【 信仰の疑問 】
    信仰の疑問…不祥事の噴出
  これほど熱心に活動してこられた先生も、R会KK会長(故人)による
『赤い羽根募金横領事件』を始めとして、数々の不祥事が噴出してきたこと
に疑念を抱くようになったのです。
  この横領事件についてはKK会長は、R会が直接使った方が社会のために
より有益と考えていたそうですが、これらの問題がRK会を始めとする現在
のいわゆる先祖供養の各教団に分裂する遠因となったわけです。
  恩師は外部の支部長だったにもかかわらず、K先生の霊廟造営や身延七面
山の御宝塔築造の責任者にもなって、R会のために尽力されましたが、御宝
塔建立後、R会の信仰生活にピリオドを打つことになります。
  御宝塔建立に当たっては、南無妙法蓮華経はもうお役が済んだものとして
奉り込み、建立後、恩師はR会をやめる決意であったそうです。
  
  恩師はKK会長には嫌われていたそうですが、身延七面山の御宝塔建立の
責任者を誰にするかについて、KK会長の霊感では何度やっても、川崎の菅
原さんということになるので、やむなく恩師が指名されたということです。
恩師の過去世は土木工事の得意な行基菩薩であられたことを考えると、これ
は当然のことと思います。また、身延七面山の御宝塔建立当時は、物資の極
端な統制下にあって、一袋のセメントさえ自由に手に入らない状況であった
ことを聞くにつけ、恩師でなければこの工事は完成しなかったのではないか
と思います。
  この工事について、恩師のご法話を思い出すままに記してみます。
(なぜこういうことを思い出せるかというと、私は心構えとして恩師のお話
を、砂に水が染み込むようにイメージして、心の中で一切反発せず、すべて
を吸収するよう努めてきたためと思います。)
  まず、セメント入手についてですが、前述のように統制品であって普通に
は手に入らないため、あるセメント会社の部長に面談したそうです。この部
長は恩師の意気に感じて、身延の駅までは責任を持って貨車で運ぶことを約
束し、身延の駅から七面山の山門までは恩師が責任を持つことになったので
す。そして貨車が身延駅についた当日は、先が真っ白で見えないくらいの土
砂降りの雨で、身延の町中は人っ子ひとり姿が見えなかったそうです。
  「今だ!」ということで、日ごろから恩師は作業員に酒やタバコを渡して
好感を持たれていたため、この人達が大雨の中でセメントをトラックに積み
込み、誰にも知られずに七面山の山門まで運ぶことができたのです。また、
食べ物も不足していた時代ですから、御宝塔建立に携わる作業員のために、
全国の信者に呼びかけて、お米を一人一合ずつ七面山まで届けてもらったそ
うです。こうして様々な苦労の末、七面山の御宝塔が完成したということで
す。

  霊廟造営についてエピソードを一つ書きます。恩師のお話によると、この
工事で三時のおやつ代わりに出されるおにぎりは、KK会長のお手製で絶品
であったそうです。心の使い方が違うんだ、と教えられました。晩酌の楽し
みを減らしてでも、職人さん達は喜んで食べたということです。
前のページへ戻る このページのトップ次のページ