【 仏法の予言 】
常不軽台学先生のお立場
第1章で述べたように、仏法上の予言の通り、末法において仏法を弘めて
いくお役の方を上首唱導の師(上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩)と言
いますが、時代に応じてお生まれになっておられます。日蓮聖人が上行菩薩、
常不軽無学大士が無辺行菩薩の御再誕であることは前述の通りです。そして、
我らが大恩師、常不軽台学国明先生はその御行跡からして、浄行如来である
というのが私達の信仰です。
例えば、南無妙法蓮華経は今から七百年以上前のものです。宗教が本当に
その時代を救うものならば、その時代に適合したものが今、顕れるはずです。
時代は回転していますから、鎌倉時代のものがそのまま現代に通用するはず
がありません。真理は生きて働く以上、時代と共にあるのです。つまり、南
無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も、時代と人類が成熟する現代において、真実
の教えが説かれるまでの仮の教え…方便に過ぎません。去歴昨食なのです。
この事は昔、天動説が常識だったものが、今は地動説が真理だと認識され
ているのと同じです。宗教の世界においては、目に見えない偉大な神仏が別
にあって、その礼拝が信仰だと思われてきましたが、これからは人間そのも
のが神仏であり、一切の生命が神仏の現れなので、お互いに拝み合うこと、
人間礼拝行が信仰というよりも生活行になるのです。(わが教団の摂折と御
法名に関する一切の修行は、人間礼拝行の実践に当たります。)
もしくは、人間でありながら神仏と同じ精神を持ち、それを体現していく
ことがこれからの宗教になるのです。神社仏閣、偶像を拝んで欲望をかなえ
させようというのは信仰ではないことがおわかりいただけることと思います。
『常不軽菩薩品第二十』に「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以はい
かん、汝等皆菩薩の道を行じて、當に作佛することを得べし」とあります。
我も汝等も人間です。我、仏を敬った、神を敬ったとは書いてありません。
このことに関連して、大橋信史著『サイババ 神の降臨』には、現在のサイ
ババは九十四歳前後に亡くなって、その八年後に「プレマ・サイババ」とい
う名前で再誕し、「最後に出現するプレマ・サイババは、人間が内在の神を
いだくのみならず、人間という存在が神であることを説きます。そして、ど
の人間も神であると教えるのです。それは人類最高の英知であり、その教え
は全ての人間を神の境地に高めます」とあります。
すべての不幸は宗教の間違いからくるという厳粛な事実を、私は見過ごす
ことはできません。
また、先師先徳と同じことをいつまでもしているのでは進歩はありません
し、むしろ先師先徳の業績を認めないということになります。師より超出し
てこそ本当の師孝行です。もちろん今は宝號誦持(南無先祖
養道の誦唱信
行)が私達の務めです。
因みに、四菩薩のうち最後の安立行菩薩とは、未来において、南無先祖
養道(仏説による父母孝養・師長恭敬)を実践して、安心立命の浄妙国
土を建設していく方々をいいます。
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