【 上首唱導の師 】
さて、從地涌出品第十五の経文ですが、次に紹介しましょう。
「……。世尊、若し我等佛の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加
精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば、
當に此の土に於て廣く之を説きたてまつるべし。爾の時に佛、諸の菩薩
摩訶薩衆に告げたまわく、止みね、善男子、汝等が此の経を護持せん
ことを須いじ。所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六萬恒河沙等の菩薩
摩訶薩あり。一一の菩薩に各六萬恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く
我が滅後に於て、護持し読誦し廣く此の経を説かん。…」
この経文の後に、
「……。是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無邊行と
名け、三を淨行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て
最も爲れ上首唱導の師なり。…」とあり、これが、仏の滅後に四菩薩が出て
法華経を広めるという予言の根拠になっているのです。
これは当時の釈尊の弟子が、仏の滅後に法華経を広める願いを提出した時、
「その必要はない。この地球上には、もともと多くの菩薩達がおり、仏の滅
後にはこの者達が法華経を説くだろう」と釈尊が言うと、忽然と見たことも
ない多くの菩薩達が現れてくるのです。この菩薩達の代表が上首唱導の師と
いわれる四大菩薩(上行、無辺行、浄行、安立行の各菩薩)です。
仏の滅後に法を弘める使命の上首唱導の師のうち、日蓮聖人は法華経上、
その行跡から御自分が上行菩薩である事を自覚されたのです。
仏法が釈尊の予言どおりに回転し、日蓮聖人が上行菩薩のご再誕であるこ
とは定説になっていますが、それでは従地涌出品第十五における他の三菩薩
(無辺行、浄行、安立行菩薩)はお出ましにならないのでしょうか?
もし上行菩薩の出現で終わるなら、法華経はウソだと言うことになります。
私たちの信仰では、無辺行菩薩は明治時代にご活躍なされ、先祖供養道の
始祖であられる常不軽無学大士(西田無学)様です。
浄行菩薩は大御宝號(南無先祖
養道)の始祖であられる我等が大恩師、
常不軽台学大士(菅原国明先生)様です。実はこの浄行菩薩様が我身如来を明
らかにするお役目の方なのです。
上首唱導の師の最後の安立行菩薩は、未来において、南無先祖
養道
(仏説による父母孝養・師長恭敬)を実践して、安心立命の浄妙国土を建設し
ていく方々を言います。その御出現を待望して本書の出版を計画しました。
この予言の通りに四菩薩が出現しなければ、法華経はウソだったというこ
とになるのですが、仏法流布の因縁にしたがって、日本に生まれた日蓮聖人
が、上行菩薩であるという自覚を得ることになるのです。では次の章で、日
蓮聖人の信仰と上行菩薩としての自覚…行跡を見てみましょう。
このあと経文の方では、釈尊の直弟子たちが、地より湧いて出たような菩
薩たちの出現に疑問を持ったために、仏の寿命を明かす如来壽量品第十六に
つながっていきます。
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