【 懴悔滅罪と先生の病気 】
先生がR会の信仰に本格的に取り組むのは四十三歳の時です。それまでは
健康そのものだったということですが、このころから、ご自分で病気の問屋
とおっしゃるほど、いろんな病気をしたそうです。薬箪笥が一棹あったとい
います。
最後の大きな病気が昭和五十六年七月に発症した紅皮症といわれるもので
す。全身にかゆみを伴った赤い湿疹ができるものです。平清盛が全身火ダル
マになって死んだというあの病気です。
先生はこの平清盛のことを例に出して、性格の激しい人がこの病気にかか
るとおっしゃってました。
あちこちの病院に行きましたが、結局、国立千葉大付属病院に約一ヶ月入
院しました。
病院では担当の主治医にこの病気の原因は何か聞いたのですが、答えてく
れないので、原因がわからずに治療するのはおかしいのではないかと、恩師
は問い質したものです。
先生の付き添いとして私が病院に寝泊まりしていまして、一番大変だった
のは、治療ミスによる敗血症の感染でした。一晩のうちに熱が上がったり下
がったり、何度も繰り返して、その度に布団を掛けたり取ったりしました。
恩師の身に何かあったら大変と思ったものです。
本営ではM会長(故人…浄妙教団では信者の代表を会長という)をはじめ
として同信の方が詰め掛けて、敗血症の因縁に対して三千体の御法名の書写
とそれに伴う読経が交替で行われました。この時は先生の御命がかかってい
ると思い、皆本当に真剣に修行したものです。そのかいあってようやく敗血
症の病状が落ち着いたのです。
病室には小御宝體様をまつり、恩師と私で朝晩御宝號を唱えました。敗血
症が治まってからは安定した日々が続き、多くの方がお見舞いに来て下さい
ました。そして自宅療養ということになり、一ヶ月弱で退院したのです。
大きな業障は残っていて、一番最後に出てくると先生はおっしゃいました。
これは懴悔滅罪により、どんどんご自身の浄化を進めていった結果、一番
奥の深い因縁が成仏のために現れて来たということです。
菅原リツ先生(恩師の奥様)は昭和五十五年十月十三日に亡くなられてお
りまして、恩師は「おばあちゃんに先に逝かれたのは、私がさんざん親不幸
をしてきたからだ」とお話しされ、私たちに自戒を促されました。
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