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夏目漱石(1867-1916、本名・夏目金之助)は江戸末期に生まれ、維新後の明治という近代化の時代を背景に生きた作家である。幼少期に養子に出された経験があり、早くから家庭環境の揺れを知った。東京帝国大学で英文学を学び、松山・熊本で教師として働いたのち、1900年に国費留学で英国へ渡る。留学中の孤独や心身の消耗は、書簡などにもにじむ。帰国後は大学勤務を経て朝日新聞社に入り、新聞連載という安定した発表の場を得て創作に集中した。弟子や交流者も増える一方で、胃の不調(胃潰瘍など)に悩まされ、吐血や入退院を重ねたことも知られる。1896年に鏡子と結婚し2男5女をもうけ、長男の純一はヴァイオリニスト、二男の伸六は随筆家として活動した。外見は堅実でも、その内側では孤独と病を抱えながら筆を進めた人物像が浮かぶ。(人気作品:『こころ』(発表1914年・47歳)、『三四郎』(発表1908年・41歳))
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太宰治(1909-1948、本名・津島修治)は青森県金木の大地主・津島家に生まれ、父が政治の世界にも関わる家の「期待」を背負う立場で育った。幼少期は乳母に抱かれて育ったとも伝えられ、家族の中での距離感や居心地の悪さが、のちの自意識や罪悪感の感触に影を落としたと語られる。上京して東京帝大に籍を置く一方、同人活動や思想運動に近づき、家との衝突、生活の破綻、自殺未遂など危うい局面を重ねた。病院生活や断筆を挟みながらも発表を続け、評価と不安定さが同居するまま作家としての輪郭を濃くしていく。1939年に石原美知子と結婚して三鷹に移り、家庭を得て生活の形を整えようとしたが、戦時下から敗戦後の混乱の中で消耗は深まった。戦後は読者の支持が一気に広がり「無頼派」とも呼ばれる一方、身近な人間関係も複雑さを増したとされる。1948年6月、山崎富栄と玉川上水で入水し39歳で死去し、波の大きい昭和の生涯として今も語り継がれている。(人気作品:『人間失格』(1948年・38歳))
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芥川 竜之介(1892–1927)は、明治の終わりから大正を中心に活躍し、昭和初期に没した短編作家。東京に生まれ、母が精神を病んだため幼い頃に母方の芥川家へ預けられ、のち養子となって姓を継いだとされる。江戸趣味の残る家風の中で育ち、漢籍や西洋文学にも早くから親しんだ。府立三中から一高、東京帝国大学へ進み、菊池寛や久米正雄らと同人誌『新思潮』を立ち上げて文学の道へ。在学中の『羅生門』で頭角を現し、翌年の『鼻』が夏目漱石に認められ名声が広がった。結婚して三人の息子(比呂志・多加志・也寸志)の父となったが、晩年は不眠や神経の疲弊、創作への行き詰まりを語る記述も残る。1927年、睡眠剤ヴェロナールの多量服用による服毒自殺と報じられた。遺書『或旧友へ送る手記』の「ただぼんやりした不安」という言葉は、理由を一つに絞れない不安の総体として、今も引用され続けている。昭和が始まって間もない時期の死だった。没後、友人菊池寛が芥川賞を設け、命日の7月24日は「河童忌」として追悼される。(人気作品:『羅生門』(1915年・22歳)、『蜘蛛の糸』(1918年・25歳)、『犬と笛』(1919年・26歳)、『杜子春』(1920年・27歳)、『魔術』(1920年・27歳)、『アグニの神』(1921年・28歳)、『トロッコ』(1922年・29歳)、『三つの宝』(1922年・29歳)、『白』(1923年・30歳))
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森鴎外(1862–1922、本名・森林太郎)は、幕末に津和野の医家に生まれ、明治国家が形を整えていく時代に「軍医」と「文学者」を両立した人物として知られる。上京して医学を学び陸軍軍医となり、1884〜1888年にドイツへ留学して衛生学を修める一方、ヨーロッパの文学・思想に直接触れた経験が、その後の創作の土台になった。帰国後は軍の医療行政を担う立場へ昇りつめ、公務のかたわら翻訳や創作を続け、恋愛と国家、個人の自由と責任の葛藤を描いた『舞姫』で近代的な自我の問題を鮮明にした。やがて『雁』『高瀬舟』など、抑えた筆致で人間の選択と運命を掘り下げる作品を残し、晩年は史伝・考証にも力を注いだ。家庭では子どもたちを育て、長女の森茉莉が作家として知られる。1922年、腎臓病などで60歳で亡くなった。(人気作品:『舞姫』(1890年・28歳))
