【 すべて自分の先祖 ……よその先祖というのはない 】
  お過去帳にご法名を写す段階になると、よその先祖をお迎えしても大丈夫
ですかとか、自分の先祖だけを拝んでいれば良いのではないですか?という
心配と疑問が出て来ます。今までの説明でおわかりいただけると思います
が、……

 (1) よその先祖というのはありません。遠い近いの差こそあれ、皆、自分
につながった自分の先祖です。(裏表紙の絵図参照)
 日々食べる米、肉、野菜、魚さえ自分の血肉になり、命を支えてくれるも
のですから、すべて自分の親、先祖です。ここに単なる先祖供養と浄妙教団
の先祖養道との大きな違いがあります。
 (2) たとえばA家のB子さんがC家へ嫁にいって、A家の先祖が赤ちゃん
として生まれ変わってくれば、その子にとってはA家もC家も先祖になるで
しょう。その子が成人して、D家へ嫁にいけば、D家も自分の先祖というこ
とになります。
 このようにして代々続いてきているのですから、皆つながっている自分の
先祖です。
 その証拠には、摂折して、よその先祖をお迎えしているはずなのに、自分
の病気、事業、悩み事が解決していくのですから、自分の先祖ではありませ
んか。
 (3) 先祖とは他人のことではなく、生まれ変わり、死に変わりしてきた自
分自身の前世のことでもあります。ですから先祖の成仏とは、自分が立派に
なること…浄妙を意味します。

 (4) 先祖にとっても子孫にとっても、自分がその中心であり、根本です。
自分が成仏しなければ先祖は成仏しないという事です。つまり、先祖を成仏
させるのではなく、自分を成仏させることが真の仏法の本筋です。自分が悟
れば先祖も悟るのです。これが懴悔滅罪ということです。
  自分の成仏(浄化)とは一切の不幸を解消し、現実生活の上で幸せになる
ことです。自分自身の浄化がそのまま先祖の浄化と向上になります。(具体
的には、先祖の法名を取り集めるにしたがって、自身の浄化が進みます。)
 (5) 前世に自分が作った罪業が、今世に霊障となって自分にくるので、自
己の懺悔(さんげ)によってのみ、その霊障がなくなります。人がつくった悪
業が自分にくることは決してありません。 例えば、子供の問題で親が苦し
む場合、子供に非があるように見え、また、夫婦間の問題で夫の賭事や酒乱
等、悪いのは夫のように見えますが、いずれの場合でも苦しんでいる方の因
縁なので、親なり、妻なりの懴悔によって問題は解決します。
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