【 行の一念三千 】
リトアニア領事代理であった故杉原千畝氏がビザを書くことによって、六
千人のユダヤ人を救った話は有名です。新聞や雑誌で何度か紹介されて、そ
の度に私は感動を覚えました。
杉原氏は生きている人を救ったわけですが、私達にも杉原氏の行為に優る
とも劣らない尊いことができるのです。それが御法名の書写です。
御法名の書写によって霊魂が救われ、霊現一如なので、書写する者も同時
に救われます。ですから、誇りと自信を持って堂々と信仰していただきたい
と思います。
杉原氏は自分の意志と行動で多くのユダヤ人を救い、その結果、実りある
人生を過ごされたわけです。このように人間は誰でも自分の自由意志で、杉
原氏のように人を助けるという善の方向へも、また逆に自分のことしか考え
ない悪の方向へも行くことができるので、その結果の善悪はすべて自分の責
任です。全ては自己の一念から始まります。例えば、ある人に対して常に感
謝の気持ちを持って接していると、その人との人間関係は良好になるという
ようなものです。
この個人個人の一念(わが心の一瞬の働き)が、ちょうど池の真中に石を
投げた時の波紋が回りに波及するように、家庭的、社会的、国家的に、そし
て過去、現在、未来の三世にわたって影響することを一念三千と言い、その
ことを日常生活の上で現実的に活用していくことを『行の一念三千』と言い
ます。
このことは社会現象は勿論のこと、自然、天然現象までも人間の一念が起
こしているということを意味しています。例えば台風なども恨み、つらみ、
妬み、憎しみなどの人間の悪想念の集積です。
ですから、災害はすべて人災(自分自身の責任…他人のせいではありませ
ん)ということができます。もっとも人災と言っても、他人が作った悪業が
自分に来るわけではなく、自分が作ったものがそれぞれ自分に来ているだけ
です。ですから、その災難にあうことによって自分の持っている悪業が一つ
消え、その分自分の魂がきれいになったと思って、恨みや怒りの気持ちを昇
華した方が良いのです。
いつまでも怒りの気持ちを持ち続けていると、体の中に毒素が発生し、体
に変調をきたし、そこに魔(因縁)がつけこんで、病気になったりします。
懴悔観が身についていると、全て自分の責任と考え、気持ちを転換できます。
自分が作った人災だから、台風などの被害を軽減することもできるのです。
この台風などの因縁を浄化し、その毒を変じて薬となしていくことを浄妙
(洗い清めて、新しく生まれ変わる…別名・懴悔滅罪)と言います。
--------------------------------------------------------------
★『一念三千』(正確には一念三千十界互具百界千如)…一念とはわが心の
一瞬の働きのこと。三千とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人、声聞、
縁覚、菩薩、仏の境界を十界とし、この十界が各々十界を具するので百界と
なし、百界の一々に相、性、體、力、作、因、縁、果、報、本末究竟の十如
の義を有するから千如となし、この千如は各々、衆生、国土、五陰の三世間
の別あるので、三千世間となる。要するに森羅三千、一切がっさいすべてと
いうこと。
天台、伝教両大師は理論上これを説き教えたので、これを『理の一念三千』
と呼び、日蓮聖人はこの理を真実となして弘められたので、これを『事の一
念三千』と言います。
現代の我々は仏説にもとづいて、この『理』と『事』を単なる事理に止め
ず、全く日常生活の実践行為の上に実現し、以て観念的な仏法を改め、現実
的生活的な生きた仏法たらしめていくので、これを『行の一念三千』と言い
ます。
行の一念三千は常不軽台学国明先生が始唱導されました。
以上を家作りにたとえて言えば、『理』は設計図の段階、『事』は土台を
作り、家を建てる段階、そして『行』はその家に住んで、生活するというこ
とになります。
★『懴悔観』…一切が自己の責任であるとする人生観。
★『台風の因縁』…川崎のM先生(故人)は台風の因縁(生霊、死霊)に御法
名をおくることによって、台風の方向を変えたり、スピードを早めて被害を
少なくすることを、ご自分の因縁だからとおっしゃって、なさっておられま
した。また、旱魃の時に自分の畑に雨を降らせたり、畑の害虫を農薬を使用
せずにいなくすることも可能です。なぜなら、全て自分の因縁だからです。
前のページへ戻る このページのトップへ 次のページへ