったら大きな間違えじゃからな。お前らの中に、
いつもワシらはいるんじゃ」
 ☆ 物質化現象で有名なインドのサイババは、「あなた方も神なのだが、そ
のことに気づかないのだ」と言っています。
 ☆ 釈尊…『天上天下唯我独尊』…各自、我なるものが最もとうとい。(こ
れは、釈尊一人がもっとも尊いという意味でないのはいうまでもありません。
この言葉には釈尊の本意があらわれています。)

 このように多くの先師先コが自分なるものの尊さを言っています。勿論、
三宝帰依は当然の事でありますが、自分という生命がなければ何もないのと
同じですから、“我身如来”ということは宗教を超えた根本的な問題です。
この重大性に今の宗教界は気づくべきだと思います。このまま行けば人間の
世界は滅びてしまうでしょう。
  宗教改革の必要はここにあるわけですが、この大事なことをどの教団も軽
視しているようです。いやむしろ、人間世界を破壊する神仏第一主義(この
場合の神仏は久遠本仏ではなく、現象仏なので対立を生み、争いを作る)を
押し進めているような気がします。
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