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江戸川 乱歩(1894–1965、本名・平井太郎)は、大正から昭和にかけて活躍し、日本の探偵小説を大衆文学として根づかせた中心人物の一人。三重に生まれ、上京して学んだのちも職を転々としながら創作を続けた“下積み型”の経歴を持つ。1920年代に頭角を現し、都市の不気味さや心理のねじれ、怪奇趣味とトリックを混ぜた作風で読者を広げた。名探偵・明智小五郎という軸を得て、事件の構図や語り口そのものを「日本の推理の型」として定着させた点が大きい。戦後は評論や後進の支援でも存在感を示し、“乱歩”という名前自体がジャンルの記号になっていった人物像が浮かぶ。1965年、脳出血で70歳で死去。(人気作品:『二銭銅貨』(1923年・29歳)、『D坂の殺人事件』(1925年・31歳)、『人間椅子』(1925年・31歳)、『屋根裏の散歩者』(1925年・31歳))
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吉川英治(1892–1962、本名・吉川英次)は、明治末に横浜に生まれ、大正・昭和の大衆文学を代表した歴史小説家。少年期に家運が傾いて小学校を中退し、職を転々としつつ独学で文学を志した。新聞社勤めや投稿の下積みを経て筆一本で身を立て、講談のような語りの勢いと、人物の内面の揺れを同居させた筆致で読者をつかむ。昭和10年から新聞連載した『宮本武蔵』で国民的人気を確立し、その後も戦前戦後の激動の中で長編に挑み、歴史の大きな流れを人のドラマとして描いた。1962年、肺がんで70歳で死去。(人気作品:『宮本武蔵 全8巻』(43歳)、『新書太閤記 01 全11話』(46歳)、『三国志 全12巻』(47歳))
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谷崎潤一郎(1886–1965)は東京に生まれ、明治末から昭和中期までを生きた小説家。若い頃から感覚の鋭さと挑発的な美意識で注目され、『刺青』などに見られる耽美的・背徳的な作風で文壇に強い印象を残した。1923年の関東大震災を機に関西へ移ると、モダンな都市の空気と、上方の生活感・古典的な美の感覚を行き来しながら作風を広げ、『痴人の愛』のような都会的な作品から、『春琴抄』『細雪』のような伝統美や家族・時代の陰影を描く方向へと円熟していった。晩年は『源氏物語』の現代語訳にも取り組むなど創作意欲を保ち、1965年に湯河原で79歳で亡くなった(心臓発作とされることが多い)。(人気作品:『痴人の愛』(1924年・38歳))
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樋口一葉(1872–1896、本名・樋口奈津)は東京に生まれ、明治の初期を短く駆け抜けた小説家。父は下級官吏で、家は裕福ではなかったが学びの機会はあり、少女期から古典や和歌に親しんだ。歌塾「萩の舎」で中島歌子に学び、のちに小説も志して文章の道へ踏み出す。やがて父の死で家計が傾き、母と妹を抱えて生活を支える立場になったことで、作品を書くことが「表現」だけでなく「生きる手段」にもなっていく。貧しさや町の空気を身近に感じながら、江戸語りの調子と古典の素養を重ねた独特の文体で人物の息づかいを描き、わずかな数年の創作期間に代表作を集中して書いた。1896年、肺結核で24歳で死去。若さと切迫感の中で磨かれた文章が、いまも読まれ続けている。(人気作品:『たけくらべ』(1895年・23歳))
