【 宗教における地動説 】
    天動説から地動説ヘ…
  神仏を第一義とする宗教の罪悪が世の中を混乱し、やがて破壊します。よ
く言われることですが、例えば、汚れた川をきれいにするのは、神様仏様で
はなく、人間自身です。人間に責任があり、人間が自分に関する一切の創造
主なのです。一切の責任は神仏にあるのではなく、自分自身にあるのです。
だからこそ、懴悔滅罪に大きな意味があるのです。
  自分自身の責任を忘れてしまって、全てを神仏の責任に帰するから、人間
の真実のあり方と違背するから、人間の世界が混乱するわけです。
  神仏を尊ぶのは当然のことで論を要しません。ただし、神仏を拝むから救
われるのではなく、神仏と同じ大きな愛情を持つべく、人間が努力するから
こそ救われるのです。人間が神仏に近づく努力とは、『神仏によって救われ
るのではなく、自分によって自分が救われる』という真実を広めていくこと
です。

 ☆ 宗教における天動説(今までの宗教)…これらはすべて間違った考え
方です。
  ○ 神仏によって人間が動かされている。
  ○ 神仏礼拝(神仏を拝めば救われるという信仰)
  ○ 人間の運命は神仏が決定する。
  ○ 神仏によって救われる。
  ○ 神仏が主体。

 ☆ 宗教における地動説(二十一世紀宇宙時代の宗教)…これが真実のあ
り方です。
  ○ 人間が神仏を動かしている。
  ○ 人間礼拝(人間が人間を礼拝するから地上天国が実現する。人間こそ
   神仏の始まり)
  ○ 自分の運命は自分が決定する。
  ○ 自分によって自分が救われる。
  ○ 人間が主体。

 ★ 二十一世紀宇宙時代には、前記の「宗教における地動説」が、宗教とい
うような特別なものではなく、地球人の標準思想となり、生活、行動の規範
となるでしょう。これは思い上がりではなく、自分の責任を追求する思想で
す。

  二十一世紀は宇宙精神文明と言われております。この時に対応する宗教は、
世界に普遍的で、対立がなく、世界が和合するものでなければなりません。
それが『仏説による父母孝養・師長恭敬』であると私は確信しているのです。
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