【 現代の御宝號(ごほうごう) 】
御宝號というのは南無先祖
養道のことですが、これは釈尊五十年の御
説法の真髄で、八万四千の法蔵といわれるくらい膨大な御教えを一音でもっ
てあらわしたエキスです。(一音即肝と言います。)
道コとか日々の心掛けとか、そういうものは勿論大切ですが、それだけで
は解決し得ない様々な問題があるのです。そこに御宝號の重要性があります。
法然上人、日蓮聖人の時代にあっては、仏法の精髄は南無阿弥陀仏であり、
南無妙法蓮華経であったわけですが、時代と人々の機根の進歩につれて教え
の内容が進みます。それは仏法が生きているからです。
例えば、子供の教育にしても小学教育から高校、大学へと順次進みます。
いつまでも小学教育ばかりしていたのでは進歩がありません。また逆に、小
学生に大学教育を施してもそれは無理です。
また、日蓮聖人の仏法は下種益仏法と言われます。春に種を蒔くのは当然
としても、秋になっても種を蒔いてばかりいて、刈り取って脱穀しなければ
人間の用に供することはできません。即ち熟、脱益仏法の時が来なければな
らないのです。
このように、今がどういう時かを知るのは極めて大事なことです。
日蓮聖人は『撰時鈔』で、「仏法を学せん法は、必ず、先ず時を習うべし」
と述べておられます。
法然上人は専修念仏、日蓮聖人は題目身唱とそれぞれ唱えたのは、宝號が
道コを超えるからです。御宝號に不思議の力があるのです。しかし、「白法
隠没して大白法顕わる」と言うように、今は今の時代に適合した新しい宗教
が生まれ、それまでの宗教はすべてその功コを失うのです。現代は南無先祖
養道と唱えるべき熟、脱益仏法の時代です。
この御宝號は、浄妙教団の始祖であられる常不軽台学大士が艱難辛苦の信
仰生活の中で、天授開顕された尊く得難いもので、二十一世紀の人類を救う
大白法です。
この御宝號は懴悔のみ声なので、誦持(そらんじてたもつ)することで必
ず救われます。『誦持宝號…じゅじほうごう』と言います。
自分の持っている「業」とか「因縁」とかいうものは、いくら気をつけて
いても必ず出て来ますが、誦持宝號によって大難は小難に、小難は無難にな
ります。
以上まとめてみますと、
(1) 行の一念三千、因果一実という真理から導き出される結論は、
(2) 自分が人生の創造主であり、善も悪も自分が作ったということ。
(3) その償いは自分しかできない。自分の懴悔によってのみ滅罪する。
(4) すべての生命は一切我、という生命観(大愛道)に立った生活が
自分を立派(我身如来)にする懴悔になる。
(5) その実践は仏説による父母孝養・師長恭敬である。
(6) 御法名の書写も懴悔の一つである。
(7) 御宝號(南無先祖
養道)の誦持に仏法のすべてが集約されている、
ということになります。
では、次章から御法名(戒名)の説明に入ります。
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