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島崎藤村(1872–1943)は、明治の近代化の熱と揺れの中で青春期を送り、大正・昭和にも筆を進めた詩人・小説家。木曽の宿場町・馬籠に生まれ、家や共同体が時代の変化に押されていく空気を早くから身近に感じたとされる。上京後はキリスト教や西洋文学に触れ、同人誌活動を経て詩集『若菜集』で名を知られた。やがて小諸などで教員生活を送りつつ、1899年に秦冬子と結婚して家庭を持つが、子どもを相次いで失うなど生活の重さも背負ったと伝えられる。その経験を抱えながら自費出版の『破戒』に踏み出し、現実の痛みや良心の葛藤を正面から描く姿勢が強まっていった。フランス滞在を挟んで長編に取り組み、のちに自らの人生の影も引き受けるような告白的作品を発表したことでも知られる。晩年は『夜明け前』の連載に挑み、戦時下は大磯に移り住み、1943年8月22日に脳溢血で71歳で亡くなった。(人気作品:『若菜集』(1897年・25歳))
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菊池寛(1888-1948)は香川県高松に生まれた小説家・劇作家・ジャーナリスト。生家は高松藩の儒学者の家柄だが、本人の幼少期には家が没落し、貧しさの中で読書にのめり込んだ。上京後は学業より芝居や文学に惹かれて学校を除籍されるなど遠回りを重ね、支援者や家族の借金に支えられて進学を続けた。第一高等学校を退学したのち京都帝国大学で英文学を学び、同人誌活動を通じて戯曲や小説を発表。大正から昭和にかけて文壇と大衆の距離が広がる時代に、作家でありながら編集・出版の側にも踏み込み、文学賞の創設にも関わって新人を押し上げた。1948年、59歳で狭心症のため急逝した。(人気作品:『貞操問答』(1934年・46歳))
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夢野久作(1889-1936、本名・杉山泰道)は福岡市に生まれ、父は政治運動家の杉山茂丸、母はホトリである。母は久作が2歳のとき離縁され、幼少期から家庭は分断された。修猷館から慶應義塾へ進むが退学し、その背景には父の強い意向があったといわれる。農園経営の失敗を経て軍隊に入り少尉に至り、のちに出家して禅僧となった時期もある。還俗後も謡曲教授、新聞記者、郵便局長など職を変えながら生活を立てた。1918年に鎌田クラと結婚し、家庭を抱えた現実の中で創作を続ける形を作っていった。やがて創作に軸足を移し、怪奇と現実、理屈と妄念がせめぎ合う独特の発想を深めたが、1936年3月11日、脳溢血で47歳で死去。(人気作品:『ドグラ・マグラ』(1926年・37歳)、『S岬西洋婦人絞殺事件』(1930年・41歳)、『怪青年モセイ』(1931年・42歳)、『縊死体』(1933年・44歳)、『骸骨の黒穂』(1934年・45歳))
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山本周五郎(1903-1967、本名・清水三十六)は山梨県に生まれ、幼少期の1907年、山津波で祖父母や叔父母を失う大きな喪失を経験した。小学校卒業後は東京・木挽町の質屋に徒弟奉公に入り、住み込みで働きながら世間を覚えるが、1923年の関東大震災で店が被災して奉公先は解散し、生活の土台が崩れる。以後は神戸で編集・記者の仕事に就き、現場で見た人間の暮らしと哀歓を糧に文章を鍛え、やがて創作に確かな足場を築いた。私生活では1930年に結婚するが、1945年に妻を病で失い、翌年再婚して横浜へ移る。1943年に直木賞候補に推されても辞退し、その後も賞を辞退し続けたことが知られる。1954年以降は横浜の旅館・間門園の別棟を仕事場にして終生そこで書き、1967年2月14日、同地で急逝(肝炎と心臓衰弱とされる、63歳)。(人気作品:『さぶ』(1963年・60歳)、『寒橋』(1950年・47歳))
