『KREIS-SYSTEM』 最初聞いたときはそれが何を指しているのか解らなかった。 2度聞いたら何を指しているのかは解った。 「あの塔が、ねぇ?」 それは何の変哲もない普通の塔にしか見えなかった。 「くるくる……寂しそうに回ってるね。」 かつてそれを見たとき、私はただ綺麗で―――可哀相だと思った。 確か第7艦隊のあの子が見せてくれた。 「あれが事象の地平、だよ。私は……黒い宝石って呼んでるけどね」 少し笑って彼女は目を外へ向ける。 オッドアイの彼女の瞳は映らないはずのその星を見つめていた。 「ブラックホールは密の極限だけど、私たちに見える範囲じゃあ疎の空間にしか見えない。 それがそこに在る事を知るのは、何かを届けるからじゃなくて何も届けないから……。 でも……そんな疎の中に密の極限があるなんて、やっぱり宝石だと思うの。」 そんな彼女の言葉を聞きながらも私は別の事を考えていた。 (だったら、中の「密」はとても寂しいんじゃないかな) 『それでは、任務の再確認を行います』 オペレータの事務的で抑揚の少ない声が脳内に響く。 神経を昂ぶらせないようにと配慮された声質は、気に障ったりはしないが地味だ。 『塔内部には多数のNOIZが測定されています。これを鎮めて下さい。 大きなNOIZ、及びTONEも存在している為、おそらくNOIZ発生源の一端を担っています』 分かってる。 脳に直接響く声を、左から右へと聞き流す。 同じ事は何度も聞いたし、最近の任務はコレばっかりだから慣れたものだ。 NOIZ、NOIZと言うが、このオペレータの声の方がよっぽどノイズでは無いだろうか。 『塔自体がNOIZですから、可能であれば破壊。 ただし、現状物理影響は無い為、無理はしないように』 「じゃあ、影響があったら無理をしろって事?」 意地悪を言ってみるが、反応は無い。 どうせ、なんだかんだで無理は聞かされるものなのだ。 それが無いというだけで、この仕事の重要度の低さが分かる。 実はココは放って置いてもかまわないレベルなのだった。 それでも、ずうっと放置しておくわけにもいかない。 何かに変化してもっと面倒な事になるくらいなら、手が空いてる時にやっておいた方が良いだろう。 (楽な仕事……だとは思うんだけど) それでも面倒だなと思ってしまうのは何故だろう。 雲を見上げていた。 空を見てるの? と訊かれたから、空は見てないよ、と答えたら笑われた。 「だって、空があっての雲でしょ?」 言われて初めて気が付く。 ああ、これはルビンの杯なのだ。 そう思うと、今まで嫌いだった空が、少しだけ好きになれた気がした。 「杯も良いけど、カップもね。お茶にしよっ」 丸い有限のティーポットの中で、紅い液体が無限の空を映して揺れている。 「暇だねー」 「でも……きっとこれから忙しくなるよ」 ならこの瞬間はとても貴重な時間なのだろう。 何もしていない、いわば疎の時間が、最も充実した密の瞬間だということ。 それは身の無い話ではあるけれど、退屈でも寂しくも無かった。 屈折した光がポットの中で珠のように輝いている。 それを手にするのは不可能な事だけれども。 「でも、綺麗だね」 『これより転送に入ります。準備は完了していますか?』 準備できたか……と云われても、準備するものがあっただろうか? そもそも歪みが激しくて転送タスクが重いからと言って、 持ち込める装備品を制限したのはそっちじゃないか。 まあ構いやしない。 大体Lfってのはその身一つでもあらかた十分なのだ。 「その服は……」 「あん? ……別に差し支えないし、いいでしょ?」 それに対する返事は無い。そのまま通信は途絶えてしまった。 容認はしたくないが、暗黙の了承ってところだろう。 それにしてももうちょっと人員は無いのかとも思う。 確かにこの塔に干渉出来るのは現状Lfだけで、手が空いてるのが私だけとはいえ。 「まー、やるっつったのは私だけどさー」 物理世界で言う、ちょうどゾンインゼルに立ったこの塔は、 理論はともかくとして入ることが出来ない。 外観からはどこからでも入れそうに思えるが、どうも空間を捻じ曲げているらしく、近寄れない。 だから架空世界から進入を試みるってわけで。 ただそれだけなわけで。 「まぁ、こんな旅も悪くないだろうさ」 いつからだろうか。 自分の立っている場所が、とても曖昧な気がしてきたのは。 繰り返されるデジャヴ。 その中で自分は本当に「今」の存在なのか……解らなくなった。 どの時間さえも、以前見た気がする。 そんな感覚が付きまとって離れなかった。 今ではそれがいつからだったかさえも思い出せる気がしない。 それは見渡せば、自分が無限に見える、合わせ鏡のような感覚。 「きっとアンタもそんな所だろう?」 ――ココは確かにそんな空間だった。 そしてあの黒い宝石のような、ティーポットの中のような空間だった。 空間は閉じられているはずなのに、無限だった。 そして無限ゆえに、外とは完全に隔てられていた。 「ふうん……。 なかなかひねくれた処かな。 さて、ココでなにすりゃいいか……」 ちょっと考える。 (やっぱりココは寂しい処だ。 だけどそれなら、賑やかにやるのも悪くないかな?) 最初、今回の任務は乗り気じゃなかった。 だけど、やっても良いかなって思ったのは、この塔から外を見るのも悪くない気がしたから。 RINNEは軽く伸びをして、そしてパタパタと愛用のスリッパで駆けていく。 「そうすれば、私にもいい夢が見られるかなぁ」 |