【 仏説による父母孝養・師長恭敬 】
父母孝養・師長恭敬は信仰綱領の二になっていますが、これは順番を示し
ているのではなく、実践であることを意味しています。また、仏説によると
いうのは、道コ的な親孝行のみを言うのではなく、自分の回りはすべて我が
父母、そして自分がすべての生命の父母、という大きな生命観に立った行法
…大愛道ということです。
具体的には法施(お導き)、財施(志納金)、御法名の書写、御宝號誦持(南
無先祖
養道を唱えること)、読経、勤労奉仕等も仏説による父母孝養・
師長恭敬にあたります。つまり、懴悔の一つです。その実践によって、業報
不同なので差異はありますが、個々の問題が解決することは同信一同体験済
みです。(広く言えば、職業も懴悔の一手段です。)
このうち法施(他の方にこの法を伝えること…摂折)が一番大きな懴悔で
す。つまり、一番大きな功コになります。法施をした分だけ自分が浄化され、
その分、自分本来の光が現れ、信仰に対する理解が深まり、退転しなくなり
ます。
摂折は教団を大きくするためではなく、自分のためです。形は他人を救う
ように見えますが、彼我一体であり、彼の因縁はそのまま自分の因縁なので、
自分を救うことと同一です。
また、本当の功コというのは、天の恵みがあるばかりではなく、恵んでも
らう立場から自分が恵んであげられる立場になるということです。例えば、
いつまでもお年玉をもらっているのではなく、お年玉を出してあげられる力
がつくということです。もらったお年玉は使えばなくなりますが、身につい
た実力(魂の実力)というものはなくなりません。
摂折によって導きの親(導かれた人は法の子供)になれるので、実生活で
子供に恵まれない人でも、導きの努力によって法の子供は作ることが出来ま
す。そのことが来世で自分の子を持つ因となりますので、現在子供がなくて
も悲観することはありません。
摂折によって御法名が集まってくると、だんだん自分の因縁がわかってき
ます。同じ因縁の人が導けるからです。そして御法名をおくることによって、
相手も自分もその因縁が成仏するのです。つまり、現実の問題が必ず解決し
ます。
御法名というのは自分自身の過去と同じで、先祖の一体一体が自分の体を
作っているのです。それが浄妙されるから、自分が大きく飛躍します。そし
て同時に、多くの先祖がいわゆる守護霊となって現世の自分を支えてくれる
ことになるので、困難にあっても挫折せず、人生に大いなる光明が現れるの
です。
財施も法施と並んで重要です。志納金(毎月の会費)は教団の維持費とな
り、また、お経巻、お過去帳の製作費となって次の人を救うために使われる
ので、納める人の大きな功コになります。
自分の救いは自分の費用と責任において行うのは当然の事なので、財施を
金集めと思うと仏法を学び損ねます。あくまでも、前世に仏法に敵対したか
も知れない自分の懴悔であることを忘れないでいただきたいものです。
自分の救いを他人の費用でと考えるのは自分を貧しくする思想です。浄妙
教団は貧乏を作る所ではなく、家庭的にも社会的にも経済的にも恵まれた人
生の成功者を作るところです。
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☆ 釈尊の本旨は「一切の人をみること、なお仏の想いの如くし、もろも
ろの衆生において、父母の想いの如くせよ」(視一切人猶如佛想、於諸衆生
如父母想)であります。これは法華経の結論である仏説観普賢菩薩行法経の
経文で、もっとも重要な御教誡の一節です。これを仏説による父母孝養・
師長恭敬≠ニいっています。
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