【 御法名書写の体験談 …… この貴い行為 】
 (1) 御法名の書写というのは、教団でおくった御法名をその家の人がお過
去帳に写すことを言います。その行為が菩提心を起こしたことになり、それ
が先祖の救いの因になるので、写す人の功コになります。
 (2) 昔はお経巻を書写して、後世の人に残すことが書写の功コでしたが、
今は印刷技術が発達しているので、お経巻書写の重要性はなく、御法名をお
過去帳におのせすることが、書写の功コです。
 (3) 御法名の書写は自分の身内や先祖だけではなく、縁のある人すべてに
わたります。そして、書くほど先祖も自分も浄まります。つまり、現実の人
生に功コが現れます。
 (4) 体験談として、かつて、常不軽台学先生が川崎で宗教活動をなさって
いたころの話です。(以下、御法座等でたびたび、うかがったお話)……

 岡林という37才になる婦人がいた。この婦人が腎盂炎(じんうえん)で、
今にも死にそうだと、主管先生に連絡があった。そこで先生が、岡林宅へ行
ってみると、もう枕元にはお水とお線香がまつってあった。医者が来て、も
うだめだからと言って、そうしていったのだそうである。本人は勿論、まだ
生きている。体全体が異常にむくみ、体全体で苦しそうに呼吸しているので
ある。
 そこで一旦、本営に戻られた先生は、行法経を五十巻(一巻一時間かかる
から二昼夜かかる)と、二百体の御先祖に御法名をおくれば治ると霊感され
た。すぐに十一人の同志が結集し、本営(当時は川崎)と岡林宅の二手に分
れて、行法経五十巻読誦が始まった。勿論、交代であるが、二昼夜兼行で、
お経の切れ間なくである。

 二百体の御法名の方は、その婦人の親戚、縁者は大阪とか栃木とか、遠方
にいて連絡がとれず、先祖のことがわからず苦心したが、幸いにもその婦人
は三家摂折してあったので、その関係でどうにか二百体の御先祖をお迎えす
ることができて、読経と御法名をおくるのは平行して行われた。先祖のうち、
九十六人が同じ腎盂炎で亡くなっていることがわかったそうである。
 お経をあげ始めると、隣に住んでいた女医(前記の医者とは別人)が、死ん
だと思って香典を持って来たそうである。
 今にも死にそうだったこの婦人、五十巻のお経がおわるころには、むくみ
がすっかり引いて、元気になってしまった。……話はそれからである。
 この婦人には三人の子供がおり、三人が三人ともやはり、腎盂炎で体がむ
くんでいたのである。医者にかかっていたのはその婦人だけである。一番上
の子が、郵便局に勤めている十五才になる女の子、二番目が六才、三番目が
生まれて半年の男の子である。
 そこで、郵便局長に事情を話して、この長女に一週間仕事を休ませ、この
子に二百体の御法名を、お過去帳に写させたのである。腎盂炎で体がむくん
でいるため、一字書いては顔を上げ、一字書いては顔を上げというふうだっ
たが、だんだん写すにしたがって良くなり、一週間後、書きおわる頃には、
この長女の腎盂炎もすっかり治ってしまった。
 驚いたことにはその二人の弟達も、体のむくみがなくなり、子供達は医者
には関係なく、長女のその貴い行為で、病気が治ってしまったのである。
御法名を書写することが、貴く、大切なことかをよくよく知っていただきた
いのです。

 (5) 本人が写せない場合は、どなたか家族の方が写してあげて下さい。
 御法名の説明が今納得できなくても、信仰していくうちに、摂折するにし
たがってだんだんとわかってきます。
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