【 懴悔滅罪の大法 】
  懴悔滅罪の信仰とは、自分の回りに生起する事柄はすべて自分に責任があ
り、自分の思念、行動が自分の人生を創造する。従って、自分自身を探求し、
自身の改善、浄化によって個人、家庭、社会の幸福と繁栄を築くもので、生
活に結びついた信仰をいいます。

  裏表紙の「生命の真のあり方」の絵図からいろんなことがわかります。そ
の一つは先祖の中心は自分であり、子孫の中心も自分ということです。とい
うことは、子孫の繁栄も先祖の成仏もすべて現在の自分の責任です。勿論、
自分自身の幸、不幸も自分の責任です。このように、自分に主体性があるた
めに、自分の一念で自分の方向を自分で決められるので、自分というものが
尊いということを、釈尊は「天上天下唯我独尊」といっておられます。これ
は、釈尊一人がもっとも尊いという意味ではありません。
  自分の一念で善にも悪にもなれるので、人間自身が自分の人生の創造主と
いえます。生まれ変わり死に変わり、善も造ってきたが、悪も造ってきた自
分です。自分が創造主だからこそ懴悔が必要となります。懴悔というのは、
人間が創造主であることの裏返しです。創造主であれば、必ず懴悔が必要で
す。人間が誰かにあやつられた存在なら懴悔は必要ないでしょう。

  濁悪末世というのは、個人個人の持っている悪業が、その浄化のために噴
出してくる時代です。そういう現代において、自分の不幸の原因(悪業)を
浄化し、良いものに変えていくのが、懴悔滅罪の大法です。
  その中心となるものは「仏説による父母孝養・師長恭敬」です。これを
一言でもってあらわしたのが、大御宝號…南無先祖養道≠ナす。仏説
による父母孝養・師長恭敬の大法の行践によって、一切の病・貧・争が消滅
します。

 ☆ 争いを滅するに争いをもってせず、ただ懴悔あるのみ。(修学)
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