【 浄行菩薩としての自覚 】
    浄行菩薩の御再誕…常不軽台学大士著『末法の癩人』から
  「私は浄行ではないが、浄行院と名づけ浄妙と名づくる所以は、日蓮様の
通り必ずお出ましになるんだから、でなければ法華経は嘘なんだ。
  経文の文証からも、今日の個人の生活から言っても、社会の情勢・国の状
態・世界の動勢から見てもその通り末法の現象だから、必ず浄行が出る。
  これら諸情勢の根本原因は、過去の自分が作った罪業だから今の自分に出
る。
  この罪業がこのように各面から苦しめるから、その罪業を洗い清めるお方
が、また、その方式が出て来なくちゃならないはずなのだ。だからきっと出
てくると私は信ずる。私は自分じゃないと思っている。けれども、自分でな
い自分というものがどこかにあるかも知れない。しかしすべて、自分の立場
を自分で定めることはできないでしょう」

 ☆ 経文の文証…『妙法蓮華経従地涌出品第十五』に、「一を上行と名づけ、
二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩
其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり」とあり、妙法蓮華経化城諭品第
七には、「香風時に来って萎める華を吹き去って、更に新しき者を雨らす」
とあり、また大集経には今日の時代を、「白法隠没、闘諍堅固」と言い、
【大白法流布】の時がこれに代わると予言されています。
  これらは即ち、法華経の予言通り、上行、無辺行菩薩が出現されたので、
今の時代は浄行菩薩が出現される時ということです。


【 盂蘭盆御書について 】

「真の祖先供養について」(『浄妙』昭和四十三年七月号より抜粋)
  目連尊者の色身は父母の遺体なんだね。父母の連なり父母から残されたもの。
目連の体が仏になればその父母も仏になれるという事なんだ。そこで目連尊者
がタマラバセンダンコウ如来となって人を救い、その道に努力する。その学び
と懴悔の行によって自分が成仏し父母も成仏したと云っておられる。
  自分の成仏がなくて父母の成仏はない。人によってはこの御書を第一とする。
私もこれが第一だと思う。日蓮聖人の本尊鈔とか開目鈔とか色々とあるが、自
分が成仏できなければこれ等の五大部十大部も詮ない事だろう。だから今まで
の先祖の供養の仕方は全部父母をかえって地獄に落とし、苦しめていたことが
わかるだろう。

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☆ ほろほろと鳴く山鳥の声きけば
       父かとぞ思う  母かとぞ思う (行基菩薩)

☆ 私は仏教の最高旨致は「懴悔滅罪」の四字に尽き、仏教徒の行法は「懴悔」
の二字に止まると確信して居る。(中田「ろく」という字郎)

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