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有島武郎(1878-1923)は東京に生まれ、大蔵省官吏の父のもとで育った。学習院から札幌農学校へ進み、キリスト教に入信し、1903年からの米国留学で社会思想にも触れる。帰国後は教職に就きつつ「白樺」同人として創作に踏み出した。1909年に結婚し家庭を持つが、1916年に妻を結核で失い、同年に父も亡くしたことで生活は大きく揺れ、教職を辞して文学に専念する。地主の立場に伴う矛盾を抱えながら、晩年には農場を小作人に解放する行動にも踏み込んだ。1923年6月9日、軽井沢で波多野秋子と心中し、45歳で死去。(人気作品:『溺れかけた兄妹』(1921年・43歳)、『かたわ者』(1922年・44歳)、『或る女 全2編』(1911年・33歳))
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国木田独歩(1871-1908、本名・国木田哲夫)は千葉県銚子に生まれ、父は旧藩士で、出生の事情から戸籍上の扱いが複雑だったともいわれる。父が司法省の官吏として転任を重ねたため、山口や広島などを転々とし、成績優秀な一方で悪戯好きの少年だったという。上京して東京専門学校(現・早稲田大学)に学ぶが中退し、同盟休校に加わるなど時代の熱気の中で揺れた。やがてキリスト教へ傾倒して洗礼を受け、日記『欺かざるの記』を書き始める。地方で教師をしながら理想に燃えるが、熱心さが恋の破局を招いたとも伝わる。最初の結婚は短期間で離縁に至り、のちに再婚して家庭を持ち、子どもにも恵まれた。新聞記者・編集者として食いつなぎつつ執筆を続け、浪漫的な抒情から、生活の陰影を見つめる自然主義へと作風を深めていく。自ら独歩社を興し、『婦人画報』など雑誌の企画でも才を見せたが、1907年に破産。肺結核で神奈川の南湖院に入り、友人たちが見舞いのアンソロジーを編むほど注目を集めながらも、1908年6月23日に病状が悪化し、36歳で死去した。(人気作品:『恋を恋する人』(1907・35歳))
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石川啄木(1886-1912)は岩手の曹洞宗寺院の家に生まれた。父が僧侶であった事情から、出生時はいったん母の子として届けられ、のちに家の籍に入るなど、早くから家と世間のはざまで揺れたとされる。盛岡中学を中退後、『明星』に寄稿して詩人として頭角を現し、19歳で詩集を出すが、生活は安定せず、代用教員や新聞記者として各地を転々とした。堀合節子と結婚し子を得る一方、離れて暮らす時期も長く、貧困と焦燥が日記や作品の基調になる。上京後は東京朝日新聞の校正係となり、生活の実感を三行書きの短歌に落とし込んだ『一握の砂』で名声を得た。大逆事件後は社会への関心も深めたが、病を重ね、結核で26歳で没した。(人気作品:『一握の砂』(1910年・23歳)、『悲しき玩具』(1912年・25歳)、『詩』(1910年代・24歳)、『公孫樹』(1910年代・24歳))
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中原中也(1907-1937)は山口に生まれ、医師の父のもと比較的恵まれた家で育ったとされる。ただ家は規律が強く、本人は早くから反発心と感受性の鋭さを抱えていた。少年期に弟を亡くした経験など、身近な喪失が心に影を落としたともいわれる。十代で京都へ出て短歌から詩へ傾き、同人活動や新しい芸術運動に身を置き、酒と放浪の生活が続いた。若い頃の恋人が同時代の批評家のもとへ去った出来事は、交友と失恋が絡む痛みとして長く尾を引き、怒りや嫉妬、自己嫌悪がそのまま韻律に押し込まれたような詩を書かせた。昭和初期には東京へも移り、仲間との議論や批評家との切磋琢磨のなかで言葉をさらに研ぎ澄ます。一方でフランス象徴詩、とりわけランボーに傾倒し、口語の速度と古い語感を混ぜた独自のリズムを磨いた。1934年に第一詩集『山羊の歌』を刊行して評価を確かにし、のちに『在りし日の歌』などへ結実するが、健康は脆かった。1937年10月22日、30歳で死去(結核性髄膜炎とされる)。(人気作品:『山羊の歌』(1934年・26歳)、『星とピエロ』(1934年・26歳)、『初恋』(1934年・26歳))
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北原白秋(1885-1942、本名・北原隆吉)は熊本に生まれ、福岡・柳川の商家(酒造や海産物問屋を営んだ家)で育った。1901年の大火で酒蔵が焼け、家は傾き、やがて実家は破産して生活の重荷を背負う。上京後は詩や短歌で頭角を現し、文壇の交友を広げていくが、1912年には姦通罪で告訴され未決監に勾留される騒動を経験し、精神的にも大きな揺れを受けたとされる。私生活でも結婚・離婚・再婚を経ながら、詩だけでなく童謡や歌詞の仕事へも活動を広げ、時代の大衆文化の波の中で表現の場を増やしていった。晩年は糖尿病や腎臓の病を患い、視力低下も進行する。1942年11月2日、病のため57歳で死去。(人気作品:『邪宗門』(1909年・23歳)、『浅草哀歌』(1929年・43歳)、『思ひ出(抒情小曲集)』(1911年・25歳)、『雲母集』(1915年・29歳)、『影』(1930年・44歳)、『風見』(1929年・43歳))
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室生犀星(1889-1962、本名・室生照道)は石川県金沢に生まれ、生後ほどなく雨宝院に引き取られて寺の子として育った。高等小学校を中退して13歳で働き始め、裁判所勤めのかたわら俳句や詩にのめり込む。21歳で単身上京し、生活苦の中で作品を磨き、同時代の詩人たちと結びついて活動を広げた。やがて詩だけでなく小説にも筆を移し、幼少期の孤独や貧窮の記憶、町の人々の生々しい息遣いを、抒情と野性味の両方で描いた作家として知られる。1918年に結婚し、家庭を得る一方で、長男の誕生と早い死、関東大震災での帰郷、親しい作家の死など、私生活の揺れも重なった。戦時期は疎開を経験し、戦後も創作を続けたが、1959年に妻を亡くし、1962年3月26日、肺癌のため72歳で死去した。(人気作品:『愛の詩集 03 愛の詩集』(1918年・29歳)、『冠松次郎氏におくる詩』(1930年・41歳)、『抒情小曲集 04 抒情小曲集』(1918年・29歳)、『忘春詩集 02 忘春詩集』(1922年・33歳))
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岡本綺堂(1872-1939、本名・岡本敬二)は東京高輪に生まれ、父は旧幕府の御家人から明治期に外交関係の職へ移った人物とされる。若い頃から芝居に親しみ、1890年に東京日日新聞へ入り、劇評や社会記事を書きながら文筆の土台を固めた。やがて戯曲へ本格的に踏み込み、新歌舞伎の成功で劇作家として地位を確立する。1916年には海外の探偵小説に刺激を受け、江戸を舞台にした捕物綴の創作へも広げて読者層を拡大した。1923年の関東大震災では蔵書や日記などを失う痛手を負いながらも創作を続け、1939年3月1日、気管支炎に肺浸潤を併発して自宅で死去(66歳)。(人気作品:『半七捕物帳 全69話』(1917年・44歳)、『三浦老人昔話』(1925年・52歳)、『青蛙堂鬼談』(1926年・53歳)、『明治劇談 ランプの下にて』(1935年・62歳))
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小泉八雲(1850-1904、本名・パトリック・ラフカディオ・ハーン)はギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランド人の父とギリシャ人の母のあいだに育った。幼少期に家庭が崩れ、アイルランドで親族に引き取られて育つ。16歳のとき事故で左目を失明し、後見人の破産も重なって学業が途切れ、19歳で単身アメリカへ渡った。赤貧の生活を経験しながら新聞記者として文章で身を立て、各地を転々としつつ異文化への感受性を鍛える。1890年来日後は松江で英語教師となり、のち熊本・神戸を経て、東京帝国大学で英文学を講じた。松江で小泉セツと結婚し、1896年に日本へ帰化して「小泉八雲」を名乗り、日本の伝承や怪談を英語で紹介する仕事に力を注いだ。1904年9月26日、東京で心臓発作により54歳で死去。(人気作品:『耳無芳一の話』(1904年・53歳)、『雪女』(1904年・53歳)、『ろくろ首』(1904年・53歳))
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